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2016年4月30日 (土)

自分を

今日こそは、がんばった自分を褒めてあげたいと思います。

昨日は9:30に出勤して、出勤前作業1時間半。
その後通常勤務をこなして、3時間の残業で退勤23:00。

昨日は夕ごはんはおにぎり1個で済ませ、
お風呂に入って早々に就寝。
で、寝たか寝てないかハッキリとは分からないまま起床時間を迎え
それからの、本日6:30出勤の勤務で残業2時間半。

Kassyと同じ6:30出勤のメンバーで昨日出勤している人たちが
18:00ごろにひとり帰り、ふたり帰り、21:00ごろにひとり帰りすると
もう見送りもあっさりとしたものになってしまいますね。
(当然、6:30出勤メンバーでKassyが最も遅い退勤となりました)

もうね、よう頑張りましたわ。

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2016年4月29日 (金)

プレイバック武田信玄・(32)わが子幽閉

武田家の悲劇「義信事件」の真相を伝える歴史的事実はほとんどない。

 武田晴信 (河原で太郎を抱っこしながら)
      いきなりだが、太郎の傅役になってもらいたい。
 飯富虎昌 はッ。(平伏)

ただ、伝えられているのは、
太郎義信の傅役・飯富兵部虎昌がただひとり、義信を旗頭に
信玄に対し謀反を企てたということだけである。

信虎・信玄・義信と、三代にわたって武田家に仕えた
赤備え隊の猛将・飯富兵部虎昌。

 武田義信 (目に涙を浮かべ)あの言葉全て嘘かッ!
      そちの正義示せッ!
 虎 昌  (見据え)……。

彼の運命を変えたもの、それは一体なんであったのであろうか。

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2016年4月28日 (木)

バス停について本気出して考えてみた(150)

終点停留所の旅“たそがれ”第120弾です。

今回はF岡県I塚市の
I丸団地口バス停をご紹介します。


お届けしているこのコーナーで
廃止されて時間が経ったバス停という
目印がない場合の場所ほど困ることはありません。

んで、本日ご紹介の場所も廃止されたバス停なので、
残念ながら場所がまったく確定できておりませんw

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2016年4月27日 (水)

はぴはぴ

Happy Happy Birthday !!

Riverside houseさん


今日、4月27日は
“ヘビーコメンテーター”のRiverside houseさんの誕生日♪


てなわけで、Kassyから
奇跡の言葉をお一つ。

──────────

30分ぐらいでは何もできないと考えているより、
世の中の一番つまらぬことでもする方がまさっている。


(ゲーテの言葉より)

──────────

おめでとうございまーす。

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2016年4月26日 (火)

プレイバック武田信玄・(31)義信事件(二)

「御旗楯無、御照覧あれ!」
「御旗楯無、御照覧あれ!」
(武田信玄を筆頭に、手をついて頭を下げる先には
『楯無鎧(たてなしのよろい)』がドーンと構えている。
武田家の家宝として伝えられている)

──実はこの鎧、私たちの町
茨城県勝田市と深い関わりがあるんです。

人口およそ10万の茨城県勝田市。
古い遺跡が数多く残るこの地は
意外にも武田信玄のルーツとして最近脚光を浴びている。

信玄から祖先を遡ること19代前、
源氏の流れを組む新羅三郎義光の子・義清が
この地で初めて武田の姓を名乗り、館を築いたのである。
やがて武田家は義清の時に甲斐に移り住むことになる。

戦に明け暮れた武田信玄、彼もまた現代人と同じように
自らのルーツであるこの地に思いを馳せていたのかもしれない。

では今宵は、ドラマをごゆっくりご覧ください──。

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2016年4月25日 (月)

私は元気です。

あまり詳しく書けないからオブラートに包んで表現すると、
いろいろな面で、ウチのチームは心配されているらしい。

そうなんですか?
そんな心配な点があったんですか?(←自分が一番分かっていない)

みなさん、ウチのチームを気にかけていただき
かつ、その中でも板挟みになるであろうワタクシを
より心配していただき、ありがとうございます。
“今のところ”、私は元気です。

