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2016年1月12日 (火)

プレイバック武田信玄・[新] (01)父と子

わたくしは、武田 大膳大夫 晴信 入道 信玄の母でございます。

我が子晴信は、後の世に誤って伝えられること多く、
母として、我が子の名誉のために、
ここに真の生涯について物語り致しとうござりまする。

どうぞ、宜しくお聞き届けくださりまするよう、
心からお願い申し上げるものでござりまする。


我が甲斐国は、天に至る神々の峰によって
四方を囲まれておりました。

さりながら、戦国の世は果てしなく打ち続き、
我が子晴信もその中で成長し
この年16歳にして初陣を迎えたのでござりまする。

信濃国海ノ口を攻めたときのことでござりまする──。


脚本:田向 正健

原作:新田 次郎「武田信玄」

音楽:山本 直純

演奏:オズ・ムジカ
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:山本 直純

監修:磯貝 正義
時代考証:鈴木 敬三
     ─────
    :上野 晴朗

殺陣:林 邦史朗
タイトル題字:海老原 哲弥
衣裳考証:小泉 清子

振付:猿若 清方
京言葉指導:堀井 令以知
     :朝永 桐世
 ─────
協力:山梨県

語り(大井夫人):若尾 文子

──────────

[出演]

中井 貴一 (武田晴信)

紺野 美沙子 (三条の方)

大地 真央 (里美)

南野 陽子 (おここ)

真木 蔵人 (晴信(少年時代))

宮崎 萬純 (らん)
ジョニー 大倉 (鎌田長門守)

丹波 義隆 (石和甚三郎)
宍戸 開 (塩津与兵衛)

森田 順平 (今井兵部)
坂部 文昭 (鎌田十郎左衛門)

三上 真一郎 (前島伊豆守)
中村 七之助 (武田義信)

宍戸 錠 (原 虎胤)

児玉 清 (飯富虎昌)

美木 良介 (馬場信春)

小林 克也 (原 昌俊)

本郷 功次郎 (甘利虎泰)

大西 加代子 (よし)
みずき れい (とき)
落合 ひとみ (あい)

室井 奈穂子 (浅黄)
飯島 京子 (若狭)
伊藤 哲哉 (重蔵)

福原 秀雄 (住職)
藤原 稔三 (古川小平太)
山中 一徳 (三枝半兵衛)

岸田 今日子 (寿桂尼)

浜村 純 (倉科三郎左衛門)

財津 一郎 (太原崇孚)

中島 次雄 (平賀源心)
河野 勇二 (武士)
上野 重義 (武士)
小野 将平 (小坊主)

新井 一典
下坂 泰雄
吉田 幸紘
武田 佑介
きなめ ときえ

若駒
鳳プロ
劇団いろは
劇団ひまわり

小淵沢町のみなさん
小淵沢町乗馬クラブ
    のみなさん
 ─────
乗馬指導:石黒 建吉
    :田中 茂光

──────────

平 幹二朗 (武田信虎)


小川 真由美 (八重)


菅原 文太 (板垣信方)


西田 敏行 (山本勘助)

──────────

制作:村上 慧

美術:田嶋 宣助
技術:大沼 伸吉
音響効果:大和 定次

撮影:入倉 道治
照明:野下 清
音声:近藤 直光
記録編集:久松 伊織

演出:重光 亨彦


──天文5(1536)年 早春・甲斐国(山梨県)

