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2016年1月 8日 (金)

プレイバック春の波涛・総集編後編

川上音二郎と貞たち川上一座の面々をサンフランシスコに誘い
貞を主役に勝手に仕立てて舞台を成功させたきた日系人興行師が
一座の利益を持ち逃げしてしまったため、
一座はたちまち放浪の一団となってしまいました。

汽車に乗る金もないので、食うや食わずやで線路をひたすら歩き
どうにかシカゴに到着しました。
しかしシカゴの劇場では、どこも冷たくあしらうばかりで
彼らへの門を閉ざします。

安いホテルを見つけ、
商売の話し合いがあるとホテルマンにウソをついて
一座全員が部屋におしかけ、夜露をしのぐという毎日。


貞は、このままじゃいけない、となりふり構わず
芝居できなければ一座は飢え死にしてしまいます、と
ライラック座の小屋主の娘にお願いに上がります。

貞を主演女優と勘違いした娘は父親に掛け合ってくれるのですが、
おそらく、貞のお芝居を見たいと言い出すに決まっています。
一応、一座には女形という立場の男優もいるわけですが、
外国ではそんな立場が通用するとは思えません。

小屋主のホットンは、一日だけ
貞たちに小屋を貸してくれる約束をします。
もちろん、貞が出演するという条件付きです。

セリフなんかしゃべったことない、と心配顔の貞ですが、
そこは一座が全力でサポートします。
その気になればできるから、との言葉に
貞はイヤな予感を感じながらも頷かざるを得ません。

貞をはじめ一座の者たちは、ほとんど食事が出来ていなかったので
とても舞台に立てるような体調状態ではなかったのですが、
それでもふらつきながらも舞台に上がり続けます。

貞も何度も何度も舞台上で倒れ込みますが、
それが逆に“迫真の演技”と認められ、大喝采を浴びます。
ホットンは、公演の上がり(利益)の50%を約束通り一座に払い
さらに舞台の出演契約もしてくれます。

これがきっかけとなり、
川上一座は行く先々で評判を勝ち取って行きます。


福澤桃介は『丸三商会』という会社を興し、
実業界の第一歩を踏み出していました。

順調さを表すような桃介の笑顔でしたが、
一枚の紙に目を落とすや否や、たちまち表情が暗くなります。
契約を白紙に戻したいというわけです。

桃介は会社の信用を取り戻すためにかけずり回りますが、
その信用失墜といった動きの中に、桃介は
義父・福澤諭吉の手がかかっていたことを知ります。

諭吉としては、よかれと思ってやったことですが、
桃介には単に誇りを傷つけられたとしか感じていません。
自分の言う通りになぜ動かないのか、と思う諭吉と
あンたのせいで貶められたのだ、と思う桃介が衝突します。

その間に立たされた房子は、父か夫かで揺れ動きます。

嫌になった桃介は、あてのない旅に出かけますが、
旅行先で再び喀血するほど、
桃介の身体は病魔に蝕まれていました。

看病に駆けつける房子ですが、
桃介がうわ言で貞の名前を呼ぶのを聞き
複雑な表情を浮かべます。


パリにいた音二郎一行。

折しもパリでは万国博覧会が開かれていました。
川上一座は博覧会会場内の舞台で公演を開きます。

公演はここでも大好評で、
貞は花形女優、スター女優の階段をまっしぐらです。
貞が来ている着物は“ヤッコドレス”と評判になります。

フランス大統領からも勲章をもらうなど
音二郎と貞は認められた存在になっていきます。

明治34(1901)年2月、一座は日本に凱旋を飾ります。

日本でももっともっと活躍していきたいと考える音二郎に
貞は、外国では行きがかり上、女優をやったけれど
自分は舞台に立つつもりはないと宣言します。


桃介と房子の気持ちは平行線のまま
諭吉は68年の生涯を閉じます。

しかし、桃介は諭吉の葬儀には出席しようとせず
福澤家の女中が桃介に説得に赴いても、動きません。
本当は恩人なので今すぐにでも飛んで行きたいわけですが、
諭吉の偉大さが桃介の息苦しさを生んでいることもあるのです。