でも、みなさんが心配してくださる点が
もしも実際に起こってしまったならば、
間違いなく短時間でKassyはつぶれてしまうでしょう(T^T)

やっぱり心配。

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2016年4月24日 (日)

大河ドラマ真田丸・(16)表裏 〜清正井戸表裏〜

奸瀑秀吉に従おうとしない真田。
しかし、上杉も秀吉に降った。
上杉の人質として大坂にいる信繁は苦境に立たされた──。


こうも大坂に長らく暮らしていると、さすがの真田信繁も
大坂に飽きて来たのではないかと羽柴秀吉はニッコリと労りますが、
見るもの聞くものすべてが新鮮で飽きる暇もございませぬ! と
優等生ぶりの模範解答で返答します。

そんな秀吉ですが、悪い知らせがある、と
ニッコリした表情を変えずに信繁に伝えます。
信繁をここに連れて来た上杉景勝ですが、
急いで越後に戻った、というのです。

特に信繁のことも何も触れなかったようで、
信繁は目を丸くして信じられない表情ですが、

「わしが……今度徳川と真田が戦になったら
 真田に味方するなと言ったからでは?」
秀吉はそう分析します。

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2016年4月23日 (土)

サイクル

サイクルというものは非常に大事なもので。

それがどういう形のものであれ、
長期間にわたって変わらずに進んでいると
身体がそれに慣れてしまうわけですが、

ある日、都合でそのサイクルが崩れると
身体は元のサイクルを覚えているものだから
なかなか調整しづらい、ということがあります。

何の話?
シフトの話です。

毎週土曜日は朝早くからのおしごとだったのですが、
今日は都合により通常日勤のシフトに変わりまして、
でも身体は朝早くからの状態で記憶してしまっていますので
夕方前には帰る気マンマン、というw

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2016年4月22日 (金)

プレイバック武田信玄・(30)義信事件(一)

「町内の皆さまァ、毎度おなじみィ、温泉の温泉宅配便でェす」

日本人ほど温泉好きな国民はいない。
昨今の温泉ブームは言うに及ばず
昔から病を癒す湯治場として親しまれてきた。

その成分である硫黄・マグネシウム・カルシウムなどが
切り傷刺し傷はもとより、内蔵病などにも効く
まさに温泉は入ってよし、飲んでよし、万病を癒す元である。

甲斐そして信濃には、信玄が負傷兵や馬を治療させたといわれる
“かくし湯”が数多く残っている。
これらは重要な軍事施設として運営された。
しかもその位置は敵に悟られぬため徹底的に秘密にされた。

なぜならば、湯に入る負傷兵の数で
容易に戦力を分析できるからである。

信玄は川中島の激戦を予想し
各地のかくし湯を改めて整理させた。
たかが温泉とあなどるなかれ。
これまた天下を握るための戦略の一つなのである。

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2016年4月21日 (木)

vol.191・あの感動をもう一度

vol.191・あの感動をもう一度
(パーソナリティ:Kassy)

第191回放送です。

人を待つとき、もっと楽しみながら待ちたいものです。
忠犬ハチ公のお話、もう一度楽しんでみませんか。
見失いつつある何かに、気づけるかもしれません。

今回のListening Pointは……
幻のCM


番組に関するご意見・ご感想は、
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2016年4月20日 (水)

バス停について本気出して考えてみた(149)

終点停留所の旅“たそがれ”第119弾です。

今回はF岡県I塚市の
A宕団地バス停をご紹介します。


Mj0749

団地を奥まで進むと、終点バス停。


Mj0750

下りる人向けのバス停標柱。
ココのように「降車場」とご丁寧にも書いてくれるところもあり、
何も書かれていないところもあり。

Kassyとしては、何も書いていない方が
終点停留所だなぁ、という気になりますけど
“おもな行先”欄に「降車場」というのも味があります。

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2016年4月19日 (火)

