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2016年1月10日 (日)

大河ドラマ真田丸・[新] (01)船出

天正10年(1582)2月、
甲斐の名門、武田家は最大の危機を迎えている。
信玄の死から9年。
ついに織田信長の侵攻を許した。
その先鋒が迫る山中を、
武田に仕える一人の若者が進んでいた──。


山奥を、一つの方角に向かって進み続ける若者ふたり。
源次郎と三十郎です。

馬のいななきに気づいて身を潜めると、
目の前には徳川の物見たちがひしめきあっています。
戻りましょう、と三十郎が言うのに、源次郎は先に進みます。
しかし足を滑らせ、徳川勢の目の前に落ちてしまいます。

何者!? と兵たちは槍を源次郎たちに向け警戒。
しかしその人の好さそうな表情を兵たちに向け
手を合わせたかと思うと、素早く馬に乗り
そのまま逃走を図ります。

当然、徳川騎馬隊はふたりを追ってくるわけですが……、

源次郎様、と呼ばれていた若者は、これより33年後
「大坂夏の陣」において徳川家康を自害寸前まで追い込み
日の本一の兵(ひのもといちのつわもの)と謳われることとなる
真田信繁、通称・真田幸村であります。

しかしそれは33年後の話でありまして、
今は徳川軍からひたすらに逃げるのみの少年15歳!


作:三谷 幸喜

音楽:服部 隆之

テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:下野 竜也
ソロヴァイオリン:三浦 文彰
演奏:フェイスミュージック

題字:挾土 秀平
語り:有働 由美子 アナウンサー

時代考証:黒田 基樹
    :平山 優
    :丸島 和洋
風俗考証:佐多 芳彦
建築考証:平井 聖
衣裳考証:小泉 寛明

殺陣武術指導:中川 邦史朗
所作指導:橘 芳慧
馬術指導:田中 光法
書道指導:金敷 駸房
仏事指導:安藤 実英
    :金嶽 宗信
資料提供:寺島 隆史

3D地図監修:シブサワ・コウ
戦国軍事考証:西股 総生
タイトル映像:新宮 良平
VFXプロデューサー:結城 崇史
特殊造型:マーク・ラッパポート

撮影協力:長野県
    :群馬県
    :和歌山県
    :山梨県
    :長野県上田市

撮影協力:長野県茅野市
    :長野県軽井沢町
    :長野県富士見町
    :長野県原村
    :山梨県韮崎市
    :山梨県北杜市
    :岩手県奥州市

──────────

[出演]


堺 雅人 (真田信繁)

大泉 洋 (真田信幸)

木村 佳乃 (松)

平 岳大 (武田勝頼)

中原 丈雄 (高梨内記)

藤井 隆 (佐助)

迫田 孝也 (矢沢三十郎頼幸)
高木 渉 (小山田茂誠)

稲荷 卓央 (跡部勝資)
 ─────
若駒
JAE

──────────

高嶋 政伸 (北条氏政)

遠藤 憲一 (上杉景勝)

榎木 孝明 (穴山梅雪)

温水 洋一 (小山田信茂)

吉田 鋼太郎 (織田信長)

劇団ひまわり
劇団東俳
テアトルアカデミー
エンゼルプロダクション
クロキプロ
キャンパスシネマ
フジアクターズ・シネマ
宝映テレビプロダクション

アニモプロデュース
ビビット
NO.9
フォセット
シネマクト
舞夢プロ

──────────

草笛 光子 (とり)

高畑 淳子 (薫)

内野 聖陽 (徳川家康)

草刈 正雄 (真田昌幸)

──────────

制作統括:屋敷 陽太郎
    :吉川 邦夫

プロデューサー:清水 拓哉
美術:丸山 純也
技術:伊藤 潤
音響効果:太田 岳二

撮影:平野 拓也
照明:久慈 和好
音声:渡辺 暁雄
映像技術:横田 幹次
VFX:釣木沢 淳
記録:津崎 昭子
編集:藤澤 幹子
美術進行:峯岸 伸行

演出:木村 隆文


冒頭のシーンですが、実は信繁の策士たるエピソードとして
ああいう風に敵をおびき寄せて、大量に討ち取った、とか
戦いを有利に運んだ、とか何かいうストーリーの仕掛けなのかな、と
ワクワクしながら見ておりましたが、本当に逃げていただけなのね(^ ^;;)