桃介は、ひとり涙を流します。


貞は、新聞で自分のことが記事になっていることを知ります。
「女優貞奴、いよいよ来年二月 川上正劇出演決定」と
そこにはあります。

ここぞとばかりに音二郎は貞を説得し続けますが、
「金輪際、女優は……」と色よい返事はもらえません。
そうなれば、音二郎は演劇界から引退し
一座のことに関しても一切手を引くしかありません。

ごめんなさい! と飛び出した貞ですが、
行く先々で、知り合いの芸者たちが
自分を全力で応援してくれるのに心を打たれ、
舞台に立つ決心を固めます。

明治36(1903)年2月、貞は明治座公演で初舞台を踏みます。
それまでの演劇界に女優という概念がなかった日本で
貞の女優第一号誕生は日本に新時代をもたらす結果となります。


音二郎が進めていた演劇改革ですが、平坦な道ではなく
時として思わぬ妨害に遭うこともあります。

貞は、自分に続く後進の育成にも力を注ぎます。
女優養成所を開設したのです。
その一方で、自らは数々の舞台をこなし
日本の演劇界に女優の位置を確立していったのです。

貞の舞台を見た房子は、自分にはかなわない人だと
恋敵でありながら、徐々に貞を
尊敬の眼差しで見るようになります。


明治37(1904)年、日露戦争勃発。
やがて社会主義者の活動も始まり、
大逆事件へとつながる暗い時代へと突入していきます。

そんな中、音二郎は自前の劇場『帝国座』を完成させます。
しかし当然、建設費用は借金でまかなっていたため
一座の前途は多難であります。

貞は、ハムレットの出演者表に
「松井須磨子」という名前を見つけます。

長野県松代に生まれた須磨子は、
坪内逍遥の主催する文芸協会の第一回演劇研究生で
たちまち女優として彗星の如く頭角を現した人物で、
それは演劇界でも新たな衝撃であります。

「ただものじゃないね、あの松井須磨子っていう女優は」
貞がかつて演じた同じ役を須磨子が演じた舞台を見に行った貞は
大阪に帰る汽車の中で、音二郎に正直に感想を言います。


大阪に帰ったふたりですが、音二郎が急に倒れてしまいます。
盲腸炎が引き金になって腹に水が溜まっているようです。

音二郎の前では穏やかに笑っている医師ですが、
実は音二郎の病状は楽観できるものではなく
いずれは手術をしなければならないほどのものなのだそうです。
ともかく絶対安静、舞台に立つなどもっての他という診断です。


明治44(1911)年10月、帝国座公演『人民の敵』は
音二郎抜きで初日の舞台が開かれます。

安静にしている音二郎ですが、
食べたものをすべて吐いてしまうなど
衰弱ぶりが甚だしくなってきました。

「死にたくないンだよ……貞」
自分の後を継げるのは貞しかいない、と
今まで掲げて来た自分の心情を曲げないで
これからも続けて行ってほしいと貞に訴えます。

まだまだやり残したことがたくさんある、という音二郎に
貞は手術を勧めます。
音二郎が大活躍して働くのは、これからなのです。

自分の命を捧げてでも助かってもらいたい、
そう一心に祈りながら、夫の手術を見守ります。
しかし、その願いも虚しく容体はさらに悪化。
余命はおそらく数時間、明朝には──。

貞は、せめて舞台の上で死なせてやってほしいと
医師に懇願し、奥さんが言うならばと
ベッドに乗せられたまま帝国座に連れて来られた音二郎。

意識が混濁する中、偶然にも観客のひとりが
見舞いの手紙をしたためて帝国座へ持参して来てくれたようで、
貞は横たわる音二郎に読んで聞かせます。
「あンた……こんないい手紙もらって……」

音二郎は目を覚まします。
客の入りはどうだ……とつぶやいて
大入りですよ、と答えると、
ニッコリ笑って息を引き取ります。

明治44年11月11日、川上音二郎死去。
48歳でした。

音二郎の葬儀は、新派俳優が見守る中で盛大に行われ
桃介をはじめとする各界からも多数の参列者であふれ
その死を悼みます。

“後を頼む”という音二郎の遺言通り、
やっていく自信はありませんが
帝国座を存続させていくしか方法はありません。


音二郎を失った悲しみの中で、
貞は追善興行に全力を注ぎます。
川上一座も、帝国座の運営も、
貞の肩に重くのしかかります。

そこに、かの松井須磨子を
帝国座に出演させようという話が持ち上がります。
貞は、快諾するわけではないですが
ここは仕方なく受け入れることにします。

一ヶ月後、須磨子と島村抱月の一行が大阪入り。
帝国座の下見に訪れます。

須磨子は、貞奴さんが出演する次の舞台の企画、
立てているんでしょう? と疑問をぶつけます。
ええまぁ、と言葉を濁す貞ですが、
ここぞとばかりに声を大きくする須磨子です。

