プレイバック勝 海舟・総集編前編
前回までお届け致しましたプレイバックシリーズ
『花神』『徳川慶喜』『翔ぶが如く』に続く作品は、
ちょっと設定時代がさかのぼりますが、
昭和49年放送のNHK大河ドラマ『勝 海舟』です。
勝 海舟は幕臣でしたので、どちらかといえば
長州藩とはあまり関わりのない人物ではありますが、
同じ幕末の時代設定で、その時代を
幕府側から見ていた人物ということで
ご紹介したいと思います。
原作:子母沢 寛
脚本:倉本 聰
音楽:冨田 勲
演奏:プラズマ・ミュージック
テーマ演奏:NHK交響楽団
テーマ指揮:岩城 宏之
殺陣:高倉 英二
時代考証:稲垣 史生
語り:石野 倬 アナウンサー
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[出演]
渡 哲也 (勝 麟太郎)
松方 弘樹 (勝 麟太郎)
尾上 松緑 (小吉)
久我 美子 (のぶ)
丘 みつ子 (たみ)
大谷 直子 (順)
垂水 悟郎 (島田虎之助)
南原 宏治 (箕作阮甫)
中村 伸郎 (都甲市郎左衛門)
西本 裕行 (永井青崖)
岩井 半四郎 (小林隼太)
小鹿 番 (三太)
古今亭 志ん朝 (丑松)
地井 武男 (岩次郎)
音無 美紀子 (柳)
藤森 達雄 (初五郎)
瀬川 菊之丞 (世話焼)
初瀬 乙羽 (世話焼の女房)
江守 徹 (杉 純道)
戸浦 六宏 (高野長英)
森 幹太 (江川英竜)
米倉 斉加年 (佐久間象山)
橋本 典子 (象山の女)
石橋 連司 (吉田寅次郎)
堺 左千雄 (下役人)
鎗田 順吉 (浪人)
渡辺 晃三 (浪人)
桂 文七 (南京玉すだれ)
浦川 麗子 (舟仙のおかみ)
木村 元 (岡っ引)
小倉 馨 (都甲邸の役人)
佐古 正人 (通訳)
下之坊 正道 (中島三郎助)
北浦 昭義 (佐藤与之助)
佐野 浅夫 (鉄五郎)
柏木 隆太 (三次郎)
大鹿 伸一 (山本金次郎)
森居 利昭 (三浦新十郎)
高田 裕史 (中山半三)
古川 信興 (久我鬼平)
鈴木 朗 (高柳兵助)
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小林 桂樹 (大久保忠寛)
大原 麗子 (梶久)
山内 明 (小曽根幹堂)
堀 雄二 (島津斉彬)
土屋 嘉男 (木村摂津)
柳生 博 (佐々倉桐太郎)
光枝 明彦 (田坂源左衛門)
堀越 節子 (久の母)
南州 太郎 (本田)
辻 萬長 (吉岡勇平)
野田 産吉 (鈴藤勇次郎)
坂口 芳貞 (郡司千左衛門)
小沢 幹雄 (中浜万次郎)
尾本 孝男 (関 鉄之助)
佐野 光洋 (金子孫三郎)
小倉 雄三 (有村雄介)
岡崎 二朗 (川南清兵衛)
和田 周 (五代才助)
L・フランセン (ホイットソン)
マリオ・モンテ (ベルスライケン)
ヴァン・クラーヌ (ディヨング)
ヤン・ディクリース (カッチンディーケ)
若駒
鳳プロ
劇団いろは
協力:運輸省航海訓練所
:東京商船大学
:石垣 安造
:小曽根 邦治郎
:野津 親男
:示現流
:薬丸自顕流
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制作:伊神 幹
美術:寺門 昶
:斉藤 博巳
:田嶋 宣助
技術:加藤 多満喜
:三村三三郎
効果:高橋 美紀
:鈴木 泰雄
:矢島 清
:浜口 淳二
演出:中山 三雄
:山中 朝雄
:勅使河原 平八
:伊予田 静弘
浅草新堀・島田虎之助道場で
防具をつけ、剣術の稽古で汗を流す勝 麟太郎。
二十歳前の青年であります。
蘭学修行に燃える麟太郎は、
江戸の蘭学者・箕作阮甫に弟子入りを願い出ますが
人格を真っ向から否定され、自ら願い下げます。
そして、黒田福岡藩の永井青崖の弟子となります。
父の小吉は、分からないことは息子だろうが堂々と尋ね
息子がやろうとしていることには最大限理解して
ポンと背中を押してくれるいい父親です。
息子をひとりの大人として認めているようにも見えます。
