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2016年6月 5日 (日)

大河ドラマ真田丸・(22)裁定 〜被告信繁 裁判長秀吉vs名胡桃城〜

北条氏政が遂に上洛を承諾。
しかし、沼田城を真田から取り戻すという条件つきであった。
沼田の真の主を定める「沼田裁定」が始まる──。


北条家からは板部岡江雪斎、
真田家からは真田信繁、徳川家からは本多正信。
各大名家の名代が、関白豊臣秀吉の前に集まっています。

沼田城を築いたのは上野国の国衆・沼田顕泰で、
この顕泰は上杉よりの人物でありましたが、
顕泰の子である沼田憲泰、朝憲は北条方に
同じく子の沼田景義と女(長野業正の妻)は上杉方にと
家中が分裂してしまったため、

それを上杉謙信が収めて、以降、沼田城は
上杉家の支配下に置かれた、というのが発端のようです。

そして沼田城は上野国と越後国の国境にありまして
関東から見れば最北地に位置します。
利根川と片品川に挟まれた、河岸段丘の台地上(絶壁上)にあり、
攻めるに難く守るに易いという天然の要害ともいえます。

それゆえに、沼田を軍事的拠点として
上杉・北条・真田が競って争奪しているわけです。

【北条方の言い分】
そもそも沼田城は、越後上杉家のものであったところを
天正6(1578)年「御館の乱」の際に北条が奪い取った城である。

【真田方の言い分】
かつては確かに北条の所有であったものの、
天正8(1580)年に武田の手に渡っている。
以降、織田家に引き渡すまでの2年間において
沼田城は真田の支配下にあったものである。


そもそも所有していたのが北条である以上、
北条が沼田を持つべきは明々白々! と江雪斎は主張しますが、
信繁は、過去に誰が所有していたかは全く意味のないことで
仮に元を辿るのであれば、上杉に返すのが道理、と譲りません。
「一本!」

しかし江雪斎も負けてはいません。

上杉・北条・真田の三つ巴で争っていた沼田に
織田が割って入り、沼田を取り上げてしまった。
その沼田を、織田家臣・滝川一益の与力となっていた真田昌幸が
本能寺の変に乗じてかすめ取っただけのものである、と
真田がいかにも不正でだまし取ったと言わんばかりです。

「おっしゃる通り! だまし取り、掠め取り、勝ち取りました!」
ハッハッハッ……と秀吉は愉快そうに笑い出します。


天正10(1582)年、
徳川家と北条家との間で盟約が結ばれますが、
その時に沼田城についての話が盛り込まれているはずです。
それについては──。

当時、徳川と北条は長らく戦が続いていたものの、
勝敗がなかなかつかなかったため、これ以上の争いは損である、と
北条側より和睦を持ちかけたわけですが、
徳川は、当時配下だった真田の持ち城・沼田城を
北条に引き渡すと取り決めたのでした。

そして同じ天正10(1582)年に、
真田家も徳川家と盟約を結んでいます。
その時徳川は、真田に対して沼田の安堵を約束しました。
未来永劫、沼田は真田のものだと徳川が言ったわけです。

つまり徳川は、真田と北条の双方に
沼田城を渡すと約束してしまった、ということになります。
ということは、そのどちらが現在も有効なのかを吟味すれば
どちらが所有しているかを判断できるというものです。

秀吉は、捨松の養育に忙しいので、
采配を豊臣秀次に一任し、退室します。


これまでただ黙って事の成り行きを見ていた本多正信が
重い口を開きます。

そもそも我が主には、沼田を譲り渡す気はござらなんだ。
北条に伝えたのは“奪い取るなら好きにせよ”ということ──。

北条から、徳川との盟約についての証拠となる起請文を改めると
確かに『手柄次第』、つまり北条が沼田を奪い取るなら
徳川は何も邪魔しません、という意味合いの言葉です。

江雪斎が、徳川が沼田を譲り渡すと言った! と主張しても
正信はしれっとした顔で座したままです。
「忘れ申した」

そこに、秀次のダメ押しの一言が江雪斎に降り注がれます。
譲り渡すにせよ、奪い取れにせよ、それは沼田城が
真田の所有物であることを案に認めていることにはならないか?
もし北条のものならば「取り返す」「奪い返す」と言うべきである、と。

ここまでだな、と秀次が退出し、石田三成も出て行きます。


その後、正信に頭を下げて礼を言う信繁です。

「必死で戦うておる若者を見たら、
 手を差し伸べてやるのが年寄りというもの」
ニッコリ微笑んで、正信は去って行きます。

控えの間に走る信繁は、隠れていた昌幸と大喜びしますが、
しかし、三成からはみっちり絞られます。
信繁のせいで、北条上洛への算段が狂ったのですから
当然と言えば当然からもしれません。

このままでは北条と大戦を構えなければなりません。
日本中を揺るがす大きな戦は、
三成としてはどうしても避けたいのです。
「理不尽は承知の上……このとおりだ」

その賢明さに信繁が折れ、沼田の引き渡しを昌幸に提案します。
昌幸にしてはとてもとても厳しい表情で三成を睨みつけますが、
沼田の外れにある名胡桃城には真田家父祖代々の墓があり
名胡桃だけは渡すことはできない、と訴えると、三成はそれを承諾。

ただ、昌幸はこっそりと教えてくれます。
「名胡桃に代々の墓? でまかせに決まっておるではないか」

沼田は手放しても、更に上にある名胡桃は手元に残せます。
名胡桃城からは沼田が丸見えです。
名胡桃さえ抑えていれば、沼田に睨みを利かせられます。
にんまりする昌幸です。