「舞台から遠のいておしまいになっちゃ、音二郎さんの
 操り人形だったのかって言われかねませんものね」
おんなの戦いが、始まっています。

気ばかり焦る貞ですが、
そんな貞の心の拠り所は、やはり桃介でした。

資金援助を買って出た桃介ですが、
ここは桃介の力を借りてはならないと
帝国座を売却し、川上一座も解散という選択をした貞。
やはり、女の手だけでは帝国座は維持できませんでした。


その後、貞は旅回り一座として細々と演劇を続けていました。
桃介は、その公演先に毎回現れるので
ウワサ話として、またたく間に取りざたされていきます。

桃介と貞が初めて出会ったのは、
桃介が19歳、貞が14歳の時です。
あれから26年の年月が経過していますが、
ふたりの関係性はさほど変わっていないようにも見えます。

桃介は、貞専用の小さな劇場を作ろうとしています。
音響効果設備もしっかりしているし、客席も100ほどあります。
「仮に“桃介座”とでも言っておくかな」
大喜びの貞です。

一方で、房子は須磨子たちを食事に招待し
同じその劇場のことを話しています。
その劇場を須磨子用として使ってもらえたら、という
希望的観測も込めて言うのですが、須磨子は大喜びします。

そしてそれぞれが、その小さな劇場を見せに来たわけで
貞と須磨子はそれぞれ相手が来るとは思わず鉢合わせしてしまいます。
貞と須磨子で火花がバチバチと飛べば
それはそのまま、桃介と房子の火花にリンクします。

大正2(1913)年、帝国劇場で初演し
ココでも歌った『カチューシャの唄』はレコーディングされ
空前の大ヒットを収めます。


「ここらで、そろそろ女優を引退したらどうだろうか」
貞は桃介から意外な提案を受けます。

湯浅麟介は、須磨子が現れたからって
女優を辞めることはないと説得しますが、
貞は正直、迷っています。

須磨子の圧倒的人気を前に、貞は
女優としての衰えを感じずにはいられなかったのです。
須磨子の後を追いかけるより、
この時ハッキリと引退を決意したわけです。

貞の引退興行は、桃介の資金援助もあって
大阪から始まって一年間の長期間続けられました。
そして大正7(1918)年の東京公演を持って、
貞はふたたび舞台に立つことはありませんでした。

兎も角も 隠れ住むべく 野菊かな


貞の引退後、桃介は貞を仕事のパートナーとしているようです。
女優第一号ということで、確かに財界にも顔が聞くし
それが貞という女性の生きがいだろうし、
桃介にはいろいろと都合がいいのです。

しかし房子は、それが不満で仕方ありません。
ひとりで生きていける力を持っている、と
桃介に言われた房ですが、桃介を睨みつけて言います。
「私は何としてでも、妻の座を守ります」


桃介の勧めで名古屋に居を構えた貞ですが、
その貞を訪ねて、東京から房子が現れます。

結局はその訪問の目的を打ち明けずに
東京に戻っていくのですが、
貞は、房子が自分に引導を渡しに来たのだと考えています。

桃介の、名古屋での仕事は房子にはとても手伝えません。
房子は東京にいるので、名古屋の仕事では
夫を助けてあげてほしい──。


須磨子の恩師とも言うべき島村抱月が亡くなり
その大きな存在を失った須磨子は、
翌月、自らの命を絶ちます。

大正12(1923)年9月1日、
関東一円は未曾有の大震災に見舞われ
日本経済は壊滅的な打撃を受けます。

桃介が木曽川に建設中であった大井ダムも影響を受け
彼は外資導入の活路を求めて海外へ向かいます。

貞は、桃介が無事に帰国することだけを祈りながら
神戸港から出発していく桃介を見送ります。

これまで歩んできた生涯を思い出しながら……。


──終──

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