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2016年4月12日 (火)

プレイバック武田信玄・(27)川中島血戦(一)

甲斐の武田信玄と越後の上杉政虎、
宿命のライバルはついに川中島で対決のときを迎えた。

永禄4(1561)年8月、まず上杉軍が
武田軍より一足早く計13,000を率いて春日山城を出発。
一方武田軍も、兵20,000を率いて
甲府を発って川中島へと向かった。

上杉軍はいったん善光寺平を見下ろす横山城に入った後
さらに妻女山へと進み陣を張った。
一方武田軍は茶臼山に入って陣を張り、敵の動きを見据えた上で
高坂弾正の守る海津城へと入ったのである。

この両軍の動きには巧妙な駆け引きがあった。

両軍はにらみ合いを続けた後、まず武田軍の奇襲部隊が
上杉軍の背後から攻撃すべく動き始めた。
さらに上杉軍が山を降りた場合を考え、本隊が八幡原へと向かい
挟み撃ちにする作戦を立てたのである。

かくして武田・上杉両軍は
血で血を洗う激突の時を迎えるのである。


永禄4(1561)年8月15日、早馬により、上杉政虎軍が
善光寺平に向かって進軍中との知らせを受けます。

上杉軍が目指すは、高坂弾正が守る海津城であります。
政虎は、関東管領職を継承して気合い充分、
何としても勝ち戦を収めて名乗りを上げたいところ。

武田信玄も同様でありまして、信濃守護職として
上杉軍は追い払わなければなりません。
このまま放置すれば上杉軍はますます増長し、
それに諸豪族たちがはせ参じて強大になりかねません。

信玄は家臣たちを集め、叱咤激励をします。


今回の政虎との戦は、とても大きなものになるでしょう。
もしかしたら命を取られてしまうかもしれません。
夜、信玄は裏方へ入り、三条夫人、
そして里美と恵理に今生の別を告げます。

三条は「武運お祈り申し上げます」とただ黙って頭を下げ、
信玄の子を身ごもっている恵理は
川中島が血で染まる! と動転して涙をポロポロ流しています。

そして里美は、信玄の近くにいて役に立ちたいと訴えますが
このような大きな戦だからこそ里美を連れて行くことは出来ません。
信玄は、里美には裏方を守ってもらいたいと説得します。


8月18日、武田軍は甲府を発って川中島へ。

そのころ上杉政虎は、13,000の兵を従えて
善光寺平を見下ろす横山城に入ります。

政虎は、あえて敵地の妻女山に陣を張ることで
今まで直接の戦を避けてきた信玄に
真っ正面からの戦を起こさせるように仕向けます。

一方、海津城を守るのは高坂弾正。
かつての源助が今や城持ち武将となっております。
そこに、飯富虎昌、馬場信春、真田幸隆が
それぞれ軍勢を率いて海津城の救援に入ります。


山本勘助は、川中島に出る霧について
農民の善右衛門に尋ねています。

川中島は、犀川と千曲川の2つの大きな流れが近くにあり
特に秋、9〜10月に出る霧はとても濃いものになります。
天気のいい日が続き、夜中に急に寒くなった時の朝であれば
まちがいなく霧が出てくるでしょう。

勘助は善右衛門に銭を握らせ、立ち去っていきます。


8月19日、上杉軍は横山城を出て海津城前を素通りし
妻女山へ登っていきます。
軍勢全て山に登らせる戦法で、真田や飯富は驚いています。


8月26日、茶臼山に陣取った武田軍。
上杉軍が妻女山に登って8日目となりますが、
未だに海津城を囲む気配なく、
陣からは能などの音が漏れ聞こえています。

挟み撃ちとなりやすい妻女山に陣を張るというのは
端的に言えば政虎は、
信玄をおびき寄せているに違いありません。

越後の武将であり、武田方に寝返った大熊朝秀によれば、
政虎の戦というのは、すべては
その相手の行動を見抜ける凄さに尽きるそうです。

8月29日、信玄自ら海津城に入ります。
無論、その情報はすぐに政虎の耳に入るわけですが、
これから10日ほどは、両軍にらみ合いが続きます。


9月9日、妻女山に登って20日。
政虎は、信玄が動き始めるのをジッと待っています。

そろそろ動きませぬと兵たちの士気が、と
さも言いにくそうに伝える直江実綱ですが、
あれを見よ、と海津城を示されて見てみますと、
海津城からいつも以上に多くの煙が立ち上っているようです。

