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2015年12月29日 (火)

プレイバック勝 海舟・総集編後編

文久2(1862)年8月・京都先斗町──。

勝 麟太郎による咸臨丸渡航より3年の歳月が経過しています。
この間、皇女和宮が14代将軍・徳川家茂に降嫁し
幕府は朝廷の力を借りて
動揺する幕政の建て直しを図っていました。

そして今 京都は、いわゆる「天誅」に揺れていました。
安政の大獄への復讐とも言うべき
開国派への攘夷過激派の情け容赦ない殺人。
彼らはこれを「天誅」と称しました。

日本中に、尊王攘夷の嵐が吹き荒れています。

咸臨丸の外国渡航以来、麟太郎の名は開国派として売れ始め
不穏な訪問者が、しばしば勝邸を訪れるようになります。
この日も、攘夷論者の千葉重太郎と
土佐浪人の坂本竜馬が押しかけていました。

麟太郎は、攘夷に反対しているのではなく
“今は”攘夷は無理だ、と言っているわけですが、
そんな話は重太郎には通じません。
しかし、麟太郎は恐れもなく懇々と説明をします。

麟太郎の海岸防衛策は、つまりこうです。
日本を取り巻く海を6区分にし、それぞれ艦隊を置く。
ただし、末期症状の幕府には艦隊を作れるだけの金がない。
「商売をする……貿易さ」

海外と貿易をする、その儲けた金で艦隊を作る。
外国に負けない日本を作るための、一番の方法です。
開国→貿易→海軍設立。
そこで初めて攘夷もできるというわけです。

「ほんたら、幕府も倒さな いけませんろうねぇ」
おいおい、おいら幕臣だぜぇ! と笑う麟太郎ですが、
麟太郎の考えが理解できた竜馬はパッと明るい表情になり
頭を下げて弟子入り志願をします。


文久3(1863)年、大坂湾調査のため、
麟太郎は海路を
竜馬や岡田以蔵らは陸路を西に向かいます。

そして、後に尊王攘夷派を震撼させた
近藤 勇、土方歳三、沖田総司らも
この時期、関東を出発して京都に向かっていました。

3月4日、将軍家茂が京都に到着。

政事総裁職である松平春嶽が
家茂に「大政奉還」案を説きますが、
将軍後見職である一橋慶喜は大激怒。
春嶽の説明も聞かぬまま、部屋を出て行ってしまいます。

5月10日、長州藩は
幕府が朝廷に約束した攘夷実行の日に合わせ
アメリカ商船に対して砲撃を加えます。

6月にはアメリカ軍が下関を砲撃、
長州藩は戦闘状態に入ります。
いま最も求められているのは日本の海軍であります。
麟太郎は家茂を説いて、神戸に海軍操練所を作ります。


以蔵ですが、武市半平太の命令で
人斬りをやらされているのは
麟太郎もうすうす承知していました。

もう、そんな人斬りはさせまいと
竜馬を通じて武市にやんわりと
人斬りをやめさせようとする麟太郎ですが、
それが逆に「勝 麟太郎を斬れ」という命令になります。

ずっと一緒にいて、麟太郎のことが大好きな以蔵には
麟太郎を暗殺できようはずもありません。
結局、麟太郎を襲撃してきた男たちを
逆に斬って殺害し、麟太郎を助けます。

麟太郎は以蔵に江戸行きを勧めますが
数々の暗殺事件の罪で幕府に捕らえられ、
入墨のうえ京都から追放、
それと同時に土佐藩に捕らえられて土佐へ戻されます。


8月18日、会津と薩摩がクーデターを起こし
尊王攘夷派は京を追われます。

長州を中心とする在京の志士たちは巻き返しの機会を狙い
三条河原町の池田屋に集まっていました。
元治元(1864)年6月5日、京都守護職配下の
新選組が志士たちを襲撃する池田屋事件が起こります。

そして、慶喜に招かれて上洛していた佐久間象山は
公武合体論や開国論を丁寧に説いていましたが
逆にそれが西洋かぶれの印象を植えつけてしまい、
7月11日に暗殺されてしまいます。

その2日後、7月13日。
薩摩・会津と長州が衝突する禁門の変が勃発。
朝廷は幕府に対し、長州征伐の命令を発します。

そして8月には、アメリカ・イギリスら連合艦隊が
下関に砲撃を加えます。
長州藩は国の内外から徹底的な攻撃を受けています。

幕府は10月に神戸海軍操練所を廃止し、
11月10日に麟太郎を罷免。
麟太郎の唱える挙国一致の考えが危険視されたためです。


麟太郎は江戸に戻ってきましたが、
竜馬たちは薩摩の西郷吉之助が引き受けてくれました。
どうやら西郷は、麟太郎に心底惚れ込んでいるようです。

その竜馬は、長崎で海運業を始め「亀山社中」を作ります。
そして、犬猿の仲とも言われる薩摩と長州の仲を
積極的に取り持ち、同盟を結ばせようとしていました。


慶応2(1866)年1月、長州の桂 小五郎は
京都の薩摩藩邸に西郷を訪ねます。
長州と薩摩が、手を結ばれようとしていました。

しかし桂は最後の最後でごねだします。
長州から同盟の話を持ち出せば
日本の表舞台で活躍している薩摩の下になってしまう。
ここは意地でも、薩摩から切り出してもらわなければ困る。

竜馬は、窮地に追い詰められている聴衆の気持ちをくみ取り
西郷にかけあって、長州を助けてほしいと頭を下げます。
その熱意に負けて、西郷は長州に歩み寄り
薩長同盟の締結へとつながります。

