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2016年4月 3日 (日)

大河ドラマ真田丸・(13)決戦 〜決戦上田城! これぞ天下に名高き真田兵法! 徳川7千vs真田2千! 愛しき妻 涙の六文銭旗〜

源次郎信繁は、上杉の人質となった。
これによって、真田は改めて上杉と手を結ぶ。
徳川家康との決戦が目前に迫っていた──。


上田城決戦を前に、上杉家人質の真田信繁は
当主・上杉景勝の許可を得て海津城に入りますが、
直江兼続が用意したという上杉の援軍を見て、唖然とします。

100名ばかりという数はともかくとして、その実は
年端もゆかぬ子どもたちやヨボヨボの老人ばかりだったのです。

ありがた迷惑、と思いつつ、
預かった彼らを無事に生きて帰すために
信繁はいろいろと考えてやらねばなりません。

徳川家にいた真田昌幸の弟・信尹ですが
徳川家康から「このまま囚われ人になるか」
「真田を捨てて徳川家康の家来になるか」の二者択一を迫られます。

ここでは、真田に帰るという選択肢は、どうやらないようです。


天正13(1585)年8月、
7,000の徳川勢が神川を挟み上田城の向かいに陣を張ります。
総大将は、鳥居元忠であります。

鳥居は、まずは真田に降伏のチャンスを与えようと
沼田城を引き渡せば撤兵する、と降伏を促します。

その書状を受け取った昌幸は、さほど興味は示さずに
この返事を待っている間は時間を稼げる、と
堀田作兵衛たちに、町の大通りに急いで乱杭を打ち込ませます。
城の北に抜ける路地にすき間なく杭を打ち込み、
厳重な柵にして通行止めにしてあるわけです。


その打ち込みの現場から、手伝いに出ていた梅が
慌ただしく上田城に戻ってきます。
おっぱいぐらい誰かに頼めばいいのに、ときりは言いますが
梅は自分の乳で育てたい、と聞きません。

まさに、母は強し、ですね。

そんな様子を見て、信繁の母である薫は
乳母の乳で育てれば自分に懐かないかもしれない、と
自分の乳で育てた経緯を思い出し、
梅にいろいろとアドバイスします。

「良い子を産んでくれました。早く源次郎に見せてやりたいこと」
身分にこだわる薫でしたが、
その隔たりは薫自身が取っ払ったようです。


7,000の徳川軍に真っ正面からぶつかっても
2,000の真田軍には勝ち目はありません。

よって、大軍を横に細長く伸ばすことができれば
たとえ少ない兵であっても容易く切り崩すことができる、と
昌幸は、餅を細く伸ばして細かく切っていきます。

だが、駒がひとつ足りぬのだ。これでは勝てぬ……と
呆然とする昌幸のところに、信繁が元亀よく帰ってきました。
「……勝った!」

真田信幸の手勢は夜のうちに戸石城に入り待機。
信繁は河原へ行って徳川勢をからかい
怒った徳川勢と戦うそぶりを見せつつも徐々に撤退して
上田城下に誘い込もうという作戦です。

大手門から城内に入った信繁を追って
徳川軍は大手門から二の丸に向かって来ます。
しかし敵にとっては迷路そのものでありまして
その動きが鈍ったところで昌幸が本丸から本軍で正面を攻撃。

すると敵は城から我先にと逃げて行きます。
そこで待機させておいた信幸軍が戸石城から上田城下に向かい
城から逃げて来た徳川軍の横に突っ込むのです。

最後の仕上げは出浦昌相でして、
せき止めていた神川の堰を切って
徳川軍の退路を断てば完璧です。


信繁が春日山城から帰って来た、と作兵衛に聞いて
梅は上田城に向かいます。

ただ、その途中、村の者たちはみんな
上田城内に避難したというのに、大声で泣いている男の子がいて
家の中にあるお守りを取って来てほしい、と言い出します。

実はその時、梅のすぐ後ろを信繁が通りかかっているのですが
お互いがお互いの存在に気づかぬまま、すれ違いです。

そのお守りらしきものの中身を確認した梅は
その男の子と銭で交換し、譲ってもらうことに。
そしてそれをきり経由で信繁に渡してもらいます。


信繁が中身を改めると、銭が6枚出てきました。
六文銭です。

真田の家紋は、雁金(かりがね)と六文銭の2つありまして
六文は三途の川の渡し賃、という意味です。
縁起でもないようにも思えますが、悔いのないように
心置きなく働けということなのです。