諏訪 上原城──。

武田信玄の息子・武田勝頼は、
織田信長の侵攻に備えて諏訪上原城におります。

北に上杉、東に北条、西に織田、南に徳川、と有力大名に囲まれ
勢力挽回のチャンスをうかがっていた勝頼でしたが、
義弟・木曽義昌らが突然織田方に寝返り
信長はこの機を逃さず、一気に兵を進めたわけです。

そして更に織田方へ寝返りが続出していまして、
織田勢は天竜川のあたりまで迫りつつあり。
穴山梅雪は、本拠地の新府まで退いて形勢を立て直すべしと主張。
他の家臣団たちは退くのをよしとせず、両者睨み合いとなります。

そこで勝頼から意見を求められた安房守、
武田家家臣で真田信繁の父でもある真田安房守昌幸は、
梅雪が提案した新府へ戻る策に賛成です。

木曽が寝返ったということは、西側、つまり
織田方に隣接している領地が丸裸という状態であります。
まずは本拠地に戻って力を溜め、その時をじっくりと待つ。
木曽討伐は、その後考えれば良いことです。

軍議の後、昌幸は嫡男・真田信幸に
一足早く新府城に戻らせ、徳川の動きを探るように命じます。
「西も大事じゃが……南が心配じゃ」


武田家臣である真田家は、甲斐新府城の城下に住んでいました。
戦国大名たちは、家臣たちの裏切りを防ぐために
家臣たちの家族を預かり、城下に住まわせていたわけです。
つまり、人質です。

真田館では、主人公・信繁、父・昌幸の他に
兄・信幸、母・薫、祖母・とりが暮らしていました。

そして今日は、小山田茂誠と、彼に嫁いだ姉の松が
真田館にやって来ています。
松は、武田家の未来を夫にいろいろ訊いていますが
「心配ですねぇ」と言いつつ、どこか他人事です。

信幸が新府城の真田館に戻ると、信繁が駿河に入って
徳川の物見に出くわした話を興奮気味にしています。
国境に迫っている徳川は、織田の動きに同調して
一気に攻め込むつもりかもしれない、と。

しかし、その話を不満そうに聞いている信幸。
織田との戦いが既に始まっている中で、
信繁の勝手な振舞いは非常に迷惑なのです。

信繁は、とりあえず兄に謝ってみせますが
口をとがらせて兄に訴えます。
「皆、西の織田勢ばかり気にしているので、
 南のことが心配になったのです!」

父と同じ考えに、信幸は何か手応えがありました。


昌幸が1ヶ月ぶりに新府城に戻って来ました。

武田から織田へ寝返った木曽義昌の家族が連行されて
磔にされたという情報を聞いた薫は、
まさか昌幸が武田を裏切るようなことはないよね、ね? と
何度も何度も念押ししています。

もし急に寝返ることがあっても、
すぐにでも逃げ出す準備だけは怠らない薫です。

とりも、真田庄に戻りたい、と駄々をこねますが
昌幸が設計して作り上げたこの新府城が
最も安全であると昌幸は胸を張って答えます。
「安心せい。この真田安房守がいる限り、
 武田が滅びることは決してない」

しかし、大事な話があるからと
場を変えて信幸と信繁がふたりで昌幸と向き合うと、
えっ!? とふたりは目を丸くして驚きます。
それは、武田が滅びることは決してない、とさっき言った父が
舌の根が乾かぬうちに「武田は滅びるぞ」と言ったからであります。

もちろん、武田家臣として、ギリギリまで攻撃を
食い止めるつもりですが、それにも限界はあります。
昌幸は、新府城さえも捨てるつもりです。
「……はぁ!?」

源次郎が勝手に偵察して来た、徳川の様子も
今時点での昌幸には全く興味がないそうで(^ ^;;)
南が心配、と言っていたのに、すごい心変わりが早いです。


持仏堂に勝頼と昌幸、梅雪が訪れます。

武田は自分の代でいよいよ滅びるのか、とため息をつく勝頼に
梅雪も昌幸も、自分たちがいる、と必死に励まします。
「富士や浅間の山が火でも噴かぬ限り、武田のお家は安泰」