プレイバック武田信玄・(29)勝利と敗北

世に有名な「川中島の合戦」。
武田信玄と上杉謙信が雌雄を賭けた一戦であり、
かつ極めて悲惨な戦いとしても歴史に残るものであった。

決戦の場は、広さおよそ2平方キロメートル、
両軍合わせて33,000の将兵が9時間に渡って戦闘を繰り広げた。
戦い終われば、そこに8,000の戦死者が残されたのである。

武田軍の戦死者は、全軍20,000人のうちおよそ4,600人。
全体の23%にあたる。
一方上杉軍は、(全軍13,000人のうち)およそ27%の
3,500人であった。

死者と同じ数の負傷者がいたとして、
死んだり傷を負ったものは全軍のほぼ半数と推定できる。
ちなみに天下分け目の「関ヶ原の合戦」では、
東軍の戦死者は、わずかに4%であった。

より多くの死傷者を出しながらも、川中島に踏みとどまった武田軍。
合戦の勝ち負けについてはさまざまな説がある。
しかし両軍が、その勝利と敗北に払った犠牲は
あまりにも大きかったのである。

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2016年4月18日 (月)

よふかし

夜更かしする日って、遊びであれおしごとであれ
その日一日満足いっていない場合が多いんですってねー。

そうか。いろいろやりたいことができていなくて
夜更かししてでもやろうとしたりするっていう心理なのか。
そう言われればそのような気もします。

んで、今日。

明日は昼からのおしごとなので、
夜更かししても時間的には許される日ではあるのですが、
今日は早くに眠りに入ってしまいましたw

疲れてたんだね……(^ ^;;)

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2016年4月17日 (日)

大河ドラマ真田丸・(15)秀吉

上洛する上杉景勝に従い、信繁は大坂を訪れる。
巨大な大坂城に圧倒される信繁。
やがて彼の前に、関白秀吉が姿を現す──。


壮大な大坂城に見とれていた信繁は
誰かが来そうだと察知し、慌てて対面の場へ戻ります。
そこに突如として現れた羽柴秀吉。

立てられた屏風の裏に隠れて、
呆気にとられている信繁に「来い!」と声をかけます。
訳も分からず、真田信繁も屏風の裏へ。

「真田安房守の息子だな」
そういうと、秀吉は福島正則が手配してくれた
着物に着替えて大坂を脱出していくわけです。
もちろん、信繁は秀吉のお供w

そして、不機嫌そうな表情の石田三成が対面の場に足を踏み入れ、
秀吉が着ていたであろう着物を見て「またやられた」とあきれ顔です。
バツの悪そうな表情で三成の後ろにいるのは片桐且元です。

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2016年4月16日 (土)

抜糸

ついに抜糸しました。


抜糸は、「全然痛くないよ〜!」という人と
「めっちゃ痛い〜!」という人の両方があって
ちょっと心配していたのですが、

経験した結果……全然痛くありませんでした!!!
すごい!

皮膚の中を糸が通っていくわけなので
最低限の摩擦があるんだろうな、とは思っていたのですが、

糸を切るときに糸を引っ張って、その時の突っ張り感はあったものの
プチッと切った後、つつつつ……と糸を引っ張ると
もうね、何も感じることなくスーッと糸が抜けていきました。
そう、まさに“抜けていく”感じ。

糸を抜く瞬間は、Kassyもガン見していたので
もしちょっとでも抜いている感覚があれば分かるはずだし、
ましてや、見ることによって神経がそこに集中しているので、

ほんのちょっとの痛みさえも感じ取ってしまう状況にありながら
それでも“抜けていった”、無痛というのはもう感動です。


でも、縫合するようなケガはもうこりごりですね。

縫うのは局所麻酔を施した後なので全然痛くないですが、
麻酔が一番痛かった!
1本麻酔注射を打つのをなんとかガマンできた! と思ったら
「はい、もう1本打ちますねー」なんて言われて
ドッヒャーとなりましたもんなぁ。

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2016年4月15日 (金)

プレイバック武田信玄・(28)川中島血戦(二)

