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2016年5月10日 (火)

プレイバック武田信玄・(35)盟約崩壊

平成元年(※)、東京都杉並区で
武田信玄に関する古文書が数多く発見された。
これらを所有する菅野(スゲノ)さん。
代々武田家に仕えてきた荻原一族の子孫である。

荻原家のこの古文書は、本物との鑑定を受け
さらに歴史的にも価値の高いものと判明された。
なぜならば、信玄自筆の文書が含まれていたからである。

当時、文書はそのほとんどを家臣が書き
領主は花押のみを記すのが一般的であった。
この荻原家の文書を加えても、信玄自筆のものは
十数点しか現存していないといわれる。

今回発見された信玄の文書は、家臣の病を気遣い
その治療を寺に依頼するという内容のものであった。
厳しい軍略家として知られる信玄。
しかし、この荻原家の古文書を通じて
人間・武田信玄の一面が、新たに浮かび上がってくるのである。

(※)「平成元年」とナレーションされていますが、
平成元(1989)年は『武田信玄』の放送翌年にあたるため
昭和63年の放送当時のナレーション内容から
差し替えられた可能性がありますことをお断りしておきます。


死ぬ度胸もないくせに! などとけしかけつつ
実際に嫡男に死なれてしまうと、
父親としては非常に辛く重いものになっています。
すべては、身から出た錆というものです。

一番辛いのは、母の三条夫人かもしれません。
自分の子どもに先立たれ、悲しまない親はおりません。
三条も、きっと義信と代わってやりたいと思っているはずです。


そこに、今川家の寿桂尼の発案で始まった
甲斐への塩流通のストップですが、
それがいよいよ効いてきまして
このままでは信濃も多大な影響を及ぼします。

相模の北条氏康も間もなく塩を止めるというウワサあり。
越後の上杉輝虎も塩を止めれば、
武田の敵は今川・北条・上杉と三方に囲まれております。

塩止めを止めさせるためには
駿河へ侵攻することが手っ取り早いですが、
駿河・相模と甲斐とは三国同盟が継続中であり
それがありつつ攻撃しては裏切りのそしりを免れません。

大熊朝秀は、まずは義信正室の御津禰を今川へ送り返せば
盟約は崩壊し、攻撃しても何も言われないとキッパリ。

30年来、戦に出ていない倉科三郎左衛門は
盟約崩壊はまず裏切りから始まる、と
今日にも今川を攻めよと興奮気味に提案しますが、
武田の大軍勢が今日いきなり出兵できるわけがありません。


相模の北条にとって最大の敵は上杉であり、
同様に上杉と戦っている武田の力は侮れず
北条と武田はタッグを組んで上杉に対抗していかねば
戦に勝つことはできません。

今、武田が今川を攻めかけているからといって
今川の味方をして武田を敵対視しても
またその逆をしても角が立ちます。

北条としては、武田と今川の関係を
じっと見守っていくしかありません。
寿桂尼の塩止めの誘いに
単純に乗ればいいというわけではありません。


義信との間に子どももない御津禰。
夫と仲睦まじい関係を続けていましたが、
御津禰が最後に見たのは、その夫の自害であり
このままいけば、御津禰も後追いをする可能性があります。

三条からの懇願で、武田信玄は
御津禰を今川へ戻すことにします。

そして同じころ、織田信長の養女で
諏訪勝頼の妻・雪姫が男子を出産。
嫡男を亡くした後のこの話は、
武田家後継という話では非常に明るいものです。

武田“信”玄+諏訪“勝”頼で、
信玄は「信勝」と名付けます。
「男の子は育てにくい。充分に気を配らねばならぬ」


雪姫が男子を産んだことは、織田家にもすぐに伝わり
織田信長は、信玄とのつながりが
ますます濃くなることを喜んでいますが、
そこにまさかの知らせが飛び込んできます。
「雪姫さま、昨日お亡くなりになられました」

信長は、その訃報を聞いてすぐ
武田とのつながりを切ってはならぬと
我が子・奇妙丸につりあう姫を
武田から捜し出せと家臣に命じます。


御津禰と向き合った信玄と三条ですが、
義信が自害してからというもの、御津禰は
気持ちが不安定になり少しおかしくなっています。

何を話しかけても、全く聞こえていないようで
その時々でフフッと不気味な笑みを浮かべます。

せめてもの罪滅ぼしを、と
信玄は御津禰に一つ願い事を叶えてやると言いますが、
信玄の首を所望し、それが叶わぬなら甲斐の滅亡を求めます。
「信玄! あの方を返せ! なぜ自害させたのじゃ! 信玄!」


今川から塩止めの依頼が重ねて来たことを受け
氏康は、今川の苦しさを思えばと止むなく塩を止めますが
塩を止められて苦しむのは百姓領民であるので、
それもまた心苦しいところであります。

武田家から北条氏政に嫁いできたお梅。
北条として、盟約が崩れた今となっては
武田は敵となってしまったことを伝えると、
今や私は北条の人間、と口では言っていますが、

子を5人も成したお梅でありますので
自分の父母のことなんか忘れられるはずもありません。
言葉の裏返しで、武田の父母をよしなに、と
氏康に頼んでいるわけです。

氏康は、そんなお梅の気持ちを充分にくみ取ります。


「三河・徳川家康さまから御使者参られました!」
うん、と言って信玄は立ち上がり
使者が待つ対面所へと向かいます。


永禄10(1567)年11月1日、
武田信玄の孫・武田信勝が誕生する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと47年6ヶ月──。


脚本:田向 正健
原作:新田 次郎「武田信玄」
音楽:山本 直純
タイトル題字:渡辺 裕英
語り(大井夫人):若尾 文子
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[出演]
中井 貴一 (武田信玄)
柴田 恭兵 (上杉輝虎)
紺野 美沙子 (三条の方)
石橋 凌 (織田信長)
古村 比呂 (御津禰)
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村上 弘明 (高坂弾正)
篠田 三郎 (山県昌景)
美木 良介 (馬場信春)
勝野 洋 (大熊朝秀)
橋爪 功 (真田幸隆)
──────────
岸田 今日子 (寿桂尼)
中村 橋之助 (徳川家康)
大門 正明 (市川大介)
河原崎 建三 (梁田政綱)
井上 孝雄 (松田憲秀)
浜村 純 (倉科三郎左衛門)
──────────
宇津井 健 (直江実綱)
小川 真由美 (八重)
杉 良太郎 (北条氏康)
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制作:村上 慧
演出:重光 亨彦

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