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2016年1月31日 (日)

大河ドラマ真田丸・(04)挑戦 〜真田徳川初対決・本能寺の変〜

織田信長に呼び出された昌幸は、信繁と諏訪に向かった。
真田が織田への徹底抗戦を唱えたことはすでに知られている。
果たして信長は昌幸を許すのか──。


天正10(1582)年3月20日、
真田昌幸一行は、信長に会うために諏訪法華寺に入ります。
真田は負けたわけではないのだと、昌幸は真田信繁に
決して下手に出てはならないと言い置きます。

寺の中には、徳川の葵の御門の旗も見られます。
徳川と言えば、昌幸が武田信玄から賜った「武藤喜兵衛」という名で
かつて三方ヶ原の戦いの時に戦った相手でもあります。
とにかく、今となっては懐かしい思い出です。

そこに室賀正武が登場します。
織田につく、と力説する昌幸に反発していた室賀ですが、
昌幸よりも早く織田に味方したちゃっかり者。

室賀は、昌幸と上杉とのつながりは
すでに信長の耳に入っていると脅しますが、
「上杉宛の密書を奪ったのはおぬしか?」と
昌幸はもう一周外側からの攻撃を仕掛けます。

まぁ、室賀はその問いには答えず
信長に追及されるであろうと脅したつもりですが、
昌幸には痛くもかゆくもなさそうですw

なかなかお呼びがかからないからと、
信繁は寺の中を歩き回っています。
そこで見たのは、徳川勢の弓立て。

いつ戦になってもいいように、徳川軍の弓は
生前と寸分も狂いなく立てられているわけですが、
そういう意味では、真田の弓立ての方が一歩先を進んでいます。
つまり弓立ての下に車をつけており、素早く大量に運べるというわけです。

そんな話を信繁がしているのを興味深く聞いていた徳川家康ですが、
信繁をたしなめていた昌幸と初顔合わせ。

三方ヶ原の時は敵対関係ではありましたが、
今ではもしかしたら同僚になるかもしれません。
昌幸は、信長が喜ぶような貢ぎ物を考えていて、
そのアドバイスを家康に求めます。

昌幸が、かつて自分に辛酸を舐めさせた「武藤喜兵衛」であることは
本多正信に教えられて知っているわけですが、
あえてそこはとぼけて、武藤を知らぬかと聞いてみます。
昌幸も「いや、存じませんなぁ」と、あえてとぼけてみせます。


真田の郷では、昌幸の留守を預かる信幸は
姉の松が梅に先導されてこっそり館から出て行くのを見てしまいます。
恐らくは、逃がしたはずの小山田茂誠と密会するためだと察知して
それを咎めるために姉たちの後をつけていくわけです。

堀田作兵衛に「いくら若殿と言えども!」と止められますが、
それでも強引に入っていく信幸。

そこには、松がひとりポツンと座っているのみです。
しかし、饅頭が2人分あるのを見て、
茂誠をかくまっている疑惑が確信に変わります。

「お松さま困ります! ここは男子禁制にしようと決めたではありませんか!」
もうまさに救世主! きりが乱入してきまして、小芝居を打ち
松も梅もそれに乗っかります。

「近頃かかとがカサカサになっちゃって──」
「あら! それはね、潤いが足りてないのよw」
「寂しさが募ると、荒れるって言いますよ」
本当に始まってしまう“女子会”w

黙って去っていく信幸ですが、帰り際に作兵衛に言い置きます。
「このような猿芝居、わしは好きではない」
父が戻るまでの間に茂誠の行先を決めておけ、と
信幸は猶予だけ与えます。


夕刻、ようやく信長に呼び出されます。

さんざん待たされたことに愚痴を言う昌幸ですが、
これまでもそういったことは頻繁にあったようで、
中には結局会えずに帰ってしまった者もいるようです。
そういう意味では、会えただけでも幸せなのかもしれません。

しかし、信長と対面する前に検閲が入ります。
つまり、嫡男織田信忠による面接です。

信忠は、昌幸から信長に宛てた書状と
昌幸から上杉景勝に宛てた書状を有しており、
信長に従うと表明しておきながら、上杉に助けを求める
その態度の本意を明らかにせよ、と命じられます。

上杉には服従を迫られたので、
しばらく時間が欲しいと返書にしたためてあります。

今、こうして信長に会いに諏訪まで出てきています。
その行動が、上杉の耳に入るのも時間の問題です。
耳に入れば、真田の領地がある小県を攻めるかもしれません。
そのようにさせないための、小さな布石であると昌幸は主張します。

