プレイバック武田信玄・(40)暗闇の鬼
山梨県一宮町で、平成元年(※)
150年ぶりに大文字焼きが町おこしの行事として復活した。
大文字の送り火といえば京都が思い出されるが、
信玄の正室・三条の方は京都の公家の出身。
15歳の時、ひとつ年上の信玄に嫁いできた。
ここで、三条の方の系図をひも解いてみよう。
三条家は京の名門で、代々朝廷に仕え、
父・三条公頼は左大臣という要職にあった。
しかし戦国時代は京の公家にとって
家柄だけに頼るしかない辛い日々であったろう。
三条の方も、政略結婚で
信玄に嫁いできたのかもしれない。
京の都から遠く離れた甲斐国でおよそ30年、
戦乱の世に弄ばれた子どもたちの不幸を悲しみながら、
ひとりの母として生き抜いたに違いない。
春の梅の香が漂うような女性だったと伝えられる三条の方。
どんな思いで、この甲斐の大文字の送り火を眺めたであろうか。
(※)「平成元年」とナレーションされていますが、
平成元(1989)年は『武田信玄』の放送翌年にあたるため
昭和63年の放送当時のナレーション内容から
差し替えられた可能性がありますことをお断りしておきます。
高坂と床に入っていたナゾの女が、耳打ちします。
「悪い噂聞きました。お屋形さまが重い労咳とか」
このころは、策謀に策謀を重ねた時代だった故に
武田信玄の病気のウワサも、暗闇から暗闇へ伝えられ
そして広がっていきつつあります。
永禄12(1569)年12月。
躑躅ヶ崎の館に戻ってきた信玄は、
小田原攻めの帰途、諏訪村の諏訪神社でとった
諏訪勝頼の兵に対する処置は、兵たちの心を打ち
武田家を継ぐに相応しい人物として迎えられています。
信玄は、国主として人心を掴むことこそ大事と勝頼を激励し
阿部勝宝には、勝頼を頼むと優しく言葉をかけます。
三条の方が夢にうなされています。
どうやら長男・義信の夢を見ているようで
「義信……義信!!」とうわ言を言っています。
考えてみれば、三条夫人が産んだ子どもたちは
悲運の末路を辿っています。
太郎義信が廃嫡の上、東光寺で亡くなり、
相模北条氏政に嫁いだ黄梅院は、離縁されて病死。
そして三郎はわずか11歳で夭折。
幼少のころに失明して出家した竜宝と、
穴山信君(のちの梅雪)に嫁いだ見性院のみ健在です。
血を分けたわが子が毎晩毎夜夢枕に立つ、ということも
もしかしたらあったのかもしれません。
八重は、病床につく三条の姿に涙を流しつつも
三条の苦しみをあの方に必ず味わわせてやる、と
決意を固めています。
あの方とは──勝頼のことです。
信玄の身体の具合も芳しからず、
ちょっと休む、と言って横になることもあります。
小田原攻めから1ヶ月しか経っていないのに
信玄は駿河攻めの再開を命じているわけで、
自分の残された時間を逆算して、かなり急ぎ気味に
事を運んでいるようにしか思えません。
駿河攻めなどできるはずはない、と馬場信春が言えば
駿河を攻めるのは今しかない、と真田幸隆が主張。
ナゾの女の情報が気になって、躑躅ヶ崎に戻ってきた高坂弾正も
どうにかして養生してもらおうと信玄の身をとても心配しています。
山県昌景は、信玄に養生を勧めるには
影武者を立てたらどうか、と提案しますが、
そんな重臣たちのヒソヒソ話を、信玄が聞いてしまったようです。
「影武者はいらぬ。第一、信廉に影武者は務まらぬ」
そんなことより、駿河攻めの段取りを
ポンポンポンと決めていく信玄。
北条・上杉の同盟により、武田が駿河に攻め入れば
上杉輝虎が北信濃・西上野に兵を出すことが考えられます。
よって高坂には、碓井峠に兵を出して
上杉軍の動きを鈍らせるように命じます。
越後と和睦することも探っているので、
越後に攻め入るようなことはする必要はありません。
将軍家に上杉との和睦の仲介に立ってもらえば
将軍家に対して敬意を表している輝虎は
容易く武田に手を出してきたりはしないでしょう。
そういった、ひとつ外側からの封じ手です。
と言っている間にも、北条家家臣の松田が
西上野に出兵してきた輝虎に信濃への出陣を促します。
