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2016年6月12日 (日)

大河ドラマ真田丸・(23)攻略 〜北条・忍〜

秀吉は遂に北条征伐を決意する。
全国から総勢210,000の兵が集められた。
史上空前の大戦が、始まろうとしていた──。


天正17(1589)年12月。
小田原北条攻めの陣立てを豊臣秀吉に一任された石田三成は
その概要の紙を広げて諸大名たちに説明します。

総大将は近江中納言・豊臣秀次、その後見役は徳川家康。
本来であれば家康が総大将になってもよさそうなものですが、
城を囲んでの根比べのようなものなので、
わざわざ家康に、という秀吉の考えも入っているようです。

本軍を率いる秀次は、東海道経由で小田原城に向かい、
上杉景勝率いる別隊は、前田利家と東山道で合流し
上野・武蔵にある北条方の城を残らず落として進む作戦です。

徳川の与力である真田昌幸ですが、
上杉・前田軍が上野を攻撃するということもあって
“今回だけは”上杉軍に加わることになりました。

……というのは表向きでありまして、三成は
未だに家康のことが信じられないという部分があって、
仮に家康が秀吉を裏切った際、真田まで
連れていかれるのは困る、という考えも少しはあるみたいです。

「残念でござった……徳川殿の下で戦うのが
 楽しみであったのだが、殿下のお指図とあらば仕方ない!」
昌幸からは、とても残念という表情は微塵にも感じられませんがw


小田原城──東西2.9km、南北2.1km。

そんな大きな小田原城を秀吉軍が包囲したのは翌年4月初旬。
総勢180,000を超える軍勢で完全に包囲してしまいます。
秀吉と秀次が率いる本軍が城の西と北を、徳川軍が東を、
南側に広がる海には、長宗我部や九鬼などの水軍が固めます。

これだけの完全なる布陣なのですから、必ず勝たなければなりません。
そこで大谷吉継は、布陣を眺めながら気になることを言い出します。
「ひょっとして、あのお方は次なる戦いのための総稽古だと
 思われているのかもしれぬな」

私もそう思う、と頷く三成。
日本中に秀吉の敵がいなくなると、次なる敵は……朝鮮や明です。
その日のための手慣らしというわけです。


秀吉から諸将に集合の命令が下りまして、
膝を痛めている平野長泰は本陣周辺の諸大名に招集をかけ、
その代わり真田信繁は、本陣に立ち寄った後に
徳川軍に行くことになりました。

徳川軍に到着した時、家康は「ちょっと付き合え」と用を足す
ちょっとどこかで見たことのあるシーンなわけですが、
ちょっと濡れてしまった手で、裏切りの心配はご無用と
殿下に伝えてくれ、と信繁の鎧をポンと叩きます。

ウッ、という表情の信繁w


実は北条以外にもうひとり、秀吉に臣従を誓わない敵がおりまして、
それが“独眼竜”伊達政宗であります。
秀吉は、この戦の間に政宗が降伏するに違いないと考えていまして
それゆえに戦の決着を急がないように秀吉始め諸大名に伝えます。

秀吉は、この戦場に茶々を呼び寄せることにしておりまして
諸大名にも、妻を呼び寄せてもよいぞ、と声をかけます。

家康を呼び出した秀吉は、せっかくだから付き合え、と用を足します。
「関東の連れ小便として語り継がれようぞ」とニコニコの秀吉ですが、
そう、家康はついさっき信繁とともに用を足したばかりで
出るものも出ませんw

北条との戦が終わったら、その領地はそっくりそのまま
徳川に与えるつもりだ、と秀吉に言われてビックリします。

「関八州をやる代わりに江戸に移ってもらうから」
江戸もいいところらしいぞォ、と
ちょっと濡れてしまった手で家康の肩をポンと叩きます。
ただ、江戸という場所は江戸時代に栄えた街というわけではなく
当時は言うほどいい場所ではなかったと聞いたことがありますけどね。


上杉率いる東山道軍は、碓井峠を越えて松井田城を攻略。
忍(おし)城、鉢形城のある関東北部の制圧を目指しています。

「どうもヤル気が起きぬ。秀吉のために城を落とすというのが引っかかる」
「わしもじゃ。この戦には、大義というものを見いだせぬ」
松井田城に入った景勝と昌幸は、酒も入った勢いで愚痴っています。