麟太郎は、道場との行き帰りのそれぞれ30分、
往復1時間がもったいないからと
島田道場に住み込むことにします。
そもそも麟太郎が志していたのは兵学でした。
虎之助が麟太郎に蘭学を勧めたのも
日本の旧来の兵学よりも西洋兵学のほうが優れていて
西洋による軍艦や大砲を使っての戦には
太刀打ちできないからこそ西洋に倣えというわけで、
蘭学という語学ができれば
その兵学も理解できる、というわけなのです。
西洋兵学の演習が行われるということで
麟太郎は虎之助とともにそれを見学。
鉄砲を使い、大砲を用いた戦ぶりに
麟太郎は何か得るものがあったようです。
しかし、幕府はそれを否定するでしょう。
単に、西洋嫌いという理由だけで
西洋兵学の強さ、素晴らしさを理解しようとせず
無益なものとして片づけられてしまいそうです。
その先頭に立つ
洋学者嫌いの鳥居忠耀(ただてる)が町奉行に昇格すると、
洋学を学ぶ者たちへの弾圧がますます激しくなり
麟太郎は禁足処分を食らってしまいます。
しかしその間にも、夜間にこっそり抜け出しては
勉学に励み続けたのだそうです。
弘化2(1845)年、禁足も解けた麟太郎は
芸者・おたみと恋仲になります。
そもそもは、禁足処分中に男たちに終われていた麟太郎を
おたみが匿ったのが出会いだったわけですが、
処分解禁後、おたみと再会したのです。
おたみは芸者なので、真っ昼間に出歩いていると
「よッ、用心棒!」と声をかけられて
おたみを奪いにくる町火消しの丑松たちなのですが、
麟太郎は素手で彼らに応戦。
それを見ていた武士が、先生を呼んで来いッ! と
手下の男を“先生”のところにやるわけですが、
その“先生”というのが父の小吉だったわけで(笑)。
丑松たちを仕留め終わって、
麟太郎がかわいらしい女性を連れてくるのを見て
小吉はキョトンとし、目が泳いでいます。
意外な形での父子の再会。。。
父上、どちらへお出かけです? と聞かれても
「ちょいとあちらへ」と言うのが精一杯。
なかなか愛嬌あるオヤジです。
のちに二人は結ばれることになります。
妹のお順を見初めた、という男が出てきました。
松代藩の佐久間象山です。
象山は博識で、頭の回転も速く
学問上では非常に優れた人物ではあるのですが、
男谷家を訪問してお順を正妻にと求めている割には
妾を連れて来たりする、ある意味むちゃくちゃな男。
しかも年齢は43、今までずっと独り身だったのだそうです。
「妹御のことを頼む」
そういう象山に、ポーカーフェイスの麟太郎も
さすがに顔を真っ赤にして怒ります。
ただ、最終的には本人の問題と、
麟太郎は象山のことはお順に任せ
最終的にお順は嫁に松代へ行くことになりました。
牢獄火災の際に脱獄して逃亡中の高野長英の著書を
麟太郎が幕府に隠れて読んでいることを知った小吉は
やんわりと麟太郎をたしなめますが、おかげで麟太郎は
公と私について深く考えるようになっていました。
麟太郎は幕臣であります。
ゆえに幕府のことを第一に考え、働く必要があります。
しかし、と麟太郎。
幕臣である前に、この国の人間であるわけです。
日本人なのです。
ということは、日本の行く末について
第一に考えなければならないわけで、
それを考えている時は、幕臣であることは
むしろ忘れなければならない。
幕臣である前に日本人である。
そう考えるならば、公は日本人、
私は幕臣ということになって
いわば、幕府のことなどはどうでもいい。
幕臣である以上、幕府のことは第一に、という考えの小吉には
麟太郎の考えはまったく理解できませんが、
お主の方が正しいんだろう、とため息まじりにつぶやきます。
沢 三伯という偽名を名乗っていた逃亡中の高野長英が
江戸に戻り、麟太郎に匿ってもらう手はずでした。
しかし麟太郎は「私は残念ながら幕臣です」と
匿えないことを伝えます。
長英は、それでいいんです、と姿を消しますが
私事である幕臣を取ったことに後悔の念が消えません。
嘉永3(1850)年9月4日、小吉没。
49歳でした。
依頼を受けて、鉄砲の図面を細かく引いて
