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2015年12月 1日 (火)

プレイバック翔ぶが如く・(42)佐賀の乱

肥前佐賀藩は、幕末雄藩の中で
最も近代的な軍隊をもっていました。
名君・閑叟鍋島直正の指導のもと、藩内に反射炉製鉄所を持ち
当時最新鋭のアームストロング砲をも製造していました。

閑叟は藩外のことに関しては不干渉の態度をとっており
討幕運動にも積極的には参加しませんでした。
しかし、薩長の熱心な勧誘と事態の変化から
上野戦争以降、討幕に参加します。
その近代兵器は威力を発揮し、戦功も大きかったわけです。

しかし、結果的には維新に乗り遅れた形となり
新政府では『薩長土肥』と言われるように
常に4番目の位置にいまして、高官の地位を得るものは少なく
藩内には不満を持つ者も多かったわけです。
その中での“出世頭”とも言えるのが参議・江藤新平です。

しかしその江藤も政争に敗れ野に下り
佐賀に帰ることになります。

新政府に不満を抱く佐賀の兵士たちは
江藤を指導者と仰ぎ、
第2の維新を目指して立ち上がったのです。


明治7(1874)年2月・福岡城──。

東京政府から大久保利通がやって来ました。
福岡県令・山根秀助は、
内務卿自らが福岡入りするとは思っておらず
かなりの慌てぶりです。

戦況は、佐賀城内に攻め込ませた鎮台兵は
江藤一派に攻撃されてほぼ全滅。
佐賀城は一派に占拠されている状態です。

佐賀で反乱が起きたことが周辺地域に刺激を与え
各地で反乱が勃発してしまう前に、
佐賀の反乱を鎮めてしまわなければなりません。

佐賀から福岡へ反乱参加の呼びかけは
今のところ来ていないようですが、
佐賀から熊本へは未確認です。

熊本の隣は鹿児島であることを考えれば、
佐賀を孤立させるためにも、
その参加呼びかけは食い止めなければなりません。

利通は、福岡で募集した兵士を政府軍の先発隊として
三瀬峠を越えさせて佐賀入りさせます。


佐賀城内では、指導者・江藤のあまりの落ち着きように
向井ら佐賀士族たちは不安を隠し切れません。
「いま我々は、こんなことをしていていいのでござるか」
「なぜ早く討って出ないのでありますか」

政府軍の九州入りはまだまだ先のことですので、
それまでの間に、江藤らがなすべきことは
戦の大義名分を得ることであります。

そして、鹿児島の西郷隆盛や
高知の板垣退助が挙兵するのを待つ。
これに限ります。


鹿児島にも佐賀の乱の一報が舞い込み
隆盛は島津久光から急の呼び出しを受けます。

隆盛が江藤と気脈を通じ、
鹿児島でも反乱を上げるという妙な噂が
東京のみならず日本国内で流れていまして、
久光としては、隆盛の本心を聞きたいようです。

隆盛は、天地神明に誓ってその考えはない、と断言。
であれば、と久光は扇子を隆盛に向けます。
「風聞は一掃せにゃならん。兵を率いて鎮武に出かけるがよか」

参議の職を辞したとはいえ隆盛は未だに陸軍大将であり
兵を率いて鎮武に出かけたとしても支障はないわけですが、
政府には徴兵による陸海軍を持っているし
利通自ら福岡入りしたことで、その気迫は確かなものです。

味方にせよ敵にせよ、
薩摩が動かないことこそが最も大事なことだと
隆盛は久光の、鎮武に出かけよという命を断ります。

隆盛としては、旧士族が
徴兵によって集められた農民兵(鎮台兵)に負けた時こそ
鎮台兵が自信を持つことにもつながり、
利通の政治統制力にもいい影響が出ると考えているわけです。

世間的には、隆盛が出兵しなかったら
利通を助けなかったということになり
仲違いはやはり間違いなかったと思われることにもなりますが、
隆盛は、親心で政府軍の味方をしなかったわけです。


利通 対 江藤。
この関係は、両者の気合いの争いでもありまして
そういう意味では、江藤の気合いより
利通の気合いの方が幾分も勝っていました。

家来が引き止めるのも聞かず、
前線視察に出かけようとする様子からも、それが伺えます。
「危険でない前線などない!」

そして、政府軍が博多の港に次々と到着している現状で
まだ3,000の兵が健在でありながら
江藤はあっさりと負けを認めます。
「この後2〜3の戦闘に勝ったとしても、もはや見込みはない」

