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2016年3月14日 (月)

プレイバック武田信玄・(19)三国同盟

第二次世界大戦は、
アメリカ・イギリス・ソビエトを中心とする同盟国と
日本・ドイツ・イタリアを中心とする
数十国との世界的な戦争であった。

古来、国と国との関係は
政治的な主義主張や、経済的な利害で結びつき
あるいは決裂し、複雑な歴史を繰り返してきた。

戦国時代、各大名は
姻戚関係で国同士の結びつきを強めてきた。
武田晴信の姉・於豊、嫡男義信は今川家と婚姻関係を結び
北条氏康は今川家から妻を迎えていた。

甲斐・駿河・相模の三国は強い絆で結ばれていた。

しかし、この三国の周りには
長尾・上杉・織田などの強大な勢力が控えていた。
ここに、北条氏康の相模、今川義元の駿河、
そして武田晴信の甲斐──。

三国は、今新たに堅く結ばれようとしていた。


天文23(1554)年・春──。

かつて原 虎胤が連れて来た源助には
いつの間にか“春日”という苗字がついていたわけですが、

これまでの戦功の恩賞として
弾正尉(だんじょうのじょう)という位を与え、
さらに晴信の片諱を遣わして『春日弾正尉昌信』と名乗らせ
150人の兵を持つ侍大将とすることになりました。


駿河より岡部美濃守がやってきました。
北条氏康が駿河の奥深くまで攻め入る気配があり
同盟国である晴信に援軍を頼みにきたわけです。

晴信としては、無論頼まれれば援軍は出す立場ですが、
武田家と北条家は今のところ平穏でありますので、
武田が今川の味方をして北条と戦うのは本意ではありません。

晴信は岡部に、和睦を勧めてみます。

第三者としてみても、今川と北条の戦いは
今川は織田を背にしての戦いであるし、
北条は越後を背にしての戦いでもあるし、
利益になるようなことがなさそうなのです。

岡部は、今や今川と越後で北条を挟み撃ちにしている状況なので
そこに武田が加われば、一気に潰すことが出来るとニンマリしますが、
晴信は表情一つ変えません。
「言うは易し、行うは難しじゃ。北条殿の底力、甘く見てはならぬ」

結局、晴信は弟の武田信繁を総大将に
800の兵を今川に援軍として送り込みます。
ただ、今川義元は、晴信が出陣しなかったことで
少々ご立腹であります。

晴信としては、いま北条を潰すのは損です。
単に長尾景虎が儲かるだけの話なのです。
ゆえに、北条氏康にそれが伝わるように
弟を遣わしたわけです。

このままでは脇腹を突かれるような格好の北条は、
初めて対戦する武田の動きなどを見たいととりあえず様子見。
物見の報告で、武田の総大将が信繁だと知り
氏康はあらゆる可能性を考えます。

今川からの援軍依頼であれば晴信が出陣するのが礼儀。
それを弟に任せるということは……、

・越後勢の動きを封じるために、晴信が甲府に残っている
・今川との間に何かある
・この戦自体を捨てている
・新たに大軍を率いて北条勢の背後に回り、
 手薄となっている小田原を攻撃する

ともかく、晴信の本意を知りたいところです。
氏康は、甲府にラッパを送り込むことにします。


武田の躑躅ヶ崎の屋形には、今川から寿桂尼が訪問中です。
「今度の戦、和睦に導いてくだされ」

寿桂尼が駿府を出る時に、戦場の義元宛に書状を送ったので
寿桂尼のこの行動は義元は分かっているはずですが、
逆に言えば、義元の意向は分からないわけです。

ただ、今回の戦は義元から仕掛けたものではないので、
和睦できれば義元は反対はしないはずです。
ただ、和睦して北条に兵を引かせる方が
戦を続けるよりも数倍難しいので、
寿桂尼は晴信を頼って来ているわけです。