500丁の製造に取りかかったころ
嘉永6(1853)年6月3日に、
黒船が浦賀沖に来航しました。
アメリカ大統領の国書を日本の皇帝に渡して去りましたが
翌年にその返事を受け取りに来る、ということを
約束することを忘れませんでした。
それに伴って、幕府はオランダから
軍艦を買い入れようとしているそうです。
象山は、自分がそう提言したことは蹴っておいて
後から自分の手柄のように方針決定しているのは納得できません。
ただ、象山は
軍艦は買い入れるものではなく作るものだ、と言い出します。
それを、象山の塾の入門者である吉田寅次郎が聞いています。
ここで脱線──。
佐久間象山役の米倉斉加年氏は
前にご紹介した『花神』では桂 小五郎役、
吉田寅次郎役の石橋連司氏は
『花神』では暗殺者の神代直人役。
その他にも、『勝 海舟』と『花神』の両作品に
出演している方々は多数おられますが、
一方では鬼のような役でも、もう一方で指導者たる役だったり
一方で誠実な役、もう一方でハチャメチャな役だったりすると
見ていてなかなか楽しいですw
脱線、失礼──。
寅次郎は、国禁を犯して海外に出ることを発案。
象山は、ジョン万次郎という前例があることをひらめき
難破船に救われて海外に行けばいい、とニヤリ。
幕府は、多くの諸藩や幕臣たちに対し
ペリー来航後の日本の進むべき道について広く意見を求めます。
麟太郎は7月12日、海防意見書をしたためて提出します。
嘉永7(1854)年1月16日、
ペリーは軍艦7隻を率いて再び浦賀沖に現れました。
幕府は今後の方針を立てられないまま
3月3日に神奈川条約(日米和親条約)に調印してしまいます。
寅次郎はペリー艦隊に乗り込んで密航を企てたものの
失敗し、事が露見する前に自主。
その1ヶ月後には象山が下獄しています。
目付・大久保忠寛が麟太郎に会いに来ました。
かつて提出していた意見書が大久保の目に止まったわけです。
オランダから買った軍艦を長崎の港に係留させていると知り
麟太郎はあれを活用して学校を開くべきだ、と熱く語ります。
いま日本に必要なのは海軍。
軍艦と、軍艦を扱える人材なのです。
海軍伝習所に入門するために
長崎に派遣されることになった麟太郎。
長崎で、お久という女性と知り合います。
安政4(1857)年3月、築地に軍艦操練所が新設されると
永井尚志ら多数の伝習生が築地に教員として移動します。
麟太郎は、薩摩の実情を探るべく咸臨丸で薩摩へ。
藩主・島津斉彬と面識を得ることになります。
安政5(1858)年5月3日、
日本とアメリカとの間に条約を締結することを
水戸斉昭が真っ向から反対を唱えます。
6日には大老の井伊直弼が
大目付・土岐頼旨や勘定奉行・川路聖謨を更迭。
20日には、目付役・鵜殿長鋭を左遷。
6月15日にはアメリカ軍艦が下田に入港し
19日には日米修好通商条約に調印してしまいます。
身ごもったお久でしたが、
体調が思わしくなくあえなく流産してしまいます。
お久が休む部屋に駆けつける麟太郎ですが、
長崎の商人・小曽根幹堂が慌てて駆けつけます。
「先日、島津の殿様が急死されたらしかです」
さらにその10日前には、徳川第13代将軍・徳川家定が亡くなり
今の日本は混乱を極めます。
大老・井伊による弾圧が激しさを増し
斉昭や大久保らが蟄居謹慎、頼三樹三郎や吉田松陰らが死刑──。
安政6(1859)年1月、麟太郎は江戸に呼び戻されます。
江戸軍艦操練所教授方としての江戸入りです。
そして翌安政7(1860)年1月、
麟太郎を乗せた咸臨丸は一路アメリカへ。
麟太郎37歳。
途中、暴風雨に巻き込まれて沈没か故障かというピンチにも
麟太郎の機転で何とか乗り越えます。
日本では、大きな事件が起きようとしていました。
3月3日に桜田門の外で決行──。
咸臨丸がサンフランシスコに到着した数日後、
弾圧の立役者であった井伊直弼が
水戸脱藩浪士たちの襲撃を受け、命を落とします。
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