初陣で緊張の面持ちの武田晴信。
その脇を固める、板垣信方と飯富虎昌。

武田軍の指揮を取るのは国主・武田信虎。
その脇に控えるのは原 昌俊です。

「若殿、落ち着かれよ」
少しでも刺激を与えないように
板垣がそっと言葉をかけますが……、

晴信の乗った馬が突如として走り出し
板垣や飯富、それに従う騎馬隊が必死に晴信を追いかけます。

ハッと我に返った晴信が馬を止めると
そこは敵陣の真っ正面。
放て! の声と同時に、矢が嵐のように降り注ぎます。
慌てて退く武田軍。

「小心者めが」
信虎は、晴信をバカにしたように
大きなため息をついてみせます。


その信虎は、(八幡太郎)源 義家の弟である
(新羅三郎)源 義光から数えて18代目の
甲斐国の守護大名であります。

このままいけば、晴信は“お世継ぎ”ということになるので
第19代当主という予定ではありますが、
どうやら信虎は、晴信をあまり評価していないようです。

それを知ってか、板垣は
晴信の武勇を飾れないまま撤収してしまった信虎に
晴信の部隊で海ノ口へ引き返し、夜討ちをかけたいと提案。

始めこそ、気遣い無用と断っていた信虎ですが、
あまりにも板垣が熱心に訴え出るものだから
信虎としても、渋々承知せざるを得ません。

海ノ口城に向かった晴信・板垣部隊は
見張りの者を弓で倒し、戦勝祝いの城内に足を踏み入れます。

本隊は奥へ奥へ進み、
城主・平賀源心の居室にまでたどり着きました。
平賀は兵たちを一気に倒す強者でしたが、
多勢に無勢、兵たちに串刺しにされてしまいます。

そこで晴信が、平賀の首を討ち取ったわけです。

撤収のとき、敵兵が隠れていないかどうか
開いていない襖戸をひとつひとつ開けて確認していきますが、
晴信がふと、開いていない戸を見つけます。

とはいえ、ガッと開ける勇気がなかったのか
戸に刀をブスッと差し込むと、何かに当たった感触と
ウッといううめき声を聞きます。

戸を開けてみると、そこにはひとりの女が座っていました。
晴信の顔を、何かを訴えるような目で見上げるその女。
肩からは大量に出血していました。


躑躅ヶ崎にある武田館に帰還した晴信・板垣たち。

出迎えるのは、館で働く家臣たちや
戦場から先に戻っていた家臣たち、大勢です。
母・大井の方、次男・信繁、三男・信廉も出迎えてくれます。

しかし、父からはいたわりの言葉ではなく
平手が飛んできました。
せっかく海ノ口城を落としたというのに、
城中に留まって武田家本隊の到着を待つべきなのに
その城を棄てて帰城したことを叱責しているのです。

「孫子曰く、兵は勝つを尊び、久しきを尊ばず」
手討ちにしようとする信虎にこの言葉を浴びせ、
晴信は戻っていきます。


後日、負傷した女を預けている寺に見舞いに行く晴信。

おここ、と名乗る女は川中島の農民の出でありながら、
海ノ口城にひとり入っていました。
親に売られ、平賀に買われたのだそうです。

おここの身の上を知り、晴信は
おここを愛おしく思うようになりました。


武田家の軍議では、自分が守護となっても
各地の豪族たちの不平不満が解消されないので、
力でねじ伏せたいと考えている信虎に対し、
連戦連戦で兵たちも傷が癒えず
戦はしばらく控えた方が……と進言する家臣たち。

信虎は全く聞く耳を持たず、
田植えが終わり次第出兵する! と家臣たちに命じます。

主のいなくなった大広間で、出陣までの2ヶ月間で
どうにか出陣を阻止する手だてを考え出そう、と
板垣たちは必死に頭をひねります。


土砂降りの日、躑躅ヶ崎館に知らせが舞い込みます。

駿河国主・今川氏輝と弟の彦五郎が
亡くなったという知らせです。
その知らせと同時に、
今川家の軍師である太原崇孚雪斎がやって来ました。

五男の今川義元が家督を継いだため、
これまでのいさかいを全て水に流して
改めて武田家と今川家の間に盟約を結びたい、
つまり縁続きになりたいと言ってきたわけです。

武田家から姫君を今川家に送ったとあれば、
それはつまり人質にほかなりません。
信虎は、今川家からもそれなりのものをいただけるのか、と
崇孚に脅しを入れることも忘れません。


「その方に嫁を取らせる」
その言葉に、ポカンと口を開ける晴信ですが、
あまり乗り気でないことは信虎には分かります。
寺に匿っているおここの存在はとうに知っているからです。

困ったものだ、と晴信をバカにしつつ
今川家の斡旋で京の公家・三条家から姫君をもらい受けることで
京とのつながりもできる、とかなりゴキゲンな信虎です。

三条家から姫君が到着する時までに
寺に匿う女を捨ててこい、と命じられた晴信は、
おここは匿っただけで何一つやましい関係ではなく
この婚儀に師匠を与えるものではない、と訴えます。