「啄木鳥の戦法」──。

武田信玄、生涯の大戦・川中島の決戦。
その最大のポイントは、
霧の発生を計算に入れた啄木鳥戦法であった。

武田領内奥深く、妻女山に陣を張った上杉軍の動きは、
武田勢との全面対決をも辞さない緊迫したものであった。
20日間にわたる膠着状態が続いた。

これに対し信玄は、軍勢を2つに分け
妻女山の上杉本陣を背後から攻め
八幡原で挟み撃ちにする作戦に出た。
あたかも啄木鳥が虫を追い出すかの如く。

しかし、天才・上杉政虎は、
この啄木鳥戦法をすでに見破っていたのである。

陣形は戦の勝敗を左右する。
上杉政虎は、霧の中 敵を偵察し、
かつ攻撃するに有利な車懸の陣を敷いた。

一方、信玄も見えない敵に対し
攻めにも守りにも適した鶴翼の陣をとった。
ちょうど鶴が羽を広げたように。

啄木鳥戦法が破られたことを未だに知らない信玄。
濃い霧の中、川中島決戦の火ぶたは
今切って落とされようとしている。

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2016年4月14日 (木)

後から分かる恐怖

まずは、地震の被害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げます。


夜、営業時間残り30分ぐらいになったとき、
たまたまポケットに入っていたKassyのスマホから
地震警報が鳴り出しました。

おっ……おっ?
と思っている間に、小刻みに揺れ出しました。

ただ、小刻みの揺れが少し大きくなり、
しかもちょっと揺れの時間が長かったので
ちょっと心配していたのですが、

お店なので、揺れが収まってから
商品が落ちていないか、棚が倒れていないか
ケガされたお客さんがいらっしゃらないか確認しに売場を回り、
幸いにも落下もなく倒壊もなくケガもなく、一安心したわけです。

ただ、少し落ち着いてからスマホを確認してみると
「熊本県で地震発生」とあるではありませんか。

気になって気象庁にアクセスしてみると、
震度7の文字が目に飛び込んできました。

そう言えば、5年前の東日本大震災の時も
就職活動中だったワタクシはちょうど外出していまして、
帰って来た時、まさに津波が到達していた瞬間でした。
何がどうなってこういう結果になったのか、
理解できるまでに相当時間がかかったのを覚えています。


後から分かる恐怖……動揺が止まりません。

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2016年4月13日 (水)

バス停について本気出して考えてみた(148)

終点停留所の旅“たそがれ”第118弾です。

今回はF岡県I塚市の
Kの森ヒルズバス停をご紹介します。


Mj0746Mj0747

実に名前がカッコイイ。
洋画に出てきそうな雰囲気です。
それらしいものは醸し出しています(←いちおう褒めてます)。


Mj0748

ほとんど埋まっていますが、
よーく見ればまだまだ空きがありますね。
とはいえ、取材日が2014年10月7日ですので
1年半近くも経てば、もう埋まっているかもしれません。

団地の地図の上の方に、バス停の位置が記載されています。
今からそこに行ってきます。

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2016年4月12日 (火)

プレイバック武田信玄・(27)川中島血戦(一)

甲斐の武田信玄と越後の上杉政虎、
宿命のライバルはついに川中島で対決のときを迎えた。

永禄4(1561)年8月、まず上杉軍が
武田軍より一足早く計13,000を率いて春日山城を出発。
一方武田軍も、兵20,000を率いて
甲府を発って川中島へと向かった。

上杉軍はいったん善光寺平を見下ろす横山城に入った後
さらに妻女山へと進み陣を張った。
一方武田軍は茶臼山に入って陣を張り、敵の動きを見据えた上で
高坂弾正の守る海津城へと入ったのである。

この両軍の動きには巧妙な駆け引きがあった。

両軍はにらみ合いを続けた後、まず武田軍の奇襲部隊が
上杉軍の背後から攻撃すべく動き始めた。
さらに上杉軍が山を降りた場合を考え、本隊が八幡原へと向かい
挟み撃ちにする作戦を立てたのである。