北条では5月に入っても籠城か打って出るのか
家臣たちの意見がまとまっておらず、
北条氏政は薄化粧をして蹴鞠などして遊びほうけてばかりです。


6月に入りました。

昌幸から「やってみ」と言われて
真田信幸が忍城に攻め込みますが、
相手の反撃もまた強く、なかなか攻略できずにいます。


5月9日に会津黒川城を出発したという伊達が
1ヶ月後の6月9日に、ようやく小田原に姿を現します。
死に装束という派手なパフォーマンスで
秀吉に恭順の意を示します。

その衝撃的な知らせは氏政にも届けられます。
そう、氏政は伊達の援軍を期待してここまで籠城していたのです。

北条家内にも、いよいよ籠城の声が高まりつつあります。
しかし氏政がウンと言わないのです。
城に火を放ち、城を枕に自害して果てる、と言います。
「あまり賢いやり方ではありませぬが」(by 板部岡江雪斎)

どうしても秀吉に頭を下げたくない──。

北条早雲以来の名家・北条を滅ぼされるおつもりか!
そう江雪斎に言われて「従いはしよう」と譲歩した氏政ですが、
北条は上杉と同等に扱い、本領は安堵。
以後も豊臣家の重臣として丁重に扱えと降伏の条件を出しますが、

今まで臣従のチャンスを何度も与えられておきながらそれを断り続け
ついに降伏するにもかかわらずこんな条件は
さすがに虫が良すぎる話であります。
「それが飲めぬなら降伏はなしじゃ」


6月12日、未だに攻め落としきれない忍城を
代わりに担うために、秀吉は三成を忍城に送り込みます。

これまで何日にもわたって忍城を攻め続けて来た景勝や昌幸が
「私の見立てなら、堀を築くのに1日、攻めて3日」という発言に
現実を見ていない、と苦笑しています。


18日。
徳川の家来が小田原城に入って降伏を勧めていますが
城に入って3日、全くもって埒があきません。
三成が攻める忍城も苦戦しているようです。

そこで吉継に呼び出された信繁は、小田原城に入って
氏政を説き伏せよと命じられます。
氏政を説得して降伏させれば、忍城も歯向かいはしないでしょう。

秀吉が茶々と温泉に行っている間に何とかしなければならない。
三成も吉継も家康も、必死なのです。
「さてと……生きて帰れるかな」

小田原城に足を踏み入れた信繁は、
まずは当主・北条氏直と江雪斎と対面。
氏直としては降伏したがっているが、
父の意向も無視できず降伏できずにいることを確認します。

そして、ずっとそばで仕えて来た身内同然の者よりも
しがらみのない赤の他人の言葉の方が
ホロリと心を動かされることもある、と
江雪斎は信繁をオファーしたようです。


城内には、氏政の意を酌んで
降伏に反対の意見を持つ家臣たちも多いわけです。

彼らの攻撃を受けて狼狽えていたところ、
佐助が煙玉で相手をかく乱してくれ、
その間にジリジリと避難する信繁。

すると、グイッと信繁の首根っこを掴む武者が一人。
小山田茂誠です。
「お久しゅうござる!!」

言葉が出ず、呆気にとられたままの信繁に
茂誠の先導で氏政の前に連れていかれます。


天正18(1590)年6月17日、
石田三成が忍城を包囲し水攻めを始める。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと24年10ヶ月──。


作:三谷 幸喜
音楽:服部 隆之
題字:挾土 秀平
語り:有働 由美子 アナウンサー
──────────
[出演]
堺 雅人 (真田信繁)
大泉 洋 (真田信幸)
山本 耕史 (石田三成)
藤井 隆 (佐助)
小林 隆 (片桐且元)
片岡 愛之助 (大谷吉継)
──────────
高嶋 政伸 (北条氏政)
遠藤 憲一 (上杉景勝)
寺島 進 (出浦昌相)
近藤 芳正 (平野長泰)
桂 文枝 (千 利休)
竹内 結子 (茶々)
──────────
小日向 文世 (豊臣秀吉)
鈴木 京香 (寧)
近藤 正臣 (本多正信)
内野 聖陽 (徳川家康)
草刈 正雄 (真田昌幸)
──────────
制作統括:屋敷 陽太郎
    :吉川 邦夫
プロデューサー:清水 拓哉
演出:田中 正


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『真田丸』
第24回「滅亡」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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