プレイバック真田太平記・[新] (01)若武者たち
天正10(1582)年3月1日──。
全国制覇を目前にしていた
甲斐の武田信玄が死んですでに9年。
あまりにも偉大な力を持っていた信玄を前に
なりを潜めていた各地の戦国大名たちは
信玄の死を待っていたかのように動きだし、
特に尾張の織田信長はその勢力を広げて
小田原の北条氏政、三河の徳川家康とも手を結び
信玄の遺児・武田勝頼を攻撃していました。
今から400年前(※放送当時)のことであります。
そして武田軍最後の砦とも言うべき信州高遠城を
織田軍50,000が包囲していました。
原作:池波 正太郎
脚本:金子 成人
音楽:林 光
考証:鈴木 敬三
風俗考証:磯目 篤郎
殺陣:林 邦史朗
タイトル題字:池波 正太郎
タイトルバック:山口 泰博
語り:和田 篤 アナウンサー
──────────
[出演]
渡瀬 恒彦 (真田信幸)
草刈 正雄 (真田幸村)
遙 くらら (お江)
榎木 孝明 (樋口角兵衛)
木之元 亮 (向井佐平次)
大谷 友右衛門 (矢沢頼康)
真田 健一郎 (奥村弥五兵衛)
渋谷 天笑 (姉山甚八)
水島 涼太 (沢山東次)
野分 龍 (熊沢仙三)
入江 繭子 (弥生)
筑波 みどり (宇乃)
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夏八木 勲 (壺谷又五郎)
香野 百合子 (久野)
石橋 蓮司 (猫田与助)
宏滋 晃 (武田勝頼)
戸沢 佑介 (小山田信茂)
古屋野 恵義 (原島市之介)
幸田 直子 (奈美)
小島 憲子 (女忍び)
岩間 志乃 (武田勝頼夫人)
都築 貴浩 (武田信勝)
中島 次雄 (組頭)
千葉 清次郎 (織田の忍び)
猫俣 博 (織田の忍び)
小田島 隆 (真田の忍び)
中村 正人 (真田の忍び)
中西 由香力 (真田家の侍女)
小西 美千代 (真田家の侍女)
江森 正枝 (真田家の侍女)
丹内 由基子 (真田家の侍女)
栗野 雅子 (真田家の侍女)
市来 まさみ (草屋敷の女)
鹿倉 加代子 (草屋敷の女)
小沢 悦子 (草屋敷の女)
若駒
鳳プロ
劇団ひまわり
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加藤 嘉 (矢沢頼綱)
花沢 徳衛 (横沢与七)
小山 明子 (山手殿)
丹波 哲郎 (真田昌幸)
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制作:榎本 一生
美術:内藤 政市
技術:設楽 国雄
効果:上田 光生
照明:高橋 猛
カメラ:吉野 照久
音声:谷島 一樹
記録・編集:野田 茂子
演出:大原 誠
武田家の命運がまさに尽きようとしているこの時、
上州岩櫃城を野駆けする3人の男たち。
真田の嫡男・真田源三郎信幸、
その弟・真田源次郎幸村、
それに樋口角兵衛であります。
3月の肌寒い時とはいえ
遠距離を野駆けしてくれば汗もかくわけで、
幸村と角兵衛は川の水で顔を洗って気持ちよさそうです。
しかし信幸は、汗もかかず生真面目な表情ばかり。
人が幸村らのような人間を好むことは、
信幸は重々分かっているつもりです。
信幸らは、上州沼田、岩櫃、信濃小県の領主である
父・真田昌幸の招集命令に応じて急いで岩櫃城に戻ります。
昌幸の目となり耳となっていろいろな情報をもたらす“草の者”。
そんな彼らを束ねる壺谷又五郎が昌幸の前に音もなく現れ
武田軍が織田軍に囲まれている現状を報告しています。
そこに戻って来た信幸と幸村。
それに真田家臣の矢沢三十郎頼康が加わります。
その席に加われない角兵衛は、
信幸・幸村の従兄弟(母親同士が姉妹)でありながら
軍議の場には呼ばれていません。
オレはいっつものけ者だ! とすねています(^ ^;;)
「勝頼さまをこの岩櫃にお迎えする」
真田の居城・岩櫃城は難攻不落という自信があり、
ここに地侍や農民たちをかき集めて
勝頼を迎えて1〜2年踏ん張っていれば
いずれは武田の陣構えができてくるであろう、という推測です。
打つ手がなくなる前に、
又五郎に高遠城へ向かわせることにします。
武田を救う道は、敵の大将である織田信忠を襲うしか
方法がなかったわけです。
そして昌幸は勝頼のいる新府城へ。
武田家父祖伝来の地、
甲斐信濃を捨てて岩櫃へ移ってほしい。
そう説得する昌幸に少し考えた勝頼は頷きますが、
昌幸が退室した後、小山田信茂が反対を唱えるわけです。
そしていよいよ、高遠城では
信忠による総攻めの命が下されます。
岩櫃城では、勝頼が入った時のために
籠城の支度が始められています。
しかし、昌幸がどれだけ待っても
勝頼が入城したという知らせがありません。
武田の命運尽きたか──。
昌幸がつぶやきます。
又五郎の配下の“女 草の者”お江は、武田軍の中から
向井佐平次という男を救い出せという命を受け
負傷した佐平次を支えながら城を脱出します。
その後高遠城が落ち、織田軍は更に怒濤のように
甲斐へなだれ込んできました。
3月10日、勝頼自害。
岩櫃へ迎え入れようとした時には10,000いた
武田の軍勢はほとんどが逃げ去り、
名門としてはあまりにも寂しい終焉でありました。
昌幸は、妻・山手殿の妹で
武田家家臣の樋口下総守の妻である久野に
武田家滅亡のことを伝えます。
樋口下総守も武田家と命運を共にしたということで
嘆き悲しむ久野ですが、昌幸は
このまま岩櫃で暮らせばよいと久野を抱き寄せます。
どうやら昔、昌幸と久野は関係があったようで(^ ^;;)
山手殿は、そんな妹と夫との関係を疑っています。
佐平次を介護するお江ですが、
介護しながら、敵の“草の者”につけられたと察知。
佐平次を突き落とし、生きたいならここを動くなと命令すると
敵の目を逸らそうと独自に動き出します。
お江をつけていたのは猫田与助。
織田信長のために働く甲賀忍びのひとり。
与助と対決したお江でしたが、
相手が忍びの男であっては
いくら強いお江といっても劣勢になります。
お江ピンチ!
しかしその瞬間、
横から仲間の奥村弥五兵衛による助けが入り、
命拾いです。
武田という主を失った真田のとるべき道は──。
3つの城を束ねる真田領に上杉が攻めてくるのは無論であり、
それを織田徳川が黙って見過ごすこともあり得ません。
北条からは、小田原につけと催促が来ています。
信幸は、北条とは手を切るべきだと主張。
北条と手を切るということは、つまり徳川につけということですが、
しかし昌幸は徳川家康という人物が好きではないと言い出します。
いやいや信幸は、徳川につけというのではなく
織田につけと言っているわけです。
信長に頭を下げよと言うのか、と昌幸はたちまち不機嫌になり
会議の席から追い出されてしまいます。
といいつつ、昌幸は信長に対して書状をしたためます。
天正10(1582)年3月11日、
「天目山の戦い」で滝川一益軍に奮戦するも、
午前11時ごろに武田勝頼は自害し、守護大名武田家が滅亡する。
慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで
あと33年1ヶ月──。
(『真田丸』では「(1)船出」〜「(2)決断」付近)
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