かくして武田・上杉両軍は
血で血を洗う激突の時を迎えるのである。

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2016年4月11日 (月)

ホントすいません……。

先週火曜日に、はさみで手のひらを切ってしまいまして
3針縫ったのはツイッターにもつぶやいたことですが、

手のひらで皮が薄く、しかも可動部でもあるので
通常は縫合して1週間程度で抜糸を迎えるところ
ちと時間がかかるらしいです。

で、月曜日の業務メニューとしては
人数が少ない中でおしごとをこなさなければならないので
本当は売場に立って加勢した方がいいのでしょうが、

手がまだまだ満足に動かせないので、
申し訳ないですが事務所でおしごとします。
(売場の皆さんごめんなさいm(_ _)m)

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2016年4月10日 (日)

大河ドラマ真田丸・(14)大坂 〜いよいよ大坂! 幸村伝説 運命の出会い 秀吉 三成 茶々〜

上田城において、真田勢は徳川の大軍に圧勝した。
世に言う 第一次上田合戦である。
しかしその戦の中、源次郎信繁は最愛の妻・梅を亡くす──。


第一次上田合戦が終わって、上杉の人質である真田信繁は
その約束通り越後・春日山城に戻って来ます。

出迎えた上杉景勝ですが、
信繁が妻・梅を亡くしたことを聞いており
お悔やみを信繁に伝えます。

景勝は景勝なりに信繁を励まそうと、
直江兼続が第一次上田合戦のネタを出してくれたのをいいことに
7,000の徳川勢を2,000の兵で追い返した真田昌幸を
「あっぱれじゃ」とべた褒めして信繁の笑顔を見たいわけですが、

信繁の表情の奥には、どこか暗い影が……。

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2016年4月 9日 (土)

プレイバック武田信玄・(26)景虎と氏康

人はウサギ小屋だというけれど、それでもなお、
我が家いや我が城を持ちたいという思いは切実なものである。
ましてや、戦乱の狭間に生きるものであれば
いかなる攻撃にも耐える城への思いは格別であったろう。

北条氏康の居城・小田原城。
背後には箱根外輪山、前には相模湾が自然の要塞となっており
人はこの城をして「難攻不落」と呼んだ。

その子・氏政もまた父の遺志を継いで
その市街地まですっぽり包みこんだ大外壁を作り
都市そのものを巨大な城とした。

小田原城は特に籠城戦においても
天下に比類なき強さを発揮し、その構えは
後の大坂城、江戸城へと引き継がれていくのである。

一方、ここに戦国武将でありながら
全く違う発想を持った人物(=武田信玄)がいた。
彼は国内に一つも城を築かず、
御所風の優雅な雰囲気を持つ館に住んだ。

この人物がどういう思いで城を持たなかったのか。
それは彼が遺したと言われる次の言葉に集約されている。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

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2016年4月 8日 (金)

はぴはぴ

Happy Happy Birthday !!

しゅんさん


昨日、4月7日は
“ヘビーコメンテーター”のしゅんさんの誕生日♪
(隔週木曜日は「ヤッテキ!!」放送配信日と決まっておりまして
1日遅れのご紹介となりました。あしからず)


てなわけで、Kassyから
奇跡の言葉をお一つ。

──────────

“足して2で割る”案は最悪になる。

(オリエンタルランド社長、加賀見俊夫さんの言葉より)

──────────

おめでとうございまーす。

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2016年4月 7日 (木)

vol.190・悩みこそ人生

vol.190・悩みこそ人生
(パーソナリティ:Kassy)

第190回放送です。

人間、悩んでこそです。
いろいろ悩みつつ前に歩いているんですね。
その前に、はさみでケガする不注意さを悩んだ方がよさそうですが。

今回のListening Pointは……
縫合


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2016年4月 6日 (水)

方向幕考(80)改

“センバツ・ほうこうまくぅ(方向幕コレクション)”。
今回は、第80回(第37弾)でご紹介した内容の再修正版です。

第80回では、N鉄バスS賀からT栖営業所の一般路線バスと、
N鉄バスC豊からN方営業所の高速車両の2本をご紹介しましたが、
今回更新したのは、うちN方営業所の高速車両の方です。


N方営業所が担当する「K崎〜N方線」の急行系統は
長らく一般路線車が担当してきたわけですが、
トップドア車が久々に復活したという噂を聞きつけて
早速調査に行って参りました!