裁定の結果、沼田城を含む沼田領3分の2が北条に、
名胡桃を含む沼田領3分の1が真田に──。

こうして沼田裁定が決着します。


しかし、納得いかないのは北条氏政です。
何かことが起こったときは、沼田でどういう動きをしているか
名胡桃からは丸見えであるからです。

ともかく、秀吉は北条の上洛と引き換えに沼田をくれたわけで
江雪斎は氏政に上洛を強く勧めますが、氏政はその気はありません。
秀吉の裁定に不満があることを形に示すため、
北条氏直に沼田周辺に10,000の軍勢を配置させます。

江雪斎は慌てて、城の受け渡しの際は
1,000以上の兵を動かしてはならないとの約束を伝えますが、
それを聞いた氏政は、沼田周辺の兵の数を20,000に増やさせます。


そして、納得いかない人物がここにもう一人。
沼田城を守っていた、城代・矢沢頼綱であります。

昌幸からの知らせを受け、
真田信幸が単身沼田城に赴き頼綱に頭を下げますが、
はいそうですが、と聞き入れる頼綱ではありません。

今まで沼田城を守るために死んでいった家臣たちを
一人ひとり思い出し、涙目になって信幸に怒鳴りつけます。
「あの者たちに、何と言って詫びればいいのだ!
 あやつらは、何のために死んでいったのだ!」


こうして、沼田城が北条方に渡ったことにより
本能寺の変に端を発した東国の動乱は、
ひとまず幕を下ろした……かに見えましたが。


天正17(1589)年11月。
沼田城に入った北条家家臣・猪俣邦憲が
突如として名胡桃城に攻め込み、
奪い取ってしまったわけです。

城は北条の手に落ち、城代・鈴木主水は
城を奪い取られた責任を取り自害とのことです。

高梨内記は、奪い取られた名胡桃に攻め込んで
再び奪い返しましょう! と主張。
そこに、たまたま(?)稲の顔を見に来ていたという
本多忠勝が顔を出し、加勢仕る! と志願します。

「舅どのは口を挟まないでいただきたい!
 ここは真田の軍議の場でござる! すみやかにお戻り願いたい!!」
信幸の眼光の鋭さは、さすがの忠勝をも黙らせます。

とにかく、事は急を要します。
佐助に、京の昌幸のところへ知らせに行かせますが、
所要5日、というところを「4日で頼む」と急いで向かわせます。


名胡桃城落城、の知らせを佐助に聞いた昌幸は
古くからの真田の家臣であった鈴木を失ったことを後悔し、
こんなことになるのであれば
最初から名胡桃城を渡しておけば良かった、と悲しみます。

信幸は、いつでも名胡桃に攻め込めるように準備を整え
昌幸の下知を待っていまして、
昌幸は、名胡桃を奪い返せと命を下します。

「(出浦昌相)ここまで何日で来た?」『(佐助)4日で』
「(出浦)3日で戻れ」【(昌幸)いや、2日だ】
もうね、佐助の立場ありませんわw

信繁は、名胡桃城を奪い返すより
秀吉に事の次第を訴える方が先だと進言します。
「真田も処罰を受けることになります。世の仕組みは変わったのです」


いざ秀吉に訴えますと、このことは
儂に預けてくれぬか、と意外な返答です。

不本意そうな表情の昌幸が出て行くと、
秀吉はいたずらっ子のような表情で三成を見ます。
「これで、北条攻めだな」


それでも、再度書状を送り名胡桃城を真田に帰させた上で
北条に上洛を促す、という三成の進言にしぶしぶ従う秀吉でしたが、
北条が上洛を断って来ると、もう秀吉は止まりません。

さんざん救いの手を差し伸べて来たというのに、
北条はそれを断った。もう戦しかない。
大名たちに出兵を命じ、見たこともない大軍で
北条の度肝を抜いてやる……!!


氏政は、小田原城がある限りは
どんな大軍が攻め寄せても負けるわけがないと信じ、
しかも奥羽の伊達との盟約もあるので全く焦ってはおりません。

ただ、時間があるうちに、
徳川だけは北条方につけておかなければならないでしょう。
氏政は江雪斎に、駿府の徳川家康の元へ向かわせます。

しかし、秀吉はあっという間に
空前の大軍勢をまとめあげたのです。

「だからもっと早いうちに、秀吉に会っておけば良かったのだ!」
徳川は、今さら北条と手を組むつもりは全くありません。
江雪斎は、家康に会うことすらできず追い返されます。

この時から、関東の名門・北条家は
滅亡に向かって突き進んでいきます。


天正17(1589)年11月3日、
沼田城代・猪俣邦憲が、真田氏の名胡桃城を占領する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと25年6ヶ月──。


作:三谷 幸喜
音楽:服部 隆之
題字:挾土 秀平
語り:有働 由美子 アナウンサー
──────────
[出演]
堺 雅人 (真田信繁)
大泉 洋 (真田信幸)
長澤 まさみ (きり)
山本 耕史 (石田三成)
藤井 隆 (佐助)
──────────
高嶋 政伸 (北条氏政)
寺島 進 (出浦昌相)
山西 惇 (板部岡江雪斎)
小林 隆 (片桐且元)
中原 丈雄 (高梨内記)
桂 文枝 (千 利休)
──────────
小日向 文世 (豊臣秀吉)
藤岡 弘、(本多忠勝)
近藤 正臣 (本多正信)
内野 聖陽 (徳川家康)
草刈 正雄 (真田昌幸)
──────────
制作統括:屋敷 陽太郎
    :吉川 邦夫
プロデューサー:吉岡 和彦
演出:土井 祥平


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『真田丸』
第23回「攻略」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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