プレイバック翔ぶが如く・第二部明治編(47)故郷・城山へ
政府軍・薩摩軍合わせて8,000人余りの死傷者を出した
明治10(1877)年3月4〜20日の「田原坂の戦い」の後も、
血で血を洗う争いは続きます。
「3月19日 衝背軍上陸作戦」
長崎から八代海を通って日奈久南方に上陸した政府軍は
熊本〜鹿児島間を分断。
「3月19日〜4月14日 別働旅団北上作戦」
政府軍は日奈久から北上して熊本城へ向かいます。
薩摩軍は熊本城の包囲を解き、
「3月20日〜4月15日 植木の戦い」
「4月12日〜4月20日 御船の戦い」と続いて
4月21日に木山に向かい、
4月28日に矢部経由で江代到着など、長い敗走が始まります。
「4月27日 鹿児島上陸作戦」
薩摩軍は人吉を本拠地として豊後・日向・鹿児島を維持して
態勢を立て直そうとしますが、政府軍は鹿児島に上陸。
「5月9日〜6月1日 人吉方面進撃・陥落」
北方(日奈久)からも人吉に軍を進めると人吉は陥落し、
薩摩軍の夢は砕け散ります。
「7月24日 都城の戦い」
この後、日向方面に後退した薩摩軍は、ここで
軍資金調達のため『西郷札(さいごうさつ)』を発行しますが
鹿児島からの政府軍により都城も陥落。
「7月31日 宮崎の戦い」
「8月14日 都城の戦い」
政府軍は薩摩軍を南から圧迫し、宮崎・都城を占領。
薩摩軍は長井村に退却、
延岡奪回に最後の望みをかけるわけです。
8月。
網を絞り上げられて、
敵がドンドンと囲いの中に入っていくようだと
大山 巌が例えます。
政府軍40,000 vs 薩摩軍3,000です。
西郷従道としては、兄弟親戚で争っているので
早く決着してほしいという気持ちではありますが、
早く終わるかどうかは、薩摩軍次第です。
巌は言葉を失い、うつむきます。
明日の決戦を前に、
隆盛は大事にして来た軍服を燃やします。
この軍服は、大久保利通と見苦しく言い合った征韓論争の時も
西南の役を起こして鹿児島を出発した時も着ていた
隆盛にとっては自分の分身のようなものです。
それを燃やすということは
過去との決別を意味するものであり、
決死の覚悟を意味するものでもあります。
矢崎八郎太は芦名千恵を呼び出します。
恐らく明日の戦いでは、命を落とすことになるでしょう。
その前に、今生の別を伝えたかったわけです。
千絵も、ヤダヤダとだだをこねることはしませんで、
もうお引き止めすることはできないのですね、と
矢崎にお守り袋を渡します。
「どうぞ千絵だと思ってお連れくださいませ。
死に急ぐことだけはなされませぬよう」
そして迎えた翌朝の戦。
40,000の軍勢で薩摩軍を囲んでいて
海上の何隻もの軍艦からは砲台がこちらを向いて
いつでも火を噴ける状態のようです。
薩摩軍は、餓死するよりも進んで敵中で死すのみ、と
果敢にも敵陣に突っ込んでいきます。
西郷隆盛は前線に出て、戦況を見守っていまして
それを望遠鏡で確認した政府軍の軍人が
本陣に引き返してそれを報告。
従道は居ても立ってもいられず
隆盛の元に駆けつけようとしますが、
巌に抱えられて止められます。
「じゃっどん兄さあが!」
「そン兄さあと、行って討ち合う気か!?」
桐野利秋は、形勢悪しと見ると退却を命じ
隆盛は抱えられて退くことになりました。
その最中、最期まで居残った矢崎は胸に銃弾を受け
千絵にもらったお守り袋を手にしたまま命を落とします。
この戦で死ぬつもりでいた隆盛は、
ここに薩摩軍の解散を決意します。
下ろうとする者は下り、死せんとする者は死し
めいめい考えのまま、それぞれに任せることにしたのです。
そして負傷者には、政府が万国公法を守る限り
危害を加えるものではないので、ここで養生してもらい
戦争によって田畑が荒らされ、
かつ介護要員として手伝ってもらった農民たちにも
世話になった、と頭を下げます。
夜が明けて、周辺の田畑には
政府軍・薩摩軍の死体が幾多も転がったままです。
その中で、ひとりの女が
「寄るなーッ! 寄るなーッ!!」と騒いでいて
政府軍の兵士たちに囲まれています。
騒ぎを聞きつけた従道は、それが千絵だと気づきます。
そして傍らには矢崎の亡きがら。
千絵は、矢崎の側からなかなか離れようとしません。
「これがあなたたちのご維新だったのですか!」
江藤を滅ぼし、会津を討ち、
今また多くの人たちを殺していく……。
これが政府の正義なのですか!
