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2016年3月18日 (金)

プレイバック武田信玄・(20)二百日の対陣

敵を知り己を知れば百戦危うからず──。

現代野球では、先々対戦するチームの
戦力や調子を調べることが重要な戦略の一つである。

戦国の諜報部員、彼らに与えられた名は数知れない。
乱波(らっぱ) 透波・素波(すっぱ)
草 のきざる 忍びの者 隠密 etc.
いずれにせよ、いわゆる忍術使いではなく
スパイ活動や噂をバラまくなど情報活動を主としていた。

戦国大名のなかでも、晴信はこの情報戦を重視し
乱波たちの他にも、僧侶・山伏・商人など
あらゆる人間たちを使って情報を集めていた。
その武田情報部の要となったのが、山本勘助である。

三河国、今の愛知県に生まれた勘助は武芸百般に優れ
日本中を歩いてその事情にも通じていた。

そしてもうひとり。
あの猿飛佐助・霧隠才蔵を従えた真田幸村の
祖父にあたる人物がいる。
信州忍者軍団を率いる真田幸隆である。

真田幸隆と山本勘助。
この類いまれなる参謀を得て、
甲斐は一大情報王国となったのである。


北条(きたじょう)城城主・北条高広が挙兵するという情報を
山本勘助が持ち帰ってきました。
相当な金銭を持たせ、武田が全力で
バックアップすることを約束させた上での挙兵です。

高広の目指す相手は、越後の長尾景虎であります。

越後国内が、家臣同士の諍いなどで乱れている中
景虎が上洛をしたことで相当な金銭を使ってしまい
新たに税をかけたところ、不満が噴出しているとか。
高広もそのひとりなのであります。

はたして高広は景虎に対して謀反を起こし
挙兵して春日山城に進軍、
武田軍も善光寺平まで兵を進め、
越後に迫らんとします。

「神をも畏れぬ晴信め」
景虎は、戦の準備を始めます。


しかし、武田晴信は戦う気などさらさらありません。

越後方面へは、武田の大軍が来るぞと噂を流させ
飯富三郎兵衛と真田幸隆に部隊を少数与えているだけです。
もちろん、このことは高広は知るはずもありません。

高広に景虎を攻めさせれば、景虎はひとり重臣を失うばかりか
越後国内で戦わざるを得ず、損失は大きくなっていきます。
高広を騙したと言われればそれまでですが、
晴信に言わせれば、騙される方が悪いだけです。

武田信廉は、そのような騙すやり方は好きではありませんが、
騙さなければ、こちらの兵をたくさん失ってしまいます。
どんな手を使ってでも、損失少なく戦うのみです。


こんな時にも、飯富虎昌と八重の密会は続いています。

八重は、京の都に立てる日を夢見ているので
虎昌に、晴信の目標を西に向けさせてほしいと甘い声を出します。

以前は、虎昌も嫡男義信の傅役として、その母(三条夫人)の
侍女である八重には頑としても手を出さずという感じでしたが
今では来る者は拒まずという感じで、八重を抱き寄せるありさま。

しかしその密会は、誰かにしっかりと見られております。


結局、高広の謀反は
2ヶ月程度で景虎によって鎮められます。

景虎は高広を問いつめますが、
どうやら晴信にそそのかされて謀反を挙げたようです。
景虎は、晴信にだまされないためにも高広を無罪放免とし、
心を入れ替えて尽くせと言葉をかけます。


山本勘助は、越後から木曾に向かう忍びから
木曾家へのメッセージを抜き取ります。
それによれば、景虎は春に挙兵するので
どうか加勢いただきたい、というもののようです。

真田幸隆に、木曾への往来を断たせ
城主・木曾義康が身動き取れないように先手を打ちます。

「そのお役目はそれがしに」と言う勘助に、
勘助が不在の間、勘助の館を建てさせたから
そこで少し休めと晴信は伝えます。

近習に連れられて、建ったばかりの家を見る勘助。
玄関には、わらじが二足──。

妻・きぬと、子・勘市が
駿河から引っ越してきていたのです。

もともと駿河で生活していた勘助ですが、今川義元から
表向きは武田の家臣、でも心は今川の家臣として……
という二重の諜報活動を命じられ、
それ以来、勘助は甲斐の長屋でひとり暮らしていたのです。

長年、苦労をかけた、と勘助はふたりに謝ります。

お礼言上に現れた勘助に、晴信は
以降は武田の武士として扱うこととし、
重臣として軍議の列席に加わる許可を出します。


虎昌の館に、弟・三郎兵衛が訪ねてきました。

虎昌と八重との間に噂が立っていまして、
それを忠告しにきたのです。

虎昌は、はじめはとぼけるのですが
三郎兵衛も、妻のまさも知っていることだと知ると
「もう終わったようなものじゃ」と白状します。


晴信は景虎の動きに合わせて、
天文24(1555)年3月に甲斐を出発。
途中、信濃で軍勢を加えながら
川中島に到着した時には1万余りの大軍勢となっていました。

景虎は、村上義清や北信濃の軍勢を加えて1万。

しかし、今回は川中島を挟んでの長期間のにらみ合いとなり
春から夏、そして小競り合いを挟んで秋に突入します。

農民兵の中には、田舎に戻って稲刈りをしないとと
戦場から脱走を図るものも出始めております。
しかし、そんな事情が認められるはずもなく
戦場に残らされるわけですが、

今川義元などの仲介もあり、
200日のにらみ合いで晩秋に兵を引くに至ります。


弘治元(1555)年 閏10月15日、
第二次川中島の戦い。駿河の今川義元の仲介で
和睦が成立し、武田・長尾両軍は撤兵する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと59年6ヶ月──。


脚本:田向 正健
原作:新田 次郎「武田信玄」
音楽:山本 直純
タイトル題字:渡辺 裕英
語り(大井夫人):若尾 文子
──────────
[出演]
中井 貴一 (武田晴信)
柴田 恭兵 (長尾景虎)
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村上 弘明 (春日昌信)
宍戸 錠 (原 虎胤)
児玉 清 (飯富虎昌)
小林 克也 (原 昌俊)
篠田 三郎 (飯富三郎兵衛)
──────────
橋爪 功 (真田幸隆)
佐々木 すみ江 (とら)
勝野 洋 (大熊朝秀)
──────────
宇津井 健 (直江実綱)
小川 真由美 (八重)
西田 敏行 (山本勘助)
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制作:村上 慧
演出:大森 青児

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