ただ輝虎は、同盟の中身が固まっていない以上
そう簡単に歩調を合わせて動けないと返答。
逆に、上杉と北条が陣を同じくすることを
北条氏康は認めているのかと松田を問いただします。
北条が動くのは上杉軍が碓井峠を越えてから、と
もっともらしく答える松田ですが、
その答えではもはや輝虎は首を縦に振らないでしょう。
つまり、氏康は関東管領職である輝虎の配下であり、
正義を示すのはむしろ配下の者の方が先だと言いたいわけです。
「正義示せ! 和睦とは心を和するためのものじゃ。
人殺す戦のためのものではないッ!」
なかなか動こうとしない輝虎に、
業を煮やしている北条氏政は上杉は信用できず
「同盟を白紙に戻せ」と大声張り上げています。
しかも、駿河を武田にとられないように
無益な戦をしてやっているというのに
駿河から逃げ落ちた今川氏真には、
いつか自領に戻ってやろうという気甲斐も見えず、
氏政のイライラはピークに達します。
とはいえ、氏政が“戦をしてやっている”というのはウソで
実は徳川との間に盟約があることを知っている阿弥。
ただそんな発言は兄としては許せるものではありません。
氏政との間で兄妹ゲンカが始まります。
すべての事情を知っている氏康はその仲裁に入ります。
氏政の祖父は今川氏親(義元の父)であったために、
今川領を北条と徳川で二分してしまおうというのは
氏政としては反対の立場であったのですが、
そこは隠居として、氏康は無理に承諾させたのです。
そこまで告白すると、氏康は氏政に阿弥のことを頼み
フッと意識を失って倒れてしまいます。
八重の、三条の看病は続いています。
意識がもうろうとしながら、三条は
もし信玄が見舞いに訪れても
すでにお別れの挨拶は終えているので
お会いできないと面会を拒絶するように命じます。
やせ衰えたこんな姿を見せたくないという
おんな心がそうさせるのかもしれません。
年が明けて元亀元(1570)年、
信玄は勝頼を伴って三たび駿河へ侵攻。
城を次々と落とします。
その数日後。
夜の見回りを行っている原 昌胤が襲撃を受け、
勝頼も寝床を襲われる事件が発生します。
そして同じころ、山県昌景も刺客に襲われます。
息も絶え絶えの刺客に、誰に頼まれたか問いつめると
「八重どの……」とだけ言って刺客は果ててしまいます。
「八重……」
暗闇を見据え、信玄がつぶやきます。
永禄13(1570)年1月、
武田信玄は駿河西部に進出して花沢城や徳之一色城を落とし、
駿河を完全にその支配下に置く。
慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで
あと45年4ヶ月──。
脚本:田向 正健
原作:新田 次郎「武田信玄」
音楽:山本 直純
タイトル題字:渡辺 裕英
語り(大井夫人):若尾 文子
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[出演]
中井 貴一 (武田信玄)
柴田 恭兵 (上杉輝虎)
紺野 美沙子 (三条の方)
大地 真央 (里美)
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池上 季実子 (恵理)
篠田 三郎 (山県昌景)
美木 良介 (馬場信春)
村上 弘明 (高坂弾正)
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井上 孝雄 (松田憲秀)
橋爪 功 (真田幸隆)
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宇津井 健 (直江実綱)
佐藤 慶 (阿部勝宝)
小川 真由美 (八重)
杉 良太郎 (北条氏康)
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制作:村上 慧
演出:一井 久司
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