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2016年6月17日 (金)

プレイバック武田信玄・(45)京への道

『信玄語録』

武田信玄を企業の経営者に例えてみよう。
信玄が残したといわれている言葉は不思議なほど現代的である。

「人事管理」

『諸侍を思ふこと 人の只喉(のど)の乾くに
 飲み物を好むごとくに 存ずること 肝要なり』
曰く、経営者たるもの
喉の渇きをひたすら癒すかのように
広く人材を求めなければならない。

『われが人を使ふは、人をば使はず、その業(わざ)を使ふなり』
これはまさに経営者たるもの
従業員の能力、適正を正しく
見極めなければならないという教えである。

『上駻(じょうかん)の 中の駻(かん)こそ 大将の
 乗るべき馬と 知れや武夫(もののふ)』
“上駻”とは荒馬。それを乗りこなすのが真の武将、
つまり癖のある人材を生かしてこそ本当の経営者なのだ。

『およそ士たる者 百人の中九十九人に 誉めらるる者は善き者にあらず
 軽薄者か、才覚者か、盗人か、侒人か この四つのうちなり』
と同時に、100人のうち99人に褒められるような人物は
武士のニセモノだと、信玄はその言葉の中で言いきっている。

そして、いわば「武田株式会社」の社運をかけた
一大プロジェクトが始まろうとしている。


元亀2(1571)年10月。
武田信玄はいよいよ京の都へ上洛するために
重臣たちを集めて軍議を開きます。

武田の軍勢は現在、甲斐・信濃衆20,000、西上野衆2,000、
飛騨衆1,000、駿河衆2,000、合わせて25,000人ですが、
最終的には武田の軍勢としては兵30,000人、
馬は6,000頭は必要という見積もりです。

そしてそれを元に、京の都まで行くのに
半年かかったとして必要経費を算出すると──。

兵30,000人の兵糧は、最初の1ヶ月分は
兵自身が持参するので残り5ヶ月で計算すると、26,500石。
馬のための穀物などで2,000石が別に必要になってきます。

そしてそれを運ぶために荷駄4,000台が必要になり、
さらにもろもろ運ばなければならないので、
最終的には荷駄は5,000台が必要です。

荷駄5,000台ということは
荷駄を引く馬が別に5,000頭必要になるわけで、
さらに荷駄1台に人夫を2人つけると10,000人。
よって兵と人夫を合わせて40,000人。
馬は騎馬と荷駄馬合わせて11,000頭。

加えて、太刀、槍、弓矢など
予備に1,000ずつ用意したとすれば約4,000貫。
槍と弓矢には1,500貫を見積もることになり、
さらに鉄砲を300丁新たに買い入れるので……。

上洛するのに必要なものを武田で用意したとすると
100,000〜120,000貫が必要となります。
算出されたこの数字は、最も安く見積もって、という条件なので
実際には150,000貫ほどは必要だと覚悟しなければなりません。

「150,000貫か……」と信廉はため息をつきますが、
これが現在のお金でどれぐらいの数量かを計算してみました。

「貫」とは、1文1,000枚を紐で通して束にしたもので
(一説によれば現実には1,000枚ではなく960枚程度らしい)
当時の16文が現在の300円程度なので、1文が18.75円。
1貫は960倍して約18,000円となります。

よって、150,000貫は、40,500,000,000円=405億!
(換算法にもいろいろ諸説あり)
それをたった半年ですべて消費してしまうのですから
確かにため息をつきたくなるのも無理はありませんね。

ただ、その見積もりを算出した勘定奉行としては
用意できるのは70,000貫程度。
金山銀山も、近頃の度重なる出費で蓄えを期待できず
蓄えもすべてここから出してしまえば国が滅亡してしまいます。

「何を申す! 上洛止めよと申すのか!!」
と馬場信春はいきり立ちますが、
真田幸隆は、城を落とす度に兵も荷駄も馬も現地で調達して
70,000貫をなるだけ使わないように
上手く活用していくしかない、と提案します。

あるいは、荷駄を運ぶ人夫10,000人も
見方によっては戦の邪魔ということもあります。
駿河には海運がありますので、
それを活用する方法も模索してみる価値はありそうです。

甲斐から京への上洛の道を遮りかねない織田信長が
70,000の大軍勢に成長しています。

それに対し武田軍が30,000であるので、
越前朝倉家と近江浅井家、そして本願寺顕如に
武田上洛と同時に信長を攻撃するように手配しています。
これで力は互角、持久戦ということになりそうです。


北条氏康の死をもって、
北条家と上杉家の盟約は破綻しました。

上杉家へ養子に行っている北条氏康の子・上杉景虎は
このまま越後に残り、北条の敵として生きることになります。


武田の軍議はまだまだ続きます。
今度は上洛する道すじについてです。

正攻法からいけば
駿河から三河、尾張、美濃というルートになりますが、
1つ1つ城を落としていったのであれば
上洛まで半年という時間もなくなってしまいます。

そこで、山づたいに甲斐から美濃に一気に移動し
いきなり織田信長ののど元に襲いかかる案、
天竜川沿いに南下し、掛川城を攻撃する案、
本隊を3〜4つに分け、それぞれでバラバラに行動して
どれが本隊か、その目的化を悟られないように行く、など
いろいろな案が出てきます。

……と、そこで信玄はひどく咳き込みます。
家臣たちは信玄を案じて駆け寄ってきますが、
構わず軍議を続けるように命じます。
「病に勝てずして戦に勝てるか」


一方で、北条氏康亡き後
信玄が動く気配がある、という情報が
織田信長の元にもたらされます。

北条と上杉の盟約が崩れ、
北条は新たに武田と同盟を結びました。
しかし、上杉と徳川の盟約はまだ続いています。
信長はまず、徳川家康に武田を攻めさせ
上洛の道を邪魔するように仕向けます。

それにしても、浅井・朝倉も本願寺も
動きが慌ただしくなってきておりまして、
信長は、自分を取り囲もうとする相手の意図を
正確に読み取ります。


元亀3(1572)年1月、
北条氏政は上杉謙信との同盟を破棄し、
武田信玄と再び和睦する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと43年4ヶ月──。


脚本:田向 正健
原作:新田 次郎「武田信玄」
音楽:山本 直純
タイトル題字:渡辺 裕英
語り(大井夫人):若尾 文子
──────────
[出演]
中井 貴一 (武田信玄)
柴田 恭兵 (上杉謙信)
大地 真央 (里美)
石橋 凌 (織田信長)
麻生 祐未 (濃姫)
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池上 季実子 (恵理)
美木 良介 (馬場信春)
村上 弘明 (高坂弾正)
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河原崎 建三 (梁田政綱)

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橋爪 功 (真田幸隆)
篠田 三郎 (山県昌景)
佐藤 慶 (阿部勝宝)
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制作:村上 慧
演出:一井 久司

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