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2016年4月 5日 (火)

はぴはぴ

Happy Happy Birthday !!

ぷりんさん


今日、4月5日は
“ヘビーコメンテーター”のぷりんさんの誕生日♪


てなわけで、Kassyから
奇跡の言葉をお一つ。

──────────

「ああ、ここにおれの進むべき道があった!
ようやく掘り当てた!」

こういう感投詞を心の底から叫び出される時、
貴方がたははじめて心を安んずる事ができるのだろう。


(夏目漱石の言葉より)

──────────

おめでとうございまーす。

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2016年4月 4日 (月)

プレイバック武田信玄・(25)悲劇の発端

今川義元、桶狭間にて戦死。享年42歳──。

京の都を目指す戦国大名たちの生き残りレースは、
いわば自らの寿命との戦いである。

永禄3(1560)年、桶狭間の合戦当時
信玄を取り巻く戦国大名たちの年齢はさまざまであった。
信玄40歳、(謙信31歳、信長27歳、氏康46歳、秀吉25歳)
天下統一を成し遂げた家康は19歳であった。

人生50年と言われた戦国時代、命には限りがある。
(各戦国大名の享年。
信玄+13年の53歳、謙信+18年の49歳、信長+22年の49歳、
氏康+11年の57歳、秀吉+38年の63歳、家康+57年の76歳)

苛酷な生存競争を生き抜く戦国の男たち。
天下統一は、敵との戦いであり、かつまた己との戦いでもある。

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2016年4月 3日 (日)

大河ドラマ真田丸・(13)決戦 〜決戦上田城! これぞ天下に名高き真田兵法! 徳川7千vs真田2千! 愛しき妻 涙の六文銭旗〜

源次郎信繁は、上杉の人質となった。
これによって、真田は改めて上杉と手を結ぶ。
徳川家康との決戦が目前に迫っていた──。


上田城決戦を前に、上杉家人質の真田信繁は
当主・上杉景勝の許可を得て海津城に入りますが、
直江兼続が用意したという上杉の援軍を見て、唖然とします。

100名ばかりという数はともかくとして、その実は
年端もゆかぬ子どもたちやヨボヨボの老人ばかりだったのです。

ありがた迷惑、と思いつつ、
預かった彼らを無事に生きて帰すために
信繁はいろいろと考えてやらねばなりません。

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2016年4月 2日 (土)

準備中......

多くは語れないのですが、来週行われる
毎年恒例のイベントに向けての準備中であります。

準備不足か? マンパワーが追いついていないのか?
物量が大量すぎるからか、受け入れ作業に予想以上に手間取り、
売場がなおざり(そのレベルまでも行かない。
成り行きに任せるだけで、まともに着手すらしない)状態です。

なんか今回はバタバタと進行しているような
印象を受けるのはKassyだけ?
全然間に合いません。

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2016年4月 1日 (金)

プレイバック武田信玄・(24)義元討死

今川義元(42歳)──駿河・遠江・三河、
それに尾張の一部をも支配する百万石の名門。

一方、織田信長(27歳)は
同族との骨肉の争いに明け暮れ、この時
尾張一国をほぼ平定したばかりであった。

永禄3(1560)年5月1日、
現在の静岡市の駿府城を発った今川の大軍はおよそ25,000、
5月19日には駿府からおよそ150kmの地点、
現在の豊明市、あるいは名古屋市緑区の付近に到着している。

一方、織田軍は
清洲城を発った時には信長以下わずかに7〜8騎。
後で追いついた2,000ほどの軍勢をもって
義元の本陣を襲ったのである。

世に有名な『桶狭間の合戦』。
戦国の世の風雲児・信長は
今まさに歴史の表舞台に飛び出そうとしているのである。

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