プレイバック徳川慶喜・(48)恭順謹慎
京に向かわせていた松島が一橋家に戻ってきましたが、
美賀や徳信院直子がいろいろ聞いても泣いてばかりいて
徳川慶喜に関する事情が全く分かりません。
現一橋家当主・徳川茂栄が説明するに
幕府軍は薩摩軍と戦い、敗れたため
慶喜は朝敵になった──ということらしいです。
江戸城に戻ってきた慶喜は大奥に向かい
戦に至った今までの経緯を説明。
官位も辞したこれからは、戦を一切せず
江戸城にて恭順謹慎するつもりだと言います。
静寛院(和宮)は、天皇に対して
慶喜の朝敵の汚名をそそぐ嘆願を働きかけるつもりですが、
慶喜の意志に関係なく、戦が始まってどう転ぶか分からない状態に
嘆願はするべきではない、と瀧山に言われてしまいます。
そもそも朝廷を守って来たのは幕府であるのに
薩摩藩らが慶喜を朝敵扱いしているのはおかしい、と主張すると
薩摩が実家の天樟院に非礼だ、と横に座る園部が噛みついてきます。
「関ヶ原以来、薩摩は外様になりて幕府に度重なる非礼を受けて来た」
朝廷出身者、薩摩出身者がいる中で
徳川の存続を話し合うのは
なかなか難しいことなのかもしれませんw
慶喜は、大広間に幕臣を集め
これからは無益な戦を考えず、家に戻れと諭します。
「我が身の不徳を恥じ、恭順謹慎してご沙汰の下るを待つ」
しかし、江戸の幕臣たちはまだ戦っていなかったし
敵も見えていなかったために、たちまち沸騰。
開戦論がまたも頭をもたげ、再発してしまいます。
朝廷は、慶喜を始め幕閣20余名の官位停止と、
松平姓を名乗るもの全て
従来の苗字に戻るべしと勅命が発せられました。
そして一族の京屋敷も没収されることに。
板倉老中は慶喜の前にひれ伏し
未だに戦わせてくれと願い出ていますが、
慶喜は戦う許可は与えません。
これからの新しい時代の船出のためには
慶喜という立場の人間は
いつ消えるかを考えなければなりません。
戦うことでは、けっしてないのです。
京都では、幕府に対する
新体制「新政府」が誕生しました。
その新政府が、
慶喜を征討する軍を発したという情報が
江戸城に流れてきました。
将軍職を辞したとはいえ、
慶喜は未だに徳川宗家の棟梁でありますので
宗家の座を田安家の亀之助に譲ることにしました。
慶応4(1868)年2月3日、天皇が親征の詔を発布。
正式に朝敵討伐の命令が発せられたわけです。
その東征大総督には静寛院の許嫁であった有栖川宮熾仁親王が、
東征軍参謀長には、薩摩藩の西郷吉之助が就任します。
水戸徳川家が朝廷から許されたようです。
何でも、亡き徳川斉昭の尊皇の言動が認められたそうです。
藩主の徳川慶篤は、もしこの勅状を受ければ
水戸藩の幕府寄りの家臣たちを罰せねばならず
慶篤としては非常に頭の痛いところです。
勝 海舟は、幕臣・山岡鉄舟を呼び出し
慶喜のために奔走してもらいます。
海舟は江戸を動けないので、
その代わりに山岡に動いてもらおうというわけです。
まずは参謀長の西郷に書状を届けてもらいます。
慶喜は2月11日に江戸城を出て上野の東叡山寛永寺に入ります。
恭順謹慎を唱えて寺に入れば、
開戦を主張する家臣たちもおとなしくなるだろう、というものです。
2月15日には征討軍が京都を出発し、
書状を持って西に向かった山岡とは駿府で遭遇します。
山岡と対面した西郷は、江戸を戦火に巻き込みたくないなら
・慶喜を備前藩にお預け
・江戸城の明け渡し
・武器弾薬の引き渡し
・城内に住む者は全て向島へ移ること
・慶喜を助けたものは謝罪の申し付け
などなどの条件を突きつけます。
一つ目の条件のみは受け入れられないと
頭を下げる山岡ですが、西郷は聞き入れません。
「全ての条件は満たさねばならぬ」
(『篤姫』では「(47)大奥の使者」付近
脚本:田向 正健
原作:司馬 遼太郎「最後の将軍」より
音楽:湯浅 譲二
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[出演]
本木 雅弘 (徳川慶喜)
石田 ひかり (美賀)
鶴田 真由 (徳信院直子)
内野 聖陽 (徳川慶篤)
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渡辺 徹 (西郷吉之助)
寺脇 康文 (岩倉具視)
深津 絵里 (天樟院)
畠中 洋 (松平容保)
黒田 アーサー (桂 小五郎)
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藤岡 琢也 (中山五郎左衛門)
坂東 八十助 (勝 海舟)
伊武 雅刀 (山岡鉄太郎(鉄舟))
佐々木 すみ江 (瀧山)
園 佳也子 (高部)
岸田 今日子 (松島)
大原 麗子 (れん(語り))
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制作統括:高橋 幸作
演出:富沢 正幸
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