佐賀軍は解散とする、と宣言した江藤は
死ぬ覚悟だったと吐露する士族に
断固として生きるべきだと説得します。

そして江藤は、
一度は挙兵を渋った(らしい)隆盛の元に再度赴き
何とかして立ってもらおうと説得に行くことにします。
もしダメでも、その次には板垣がいます。


佐賀で反乱を挙げた江藤は破れ行方をくらませます。

そこで、ポリスの川路利良は
逮捕していた矢崎八郎太を釈放することにします。
ただし、これからは政治に頭を突っ込むなと
忠告だけは忘れません。

芦名千草が住む長屋にまっすぐ向かった矢崎は
佐賀までの旅費を無心するのです。

梅乃家五郎八は、
江藤とは関わらない方がいいと目を背けますが、
「法の下に万民は平等である」を掲げて活動して来た江藤が
佐賀で反乱を起こしてどう裁きを受けるか、
それを見届けなければ自分自身の再出発はありえないわけです。


佐賀城に入城した利通は、江藤が
どうやら鹿児島に向かったらしいという情報を入手します。

しかし、隆盛が江藤の説得に応じるとは思えません。
もし説得に応じて挙兵に及ぶのならば
すでに鹿児島で反乱を起こしているはずであり、
すでに佐賀城を取り囲んでいるはずであります。

隆盛のことは心底信じ切っている利通ではありますが、
不安材料と言えば、鹿児島で残って生活している
妻の大久保満寿のことであります。

利通は満寿に手紙を送り
今後どんな噂が立っても自分(=利通)を信じて
一切耳を貸さないようにと諭しておきます。


鹿児島の西郷家に到着した江藤たち。

屋敷の片隅をお借りして待たせてほしいだの
ご亭主の行先を教えてくれだの勝手放題を言う彼らに、
隆盛の行先も知らされず、いつ帰るかも知らない
西郷いとは困惑しきりですが、

八方手を尽くして探したところ、隆盛は
鰻(うなぎ)温泉に逗留していることが分かり
雨の中、江藤は鰻温泉に向かいます。

朝鮮に話し合いに行きたかった隆盛は、
それが叶わなくなり下野しました。
政府に対してもの申したい気持ちはありますが、
江藤の理路整然とした説得にも応じません。

しかし隆盛は、鹿児島県令の大山綱良を仲介役に
島津久光を頼るといい、というアイデアだけ出しておきます。
人相書きが全国に手配された江藤を庇護できるのは、
日本国内では久光を置いて他には見当たりません。

久光に匿われて利通に頭を下げるなど、と
承服できない江藤に、隆盛はついに堪忍袋の緒が切れます。
「おはんな、3,000の兵を見殺しにして来やった。
 そげな大将とともに行動するこつは叶いもはん!」

白昼堂々太政官に自首して己の考えを主張し、
あくまでも政府と戦うと言う江藤は
この後土佐で逮捕され、身柄を佐賀に送られます。


4月、佐賀臨時裁判所にて。
江藤が捕縛され、庭に座らされています。
「徐族の上、晒首申し付ける」

その日のうちに刑は執行されます。

矢崎はその晒し首を目の当たりにし
政府への反感を募らせていきます。


隆盛と愛加那の子・菊次郎が西洋留学から帰国しました。

国のお金で留学したのだから、
そのまま西郷従道の元に残れば
政府高官にもなれる可能性もあったのに
菊次郎は鹿児島の、隆盛の元に戻って来てしまいます。

生きにくい世の中になったからこそ、父上のところに──。
それを聞いて、いとは彼の考えを認め、
ニッコリと微笑みます。


視察巡視をした従道は、参議・司法卿まで勤め上げた
江藤に晒し首という極刑を与えたということは
反乱は断固として許せず、とアピールするにしても
政府への悪評と憎悪が利通に集中することを懸念します。

ただ、セオリー通りに
逮捕後の江藤を東京に送り、東京で裁判をしたとしたら
彼の論理で弁明されると、岩倉具視や三条実美の腰は砕け
脆弱な東京政府は崩壊しかねません。

反乱と隆盛を結びつけないためにも
事を急いで決着させなければならなかったわけです。


原作:司馬 遼太郎「翔ぶが如く」「歳月」より
脚本:小山内 美江子
音楽:一柳 慧
題字:司馬 遼太郎
語り:田中 裕子
──────────
[出演]
西田 敏行 (西郷隆盛)
鹿賀 丈史 (大久保利通)

田中 裕子 (西郷いと)
賀来 千香子 (大久保満寿)
──────────
緒形 直人 (西郷従道)
堤 真一 (矢崎八郎太)
有森 也実 (芦名千絵)
──────────
蟹江 敬三 (大山綱良)
南條 玲子 (芦名千草)
草野 大悟 (海老原 穆)
──────────
隆 大介 (江藤新平)
竜 雷太 (川口雪篷)

高橋 英樹 (島津久光)
──────────
制作:吉村 文孝
演出:西谷 真一

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