徳川軍の対岸に着いた信繁は
大きな大きな真田の六紋銭の旗印を掲げ
「高砂」を謳い出します。

♪高砂や この浦船に帆を上げて
 月もろともに出潮の 波の淡路の島かげや
 遠く鳴尾の沖過ぎて はや住の江に着きにけり

信繁が旗を大きく振りながら、軽いステップで踊っています。

信繁の挑発に乗せられた徳川勢が動き出したのは、
8月2日の朝。
第一次上田合戦の始まりであります。


信繁がおびき寄せ、徐々に大手門まで引き寄せます。

途中、農民たちが町の長屋の屋根から熱湯をかけたり
石を投げつけ、杭のすき間から槍で突いたりして
徳川軍を翻弄します。

信繁が本丸の門に追い詰められた格好なのですが、
その門の脇に、本丸に戻れなくなっている梅を見つけます。
アッ……と思った瞬間、梅は佐助に先導されて
本丸に入っていきます。

安心して戦う信繁です。

それでも門に追い詰められたのは変わりありません。
敵もいよいよ最後の追い打ち、と構えたとき
門が開いて本丸の中にいたのは、昌幸でした。
方々から真田の兵たちによる攻撃が始まり
そこで徳川軍は誘い込まれて囲まれたことに気づくのです。

慌てて撤収する徳川軍。
迷路の道を慌てふためきながら本丸から二の丸へと急ぎ
城外に出たところで、信幸軍と遭遇。

それでも何とか切り抜け、神川を渡ろうとしたところで
流れを止めていた堰を佐助が切り、
鉄砲水が流れ出ていきます。

徳川勢、総崩れ──。


ただ、ひとつ予想外のことが起きました。
幾手を阻まれた敵方が、
作兵衛が守る山奥の廃寺になだれ込んでいったのです。

一抹の不安を感じた信繁は、廃寺に駆け込んでいきます。

きりは、信繁の子を抱いて立っていました。
梅は櫓の上にいたものの、柵が壊されて
敵が廃寺になだれ込んで行くのを見て
皆が心配だと、廃寺に向かったのだそうです。

途中で合流した作兵衛と一緒に、信繁は梅を探します。

信繁を呼ぶ作兵衛の叫び声に、駆けて行くと
そこには、槍を手にしたまま絶命している梅が
無惨な姿で横たわっていました。

お梅……。

信繁の頬を、大粒の涙が流れます。

徳川勢が撤退したのは、その日の夕方でした。
徳川方の死者は1,300人余り。
真田側の死者は50人に充たなかったとのことです。


天正13(1585)年閏8月2日、
徳川方が上田城に攻め寄せ、真田方の攻撃に総崩れとなる。
第一次上田合戦。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと29年9ヶ月──。


作:三谷 幸喜
音楽:服部 隆之
題字:挾土 秀平
語り:有働 由美子 アナウンサー
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[出演]
堺 雅人 (真田信繁)
大泉 洋 (真田信幸)
長澤 まさみ (きり)
黒木 華 (梅)
藤本 隆宏 (堀田作兵衛)
藤井 隆 (佐助)
──────────
寺島 進 (出浦昌相)
中原 丈雄 (高梨内記)
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藤岡 弘、(本多忠勝)
草笛 光子 (とり)
高畑 淳子 (薫)
内野 聖陽 (徳川家康)
草刈 正雄 (真田昌幸)
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制作統括:屋敷 陽太郎
    :吉川 邦夫
プロデューサー:清水 拓哉
演出:木村 隆文


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『真田丸』
第14回「大坂」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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