「しばしのご猶予を」
晴信は寿桂尼を見据えて答えます。


北条、そして武田とも敵対関係にある景虎は
北の海から上洛し、天皇にも拝謁したそうです。

景虎の敵は朝敵とし、世に正義を示せと言われたそうで
景虎としては、一日も早く北条や武田と戦って潰したい考えですが、
景虎が京から越後に帰ってきてみれば、
家臣同士の土地争いなどで越後国内は乱れに乱れています。

国内が乱れている今、他国へ戦に出ている場合ではありません。
景虎は、今こそ他国に攻め入るチャンスにそうできない
発端を作っている家臣たちの不甲斐なさを嘆いています。


晴信から北条へ和睦の書状が届けられます。
氏康は、この和睦の書状により
晴信が義元と一心同体ではないということを見抜きます。

一方で義元は、寿桂尼が動きすぎると不満顔です。
自らが和睦を思う時、和睦がなるし
自らが天下を思う時、天下がなる。
戦のことはお任せあれ! と怒って出て行ってしまいます。


武田から真田幸隆が、北条から松田憲秀が、
そして今川から岡部美濃守が各家の名代として集まり
和睦の話し合いをします。

幸隆から出た案は、三国に新たな縁を結ぶ──。

氏康は、悪くはない話だと乗っかることにします。
「やがては駿河・甲斐を我がものに」

初めは和睦に反対していた義元も、
自分がいずれ上洛するためには背後の敵の存在がいかにも邪魔だと
和睦を前向きに捉え始めます。
「北条・武田の山猿どもに、目をつぶるか」

今川・北条と手を組んでおけば、
しばらくは背後の敵のことを考えずに越後と戦えます。
「相模・駿河のあの海は、いつの日か我が掌中に」


数日前、名代たちが集まった善徳寺で、
北条氏康、今川義元、そして武田晴信が
対面することになりました。

同盟を結ぶと言いつつも、三人の間には
かなりのピリピリムードでw

義元が、ここから見える富士山の姿が正面だとし
他国からはこうは見えぬと胸を張れば、
負けず嫌いな氏康は、富士山が少々近すぎると主張。
(遠くからしか拝めない者のひがみだと氏康は笑い飛ばしますが)

甲斐から見える裏富士も趣深いでしょう、と
義元は晴信にケンカを売り、
甲斐では誰一人として裏富士などとは言わないと
晴信は売られたケンカを買っています。

まぁ、それはそれとして。

義元の嫡男・今川氏真には北条から姫を嫁がせ、
氏康の嫡男・北条氏政には武田から姫を嫁がせ、
晴信の嫡男・武田義信には今川から姫が嫁いでいるので、
これで三国は新たな縁で結ばれることになりました。

「いつの日か、景虎との戦ではご助力いただくかもしれぬ」
「こちらこそ」
ニッコリ笑った氏康は、相模に戻っていきます。

晴信は、帰ろうとする義元を引き止め
この和睦の引き出物に山本勘助の妻子を
駿河から甲斐にもらい受けることにします。


天文23(1554)年夏、
甲斐・相模・駿河の三国で同盟が結ばれる。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと60年──。


脚本:田向 正健
原作:新田 次郎「武田信玄」
音楽:山本 直純
タイトル題字:渡辺 裕英
語り(大井夫人):若尾 文子
──────────
[出演]
中井 貴一 (武田晴信)
柴田 恭兵 (長尾景虎)
紺野 美沙子 (三条の方)
古村 比呂 (於津禰)
──────────
村上 弘明 (春日昌信)
児玉 清 (飯富虎昌)
篠田 三郎 (飯富三郎兵衛)
橋爪 功 (真田幸隆)
──────────
中村 勘九郎 (今川義元)
井上 孝雄 (松田憲秀)
岸田 今日子 (寿桂尼)
──────────
平 幹二朗 (武田信虎)
宇津井 健 (直江実綱)
小川 真由美 (八重)
杉 良太郎 (北条氏康)
──────────
制作:村上 慧
演出:一井 久司

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