そう言いはしましたが──、
2月14日、実に48年ぶりに浅間山が大噴火w
さすがの昌幸も、呆然としています。

「そりゃ火山ですから、たまには火も噴きましょう」
源次郎の分かったような分からないようなフォローも
あまり父には届いていないようです。

そこに、梅雪の手引きで
徳川勢が武田領内に乱入して来た、という急報です。
あれだけ君主に安心させておいて梅雪が裏切ったわけです。
しかもかなり前から織田・徳川と連携しての用意周到な裏切りです。


梅雪という大黒柱を失った後の緊急軍略会議では、
新府城に籠るか討って出るかで意見は分かれますが、
昌幸は、自分がもう一本の大黒柱、とアピールした上で
甲斐を離れて、上野の岩櫃城へ勝頼を迎える提案をします。

しばらく目をつぶっていた勝頼は、岩櫃へ向かう決心を固め
昌幸は、勝頼を迎え入れる準備を始めるため
一足早く岩櫃へ向かうことにします。

ひとまず新府城に待機している勝頼に、
小山田と跡部は、岩櫃行きを止めさせます。
真田は武田家臣となってまだ日が浅く、
昌幸の発言をそのまま信じて良いか分かりません。

小山田は、家中の総意、として
勝頼を甲斐国内の岩殿城へ移す手はずを整えます。


「明日、儂はここを発つ。岩殿へ参る。岩櫃ではない」
深夜、静まった新府城の真田館にやって来た勝頼は
昌幸の人質代わりでもある信幸と信繁にそう伝えます。

甲斐国主として甲斐国は捨てられない。
そういう苦渋の決断です。
そして、信幸や薫らの人質としての任を解く、と。
これは真田に、好きにせよ、ということでもあります。


3月3日、勝頼は新府城を出て岩殿城へ。

それに合わせ、小山田一族の茂誠に嫁いでいる松も
勝頼の命で人質の任を解かれ、茂誠と別れて
昌幸が待つ岩櫃城へ向かうことになりました。

そして信幸を筆頭とする真田一族も、新府城を出て岩櫃へ。
37里の距離はおよそ145.3km、歩けば3日の行程であります。

ふと振り向けば、先ほどまでいた新府城が燃えています。
新たな武田家の本拠となる予定であった場所です。
真田一族がいたのは約1年、
そして勝頼がいたのは約1ヶ月という短期間でした。


岩殿城へ向かう勝頼一行。
諏訪高島城もついに落城したことを知ると、
勝頼に付き従って来た兵が十数人、離反して逃走してしまいます。
新府城を出る時には600いた兵は、今やすでに100を切っています。

それでも気持ちを奮い立たせて先に進むと、
今度は小山田が織田へ突如として寝返ります。
岩殿へ通じる峠の木戸が閉められ、勝頼は引き返すしかありません。
「もうよい! もうよいのだ……」

名門・武田家の命運が、今まさに尽きようとしていました。
ひとつの時代の終焉、とでも言うべきか。

そして時代は大きく動き出します。

甲斐・信濃・上野を舞台に、戦国大名たちがしのぎを削る
『動乱の天正10年』の始まりであります。

北には、名将・上杉謙信から越後を引き継いだ上杉景勝。
東には、希代の英雄・北条早雲から数えて4代目、北条氏政。
南には、やがて真田一族の前に最大の敵として立ちはだかる徳川家康。
そして、史上空前の領土を手にし天下人として名乗りを上げた織田信長。

その中を、真田家の人々は小さく寄り添って岩櫃へ進んでいました。
徳川家の大名として、信濃松代藩10万石の礎を築く源三郎信幸。
そして後世、真田幸村の名で知られることとなる源次郎信繁。
戦国という大海原に、一隻の小舟が漕ぎ出しました。

舟の名前は──真田丸!


この『真田丸』放映に合わせ、
過去の大河ドラマをご紹介する視聴録「プレイバックシリーズ」は
昭和63年放送『武田信玄』と、
大河ドラマではありませんが、それに準ずる新大型時代劇の
昭和60年放送『真田太平記』でお届けして参ります。

同じ時代が描かれていますので、
その描かれ方の違いなども楽しみながら
読んでいただければと思います。

さらにこの『真田丸』でも、
『その時歴史が動いた』風にカウントダウンしていきましょか(^ ^)

今回は、真田信繁(幸村)が大坂夏の陣で討ち死にした
慶長20(1615)年5月7日に「その時」を設定します。


天正10(1582)年3月3日、
武田勝頼は新府城を放棄して
家臣・小山田信茂を頼り岩殿城へ逃れる。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと33年2ヶ月──。

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