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2016年6月21日 (火)

プレイバック武田信玄・(47)三方ヶ原の戦い

京の都を目指す信玄の当面の敵は徳川家康であった。

家康の浜松城を攻めるには
・甲府から駿河に入り、駿府→高天神→掛川→浜松
・甲府から飯田に入り、青崩峠→遠江二俣城→浜松
・甲府から飯田に入り、駒場→相羽→長篠→浜松
の3つのルートが考えられ、信玄は真ん中の
(甲府→飯田→青崩峠→遠江二俣城→浜松)ルートを選んだ。

甲府を出発した信玄の軍勢は諏訪湖のほとりを回り
高遠から伊那谷に入った。
天竜川沿いのこの道は、
山岳地帯を走破しなければならない険しい道だが、
以前から武田家の支配下にあった。

そのため、軍事施設としての城が数多くあり
付近の農村地帯からの兵糧や馬の飼い葉などの調達も容易であった。
つまり信玄にとって、もっとも安全な道であったのである。

飯田から青崩峠を越え、遠江に入った信玄は二俣城を包囲した。
この間、別働隊の山県昌景が一番西側のルートから
井平城を落とし家康に圧力をかけた。

二俣城を落とした信玄は、
27,000の軍勢を率いて三方ヶ原に向かった。
一方家康も、11,000の兵とともに浜松城を出て対峙した。
やがて家康はこの戦いで、大きな教訓を得ることになるのである。


元亀3(1572)年10月3日・武田軍 甲府出発──。

その知らせは、浜松城の徳川家康、
岐阜城の織田信長にすぐにもたらされます。

家康は信長に援軍を請い、
信長は、浅井・朝倉や石山本願寺などによる
自身の包囲網を崩す前に
信玄が動き出したことにいら立ちを隠し切れません。

それは、武力といい兵力といい織田軍が武田軍に勝っていて、
また信玄と歩調を合わせる浅井の力もほとんどない状態から
信玄が攻めかかっていても心配ないという声もありますが、

信長は、戦は兵数ではないということを
桶狭間の戦いで得た教訓としていまして、
相手が信玄だからこそ難儀だ、という理解はしています。


武田軍がいよいよ三河へ攻め寄せてきました。

天竜川に沿って南下してきた時、
犬居城と二俣城を落としてしまえば
強固な掛川城と高天神城を孤立させることができ、
浜松城が攻めやすくなります。

そうなれば、この浜松城が
武田軍に攻められるのも時間の問題です。
家康は、織田軍にはなるだけそうなる前に、
援軍として来てほしいと要請を出します。

そして家臣たちには、籠城の準備をさせます。

しかし、家康の援軍の要請を受けた信長は
戦う前から要請を出したことに不愉快さを感じて
いつも通りの「できるだけ早く援軍を出す」との返事に留めます。

そして越後の上杉謙信に、信濃に攻め入るように依頼させよ、と
徳川からの使者を追い返してしまいます。


武田軍は、徳川方の家臣の寝返りにより
犬居城に容易に入ることが出来ました。

これから武田軍は、馬場信春隊を先に二俣城に向かわせ、
残る本隊はいったん南下し、
掛川城、高天神城を横目に見ながら方向転換して北上。
馬場隊と合流して二俣城を挟んで攻めます。

そうすることで、
掛川城と高天神城は籠城の構えを崩さないでしょうし
浜松城からも孤立させて戦うことが出来ます。

ただ、二俣城は天然要害の城でありまして
1ヶ月囲んでもなかなか落ちる気配がありません。

馬場からの依頼で、高坂弾正が
二俣城大手門に攻めかかってみることにします。
その軍勢には、平三・平五兄弟と
山本勘助の遺児・山本勘市がおります。

勘市は、いざ徳川勢を前にすると
父の仇出て来い! などと焦り始め、
勢い余ってその場に立ち上がってしまうのですが、
そのせいで、仕掛けにひっかかって敵に気づかれてしまいます。

勘市を伏せさせようとした平五が、
徳川方の鉄砲に射抜かれてしまいます。
勘市は我に返りますが、
平五はすでに命を落としているので後の祭りです。

それから1ヶ月が経ち、ようやく二俣城を落とした武田軍は
そのまま浜松城に向かって進軍します。


浜松城に、織田方からの援軍として
佐久間信盛と平手汎秀が到着しました。
家康は大歓迎です。


12月22日・三方ヶ原──。

「浜松城に動きありませぬ。籠城して我が軍勢待つようにござりまする」
「では浜松城を捨て置き、尾張を目指す」

浜松城をそのまま無視し、
いきり立った家康が出てくれば一気に叩き潰す。
出て来なければそのまま尾張を目指す。
そういうわけです。

武田の軍勢が城を囲むと思っていた家康でしたが、
城の前を通り過ぎていく武田軍に完全に血迷って、
武田軍に向かって出陣します。

雪崩を打って徳川方に襲いかかる武田軍。
馬の駈ける音と、兵士の雄叫びが
不気味な地響きとなって聞こえてきます。

完全に自軍とはぐれてしまった家康は
懸命に逃げますが、武田の兵士が
どこまでもどこまでも家康を追ってきます。

命からがら浜松城に逃げ帰った家康は
すぐさま絵師を呼び、自身の姿を描かせます。
生涯 座右に置いて愚かな過ちを
二度としないように心がけたという話です。


武田軍は三方ヶ原を出発し西に進みます。


元亀3(1572)年12月22日、
遠江・三方ヶ原で武田信玄軍と徳川家康・織田信長連合軍が戦い
武田信玄が圧勝、徳川家康が大敗を喫する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと42年7ヶ月──。


脚本:田向 正健
原作:新田 次郎「武田信玄」
音楽:山本 直純
タイトル題字:渡辺 裕英
語り(大井夫人):若尾 文子
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[出演]
中井 貴一 (武田信玄)
大地 真央 (里美)
石橋 凌 (織田信長)
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池上 季実子 (恵理)
美木 良介 (馬場信春)
村上 弘明 (高坂弾正)
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中村 橋之助 (徳川家康)
河原崎 建三 (梁田政綱)
大門 正明 (市川大介)
市川 団蔵 (足利義昭)
佐々木 すみ江 (とら)
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篠田 三郎 (山県昌景)
佐藤 慶 (阿部勝宝)
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制作:村上 慧
演出:重光 亨彦

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