「兵どもが夕餉の支度をしているのであろ。
 今夜にでも動きあるやもしれぬ」
備えよ、と言われた直江はハッとして、
慌てて戦の準備に取りかかります。


「今宵……動く!」
その政虎の読みは当たっておりまして、
海津城では信玄が家臣たちを集めて表明します。

勘助が収拾してきた霧の情報を元にすると、
明朝、濃い霧が発生するのは間違いなさそうです。
その霧を利用して動こうというのです。

馬場の考えた策は──、
妻女山に登った上杉軍を八幡原に出すために
武田軍の一部を妻女山の裏山に登らせ、
敵の背後から一気に攻めかける。

そうすれば、襲いかかられた敵は驚いて
妻女山を下り、八幡原に逃げなければなりません。
武田本隊はその間に海津城から八幡原に移動し
逃げてきた上杉軍を霧の中で迎え撃つ、というもの。

信玄は勘助に、妻女山近くの薬師山あたりから監視し
上杉軍に動きがあればいち早く知らせよと命じます。


妻女山の裏へ進むべく、海津城を出立する別働隊。
そして時を隔てて、八幡原に向かう信玄本隊。

いずれも物音を立てない進軍で、とても不気味です。


薬師寺に登った勘助と、平三・平五兄弟。

妻女山に見える上杉の陣のかがり火が賑やかです。
かがり火が多すぎる、と不安を感じた勘助は
もう少し近づいて探ってみることにします。


「我が軍勢、全て山を下りる」
政虎は、海津城を出ていった敵兵が
妻女山の前にも後ろにもいることを感じ取り、
相手にバレないように音を立てずに下山することにします。

そして、八幡原へ。


妻女山に近づいた勘助たちですが、
やはり上杉軍に動きがあるのは間違いありません。

平五には八幡原の信玄の元に知らせに行かせ、
勘助自身は平三とともに敵陣を突破して
別働隊に知らせにいくことにします。

まぁ、小人数で敵陣を突破すると言ったって
やはり無謀と言えば無謀であります。
敵の攻撃を受け、勘助は斬られてしまいます。

「一緒に行くだ! 立ってくれりょ!」
自分を見捨てて別働隊に知らせるべし、という勘助に
平三は必死で励まし、連れて行こうとしますが
勘助が受けた傷はとても深手でなかなか動けません。

そこに、敵の応援部隊が迫ってきます。


永禄4(1561)年9月9日、
高坂弾正・馬場信春らが率いる別働隊12,000が妻女山へ、
武田信玄率いる8,000は八幡原に鶴翼の陣で布陣する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと53年8ヶ月──。


脚本:田向 正健
原作:新田 次郎「武田信玄」
音楽:山本 直純
タイトル題字:渡辺 裕英
語り(大井夫人):若尾 文子
──────────
[出演]
中井 貴一 (武田信玄)
柴田 恭兵 (上杉政虎)
紺野 美沙子 (三条の方)
大地 真央 (里美)
堤 真一 (武田義信)
──────────
池上 季実子 (恵理)
宍戸 錠 (原 虎胤)
児玉 清 (飯富虎昌)
美木 良介 (馬場信春)
篠田 三郎 (飯富三郎兵衛)
村上 弘明 (高坂弾正)
──────────
浜村 純 (倉科三郎左衛門)
勝野 洋 (大熊朝秀)
橋爪 功 (真田幸隆)
上條 恒彦 (村上義清)
岸田 今日子 (寿桂尼)
──────────
宇津井 健 (直江実綱)
小川 真由美 (八重)
西田 敏行 (山本勘助)
──────────
制作:村上 慧
演出:重光 亨彦

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