親と子、兄と弟が敵味方で戦わなければ作れない、
そんな国など、私は見たくない!
泣きじゃくる千絵。
従道は側の兵士に、千絵のことを頼み
矢崎の遺体は丁重に葬ってくれと命じます。
そこに急報が舞い込みます。
「西郷軍が脱出しました!」
敗走の西郷軍は、みな明るかったそうです。
桜島を目指して九州の峰峰を
普通では考えられない力で踏み越えつつあったのです。
鹿児島県令・大山綱良が逮捕され
内務省に連行されてきました。
大久保利通は、隆盛挙兵の真意を聞こうとしたのですが
そもそもは西郷暗殺計画から始まった、と綱良は言うのみ。
しかしそれは誤解でありまして、利通は命じていませんし
川路も明確に命じたことではありません。
ただ、暴発してしまった私学校生徒たちを
捨てられない情の人なので、
何も言わないで生徒たちと死ぬ覚悟のようです。
面白か一生じゃった!
晴れやかな表情になった綱良はその後、
裁判にかけられて長崎で斬首されます。
少人数になった隆盛らは、
桜島を眺められる城山まで戻ってきました。
しかし政府軍に囲まれるのは時間の問題です。
早く陣地を作る事から始めます。
薩摩軍から政府軍本営の山県有朋宛に
西郷隆盛助命嘆願の使者が来ました。
しかし山県は、時すでに遅く
せめて都城で言ってくれたらと聞き入れない方向です。
巌は、すでに少数の薩摩軍を踏みつぶすのか
隆盛を捕らえて斬首するのかと山県を問いつめますが、
隆盛が自決してくれるのが最善と山県は考えていまして、
言いたい事があるなら
夕方5時までに隆盛自身が本営に来いと命じ
総攻撃は明朝4時にかけることにします。
「私とて、助けられるものなら助けたい!」
一方、助命嘆願に関する使者を立てたことについては
桐野は一切聞いていません。
指揮は最後まで隆盛が執る約束なので
家来筋の勝手な行動にはたいそうご立腹なのです。
村田新八はそんな桐野を抑え込むように諭します。
「こいはみんなの意見じゃ」
桐野が案じているのは、
助命嘆願することによって隆盛は卑怯であったなどと
弟子たちによって晩節を穢したくないということです。
辺見十郎太は、隆盛が国家のために必要な人物なので
どうにか生きて残したいという気持ちが働くようです。
特にこの戦は隆盛が起こしたものではなく
私学校生徒たちの暴発に隆盛が引きずられて
参加させられているようなものなので、なおさらです。
話を聞いていた隆盛は
あくまでも薩摩武士の最期は斬り死に、ということで
自分も戦の中で死ぬ、と桐野に伝えます。
明朝4時に城山を総攻撃することについて
全軍徹底が終わったと山県からの電信が
東京に戻っていた従道の元に届き、
それを大久保邸に知らせにいきます。
「ないごて……こげなこつに……」
それを聞いた大久保満寿は泣き崩れ
利通の頬にも一筋の涙がこぼれ落ちます。
城山で、新八は
愛用の手風琴(=アコーデオン)を演奏しています。
戦場にまで持って来ていること自体が驚きですけど(笑)。
それを後ろからじっくりと聞いていた隆盛は
新八に敬意を持って頭を下げ
薩摩軍の兵士一人ひとりに声かけしています。
若い少年も戦に加わっていまして
けなげにも切腹の練習をしているわけですが、
隆盛はそんなことは無用と諭します。
戦が終わった後、新しい若い者たちが
芽吹いていくことが大事なわけです。
「こいは西郷隆盛の命令じゃ。生きやんせ」
隆盛は、もしもの時は
別府晋介に介錯を頼むことにします。
ただ、隆盛よりも先に別府が命を落とした場合は
その時はもう誰でもいいか……!! (笑)
手風琴の音色が聞こえなくなったので
新八の方を振り返ると、
たき火に手風琴を入れ、燃やしていました。
新八も、覚悟を決めたのかもしれません。
原作:司馬 遼太郎「翔ぶが如く」より
脚本:小山内 美江子
音楽:一柳 慧
題字:司馬 遼太郎
語り:田中 裕子
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[出演]
西田 敏行 (西郷隆盛)
鹿賀 丈史 (大久保利通)
田中 裕子 (西郷いと)
賀来 千香子 (大久保満寿)
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緒形 直人 (西郷従道)
杉本 哲太 (桐野利秋)
益岡 徹 (村田新八)
堤 真一 (矢崎八郎太)
有森 也実 (芦名千絵)
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蟹江 敬三 (大山綱良)
竜 雷太 (川口雪篷)
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制作:吉村 文孝
演出:望月 良雄
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