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2016年2月16日 (火)

プレイバック武田信玄・(11)越後の虎

今から120年前(※)の慶応4(1868)年3月、
国内各地で官軍と幕府軍の戦いが繰り広げられた。
世に言う「戊辰戦争」である。
(※) 昭和63(1988)年の放映当時から数えて。

新しい明治の世の幕開けとなったこの戦いの最中、
ひとりの軍人が官軍の将として甲府城を占領した。

彼の名は板垣退助。
後に「板垣死すとも自由は死せず」の言葉を残した
自由民権運動のリーダーである。

この板垣退助こそ、武田信虎・晴信の二代に重臣として仕え
名称の誉れ高い板垣信方の子孫であると伝えられている。
官軍の将として甲府を攻めた板垣退助から歴史を遡ること300年、
いま信方は、奥信濃・上田原に壮烈な戦を開始しようとしていた。


村上義清を攻めると宣言した武田晴信に
板垣信方は反対を唱えます。
村上勢の力量を知らないまま戦をしかけるのは危険で
負ける可能性があるというわけです。

信濃の豪族・真田幸隆も
相手が死にものぐるいで戦えば苦戦するだろうと予想。
数ヶ月前の志賀城攻めで、負ければ男たちが首をはねられ
女たちは売られたという酷い記憶が残っているからこそ、
決して負けてはならないと必死になるというわけです。

それに対して武田軍は、自領から他国に攻め入るわけで
もちろん死にものぐるいではあるのですが
負けても領地が取られるという心配はありません。

少しでも早く信濃を平定したい晴信は
家臣からの助言に耳を貸さず、戦の準備を始めます。


天文17(1548)年2月、晴信出兵。

晴信がこの城を囲んで半月で落としてみせると豪語していると知って
迎える信濃葛尾城では、村上が晴信を小馬鹿にして笑います。

2月13日。
村上勢が2,000の兵で上田原に陣を張る様子です。
それを知った晴信は、城を落とす手間が省けたと
自軍も上田原に出るように命じます。

人馬奉行の原 昌俊は、葛尾城を囲む備えはしたものの
上田原に陣を張るための下調べはしていません。
上田原は敵にとっては裏庭のようなものなので、
地の利水の利など細かい部分でも熟知しているに違いありません。

だからこそ、調査が必要だと2日の猶予を求めますが、
晴信は聞き入れてくれません。
人馬奉行の勤めが果たせないと昌俊は切腹しようとしますが
それを皆が止め、その間に晴信は出て行きます。

原 虎胤は、お屋形様は勝ち過ぎたとため息をつき
飯富虎昌は、正念場になりそうじゃ、とつぶやきます。
板垣は、死んではならぬと昌俊に言葉をかけます。
「お屋形様を末永く見守るのじゃ。よいな」


2月14日。
敵軍の偵察がてら、板垣は甘利虎泰と二人きりになり
晴信の前では決して言えない本心を吐露します。

信虎の暴君ぶりを嘆いて駿河に追放した晴信でしたが、
このままでは信虎の時代に逆戻りしてしまいそうです。
それだけ、国主という権力の道は難しいのかもしれません。

「我らも老いた。ここが死に場所だな」
晴信の合図で、板垣は敵陣の東側を奥に攻め入り
甘利は西側の端から攻め込むことにします。


晴信からの合図があり、
先陣の板垣は突進して敵陣深くに攻め入ります。
騎馬隊が通過していった草むらから、敵の雑兵たちが出てきて
板垣隊を追いかけ、挟み撃ちにする戦法です。

果敢に戦っていた板垣でしたが、
敵の兵が多く、串刺しにされてあえなく戦死します。

そして勇敢に戦っていた甘利も、
敵の鉄砲隊に狙撃され落馬して命を落とします。


板垣、甘利両名の戦死の報が晴信にもたらされ
晴信は言葉を失います。
板垣を失った東側が敵に押されているので
隣の馬場信春隊に救援せよと命じるのがやっとです。

思いのほかショックを受けている晴信に代わり
弟の武田信繁が、人馬奉行の昌俊に
撤退の指示をと命じますが、このまま撤退すれば
味方は総崩れになってしまう危険性があります。

昌俊が250の兵を連れて敵陣の裏手に回る間に
本隊は少しずつ少しずつ退くように助言しますが、
それでも晴信は本陣を退こうとはしません。


板垣と甘利の遺体が武田本陣に運び込まれます。
晴信と無言の対面です。

板垣、甘利を失っても兵を引こうとしない晴信。
家臣たちも、そして大井夫人も撤退を助言するものの
晴信は全く聞かず、ふたりの仇を討つと
それから20日あまりも村上勢とにらみ合いを続けます。


躑躅ヶ崎の館を出て尼寺に入り
晴信の様子を2年間見てきましたが、
晴信のやり方には少々危ういものを感じていた大井夫人。

「板垣、甘利を討ち死にさせたのは、そなたの罪じゃ」
家臣たちが言いにくいことを、母はストレートに伝えます。

戦をして国を広げていくのは男の甲斐性ではありましょうが、
戦う度に多くの兵を失ってきた現実があるわけで、
年に2度も出兵し、その死者の山を築いて
国を栄えさせるなど聞いたことがありません。

うつむいていた晴信が顔を上げ、
母の助言を受け入れます。


そのころ、越後国に荒武者が現れます。
長尾景虎、後の上杉謙信です。
その傍らには、
兜に『愛』の字を掲げた直江実綱が控えています。

この年の12月、景虎は兄の長尾晴景を滅ぼし
越後守護代になって春日山城に入ります。

晴信は景虎と生涯を宿敵として相対することとなりますが
何一つ通じるものがなかったわけではありません。

そのことはまたの機会に。


天文17(1548)年2月14日、
武田晴信の重臣・板垣信方が上田原の戦いで先陣となり
緒戦で村上義清勢を破るが、逆襲を受けて討死する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと67年2ヶ月──。


脚本:田向 正健
原作:新田 次郎「武田信玄」
音楽:山本 直純
タイトル題字:渡辺 裕英
語り(大井夫人):若尾 文子
──────────
[出演]
中井 貴一 (武田晴信)
柴田 恭兵 (長尾景虎)
紺野 美沙子 (三条の方)
大地 真央 (里美)
南野 陽子 (湖衣姫)
──────────
村上 弘明 (源助)
宍戸 錠 (原 虎胤)
児玉 清 (飯富虎昌)
美木 良介 (馬場信春)
小林 克也 (原 昌俊)
本郷 功次郎 (甘利虎泰)
──────────
上条 恒彦 (村上義清)
結城 美栄子 (たき)
橋爪 功 (真田幸隆)
──────────
宇津井 健 (直江実綱)
小川 真由美 (八重)
菅原 文太 (板垣信方)
──────────
制作:村上 慧
演出:重光 亨彦

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