理屈ばかりを並び立てる晴信に、
信虎は怒りの炎を燃えたぎらせます。

ここは大井の方の計らいで、おここの身柄を申し受け
無事に過ごさせることを晴信と約束します。
ただし、晴信がおここと二度と会わないことが条件です。

いつも、晴信と語らい合っていた草原に
晴信が姿を現さなくなって、寂しい思いをするおここです。


一ヶ月後、三条公頼の次女が
晴信との祝言のため、京から甲斐へ向かいます。

この婚儀には、今川家の寿桂尼の計らいで進められまして
武田家も今川家も祝福ムードであればよかったのですが、
このころ今川家では、当主・今川義元の異母兄が
家督の座を狙い反乱を起こしていました。

その異母弟が入る花倉城が落ち、
重臣が討ち死に、異母弟も自刃して
反乱は終結に向かいますが、
取り逃がした残党が甲斐に逃げ込んだそうです。

寿桂尼は、今回新たに出来た縁を使って
信虎に、甲斐に逃げ込んだ今川の残党を
成敗してくれるよう依頼します。

逃げ込んできた残党を匿ったとされる前島伊豆守は
信虎に、残党たちを匿っている場所を教えようとはしませんでした。
立腹した信虎は、前島のみならず
その家族、一族に至るまで、全員を手討ちにします。

この事件がきっかけで、
武田家の多くの奉行衆が姿を消しました。
信虎の不正義で、甲斐を見捨てたわけです。


京より到着した姫は
この婚儀を本気で嫌がっていたようで、
世話役の八重が明るく励まそうと、
やる気を出させようと、気持ちが臥せっています。

それは晴信との婚儀が終わってからも同じで、
夜は晴信と一緒の床には入らないし、
朝餉夕餉の食事も一切とろうとしません。

年下である晴信を自分が思うように操って
早く世継ぎを生むこと、そして武田家家督を継いだ時こそ
その子とともに京に戻って天下人にさせる──。
八重は三条の方の耳元でささやきます。


信虎は、三条の方のご機嫌を取りながら
日本が描かれている屏風を進呈。
それを見ながら、信虎は三条の方に
姫ならどこを攻めるかと聞いてみます。

「まず、駿河」
駿河はこの婚儀を斡旋してくれた寿桂尼がいる
同盟国ではありますが、
駿河を落とせば、京への道が開かれる、と
のんびりな姫にしては豪胆な答えです。

ただ、侍女の八重はおここの存在を知っているようで
一方では、晴信は大井夫人との約束を破って
自分に正直に生きる、とおここと会っているそうで、
大井夫人は内心気が気ではありません。

そして晴信は、信虎にも
約束を違えておここと会ったことを
告白してしまいます。

約束を違えた罪は重い、と信虎は言いますが、
それから数日後、おここは何者かに襲われ
命を落としてしまいます。

翌年、娘を今川へ嫁入りさせて
今川家とのつながりを強くした信虎は
信濃国へ攻め入ります。


5年後・天文10(1541)年4月──。

晴信と三条の方との間には、嫡男の太郎義信が生まれ
いくぶんか平和な武田家になってはいましたが、
戦がないときの信虎は酒に溺れるようになってきていて
酒癖の悪さは、酷い時には誰も止められないほどでありました。

おここの墓の前で、晴信は
おここの生まれ故郷である川中島へいつか必ず連れて行く、
と約束して去っていきます。

その帰り際、晴信の前を猛ダッシュで駆けていく単騎あり、
家臣たちが止めるのも聞かず、
それに誘われるように晴信もついて行きます。

林の中で、晴信は
槍を持った農民たちに囲まれてしまいました。
その頭領らしき老人が口を開きます。
「倉科三郎左衛門と申す。降りられよ、逃げられはせぬ」

そしてその囲まれている様子を
遠巻きに見つめる男がひとり。
間者の山本勘助です。


この『武田信玄』でも、『その時歴史が動いた』風に
カウントダウンしていきましょうか(^ ^)

今回は、真田信繁(幸村)が大坂夏の陣で討ち死にした
慶長20(1615)年5月7日に「その時」を設定します。


天文5(1536)年11月、
武田晴信の初陣として
佐久郡海ノ口城を攻め城主・平賀源心を滅ぼす。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと78年6ヶ月──。

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