しかし、そうしたことで
その立役者・坂本竜馬は幕府に目をつけられてしまうのです。
寺田屋で襲撃を受けた竜馬は、命からがら逃亡します。


軍艦奉行に復職した麟太郎。
長州征伐の停戦をめあてに大坂に乗り込むと
すでに第二次長州征伐が始まった後でした。

士気の上がらぬ幕府軍は散々たる敗北で終わり
しかも将軍家茂が薨去したため、
幕府軍はさらに動揺します。

麟太郎は、幕府が大政奉還を進めるという約束で
長州藩を説得して停戦条件を呑ませることに成功しますが、
慶喜は朝廷に運動して停戦の勅命を得ることに成功。
憤慨した麟太郎は、御役御免で江戸に戻ってきてしまいます。

のち、慶喜は江戸幕府第15代将軍に就任します。


慶応3(1867)年10月3日、
大政奉還の建白書が土佐の山内容堂から提出されます。
そして10月14日、慶喜は朝廷に大政を奉還。
薩長の武力討伐を避ける捨て身の作戦であります。

竜馬は、新しい政府の要員について
「関白・三条実美」など事細かに人物を充てていきますが、
関白の左隣、「副関白」の欄が空白になっています。
「そこには徳川慶喜公が入るきに」

薩摩や長州にとっては敵方でもある慶喜ですが、
竜馬にしてみれば、大政奉還してくれた立役者です。
そんな慶喜を副関白に就任させるのは、至極当然なことです。

ただ、その考えが通れば幕府時代の権力は温存されたままで
討幕運動を中途半端なものにしてしまうため、受け入れ難しと
薩摩の大久保一蔵は、中村半次郎に龍馬暗殺を命じます。


──11月15日。

京都近江屋で中岡慎太郎と話していた竜馬は
十津川郷士を名乗って面会を求めた武士たちに襲撃を受け
即死します。


大政奉還が単なる名目に過ぎないと分かった薩摩と長州は
幕府軍のいる京に兵を差し向けます。

それに対して幕閣は薩摩藩三田屋敷の焼き払いを提案しますが、
彼らがやろうとしていることは私怨による仕返しでありまして
それを実行すれば必ず戦に発展するのは必定であります。

麟太郎は幕臣の中でも薩摩長州寄りだと嫌われているそうですが、
他の幕臣たちは徳川家大事のことしか頭にありません。
麟太郎の考えは、他の幕臣たちに受け入れられるわけもなく、
他の幕臣たちの考えは、麟太郎には受け入れられません。

麟太郎は再び、軍艦奉行の職を辞します。


慶応4(1868)年1月3日、鳥羽伏見において
薩摩長州軍と幕府軍が戦闘状態に入ります。
しかし朝敵に汚名を着せられた幕府軍は士気が上がらず
洋式調練が行き渡っている薩長軍に大敗。

慶喜は夜逃げ同様に京から江戸に逃げ戻ってきました。

慶喜は麟太郎を呼び出し、西郷や大久保と交渉して
戦を終わらせるように命じますが、
麟太郎はその話を断ります。

以前の西郷、大久保の立場であれば
麟太郎が赴いてそのような相談もできたでしょうが、
今は薩摩軍は錦の御旗の下にあり、官軍であって
容易に相談できる立場ではありません。

1月23日、陸軍総裁を任命された麟太郎は
慶喜に徹底恭順を説き、上野に謹慎することになりました。


日、一日と官軍は東に迫ってきています。
2月10日に桑名を制し、12日には名古屋入りを果たします。

麟太郎の使者として鉄舟山岡鉄太郎が
駿府まで東進した西郷と対面。
西郷は停戦の5ヶ条を示します。

 江戸城を明け渡すこと。
 軍艦を引き渡すこと。
 軍器一切を引き渡すこと。
 城中の人々を向島へ移すこと。
 慶喜を備前藩に預けること。

慶喜ひとりを備前藩に送るというのは
幕臣としては堪え難いことであります。

「朝命でごわす」と西郷は突っぱねますが、
できぬ条件を提示して受け入れられなければ
戦をするという卑劣なことを
天皇がさせるわけがありません。


3月14日、西郷吉之助と勝 麟太郎
両雄の対面は、田町の薩摩藩蔵屋敷で行われます。

麟太郎は、慶喜の助命嘆願の署名の束を西郷に手渡し
江戸城総攻撃だけはなんとか思いとどまるように
説得を続けます。

ここで戦をやめなければ、
今後の日本は永久に戦が止まらず
諸外国の食い物にされてしまうでしょう。
「戦を止められるのは、誰でもねえ、あンたですよ」

その思いに打たれた西郷は、
全軍に総攻撃の見合わせを命じて
大声で笑います。

4月11日、慶喜は謹慎のため水戸に向かいます。
江戸城明け渡しの朝のことです。

がらんと空いた江戸城で、麟太郎は
大久保忠寛と最後の時を過ごします。
「日は沈みますよ」


──麟太郎の仕事はおわった。

ペリー来航以来十六年、
幕末といわれる激動の時代は
やがて明治と改元される
新しい時代に受け継がれてゆく──。


原作:子母沢 寛
脚本:倉本 聰・中沢 昭二
音楽:冨田 勲
語り:石野 倬 アナウンサー
──────────
[出演]
松方 弘樹 (勝 麟太郎)

藤岡 弘 (坂本竜馬)
萩原 健一 (岡田以蔵)

小林 桂樹 (大久保忠寛)
津川 雅彦 (一橋慶喜)

加東 大介 (新門辰五郎)
大原 麗子 (梶久)

中村 富十郎 (西郷吉之助)
──────────
制作:伊神 幹
演出:中山 三雄・山中 朝雄・勅使河原 平八・伊予田 静弘
  :三井 章・加藤 郁雄・高松 良征・東海林 通

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