四方を力のある国に囲まれた、自分たちのようなか弱い国は
そのようにして慎重に動かなければならないのです。

そして、攻められないようにするために送ったはずの書状が
今ここにあるということは、上杉に攻められないように
信長に守ってもらわなければなりません。

そこで、同席していた家康が口を開きます。
この、昌幸から上杉に宛てた書状は
もしかしたら信長の手に渡ることを意図して
したためられたものではないか、と。

昌幸は大笑いし、どうしてその必要がある? ととぼけますが、
控えさせている上杉家家臣・直江兼続を呼び出して
上杉が昌幸に服従を迫っているのか否かを問いただすと言い出します。
「しらを切って嘘と分かれば、許されませぬぞ」

昌幸は、嘘であればこの場で腹も切りましょうが
本当のことなので、そうもいかないと家康を見据えます。
「拙者の読み違いのようでござる。この書状、信じてもよろしいかと」
家康の言葉を受け、信忠は信長を呼んでくることにします。

足音が近づいてきて、信繁が見上げますと
そこにはバテレンの衣裳に身を包んだ信長が立っていました。

よき面構えじゃ、と言うと
信長は広間から出て行ってしまいます。
家康は、昌幸に向かってニンマリ。
「おめでとうございまする」


滝川一益は、真田の沼田城と岩櫃城を
滝川のものとすると昌幸に言い渡します。
昌幸は、真田の要である2つの城の明け渡しには難色を示しますが、
信長の意向とあっては抵抗することも出来ません。

沼田と岩櫃の2城を抑える真田は
信濃・上野の2国に所領を持つ有力国衆でしたが、
今、広大な上野国の所領を手放すことになったわけです。


信長との対面が終わり、
真田も武田から織田へ鞍替えできて信繁はホッと一安心。
そこに、信長の声が響き渡ります。
「もう一度申してみよ! もう一度申してみよ!」

駆けつけた信繁が見たものは、
信長が明智光秀を欄干に叩き付けて
折檻している様でした。

恐らくは、エピソードから
家康を歓待している最中に、ホッとした気持ちから
「我々も骨を追った甲斐があった」とか何とか言ったことが
信長の気に触ったシーンではないかと推察できますが、

信繁は急に不安になります。


さて、織田家に仕えることになった真田家ですが
世の倣いとして、安土に人質を出すことになります。
昌幸は、母(とり)をと考えていますが、信繁は姉・松を推薦します。

当然、人質を嫌がる松ですが
お付きの者や女中たちも伴わせますし、
その中に茂誠を紛れ込ませれば堂々と一緒にすごせることになります。

まぁ、もちろん夫婦であることは隠し通さなければなりませんが、
1〜2年ガマンしていれば、昌幸の怒りも解けることでしょう。
それまで隠れていてもらいます。

そして5月末、松一行は真田の郷から安土へ出発します。


安土城下は独特な賑わいを見せていました。
一般的な市で売り買いされているものだけではなく
洋服や洋酒などが出回っているのです。

6月1日、松は
安土城下に用意された真田の屋敷に入ります。
松を載せた輿を持つ男の一人に茂誠は選ばれ、
信繁が方々に手を回して、屋敷の中で働けるように手配します。

そして一行を先導してきた信繁は、しばらく安土にとどまって
信長が作り上げた街をいろいろと見て回るつもりです。


その夜、
天下統一を目前に、信長が死んだ──。


天正10(1582)年6月2日、
京都本能寺で、家臣の明智光秀に攻められ
織田信長が自刃する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと32年12ヶ月──。


作:三谷 幸喜
音楽:服部 隆之
題字:挾土 秀平
語り:有働 由美子 アナウンサー
──────────
[出演]
堺 雅人 (真田信繁)
大泉 洋 (真田信幸)
長澤 まさみ (きり)
木村 佳乃 (松)
黒木 華 (梅)
藤本 隆宏 (堀田作兵衛)
──────────
西村 雅彦 (室賀正武)
寺島 進 (出浦昌相)
中原 丈雄 (高梨内記)
榎木 孝明 (穴山梅雪)
段田 安則 (滝川一益)
吉田 鋼太郎 (織田信長)
──────────
草笛 光子 (とり)
藤岡 弘、 (本多忠勝)
高畑 淳子 (薫)
近藤 正臣 (本多正信)
内野 聖陽 (徳川家康)
草刈 正雄 (真田昌幸)
──────────
制作統括:屋敷 陽太郎
プロデューサー:吉岡 和彦
演出:吉川 邦夫


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『真田丸』
第5回「窮地」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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