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2016年7月 8日 (金)

プレイバック真田太平記・(02)天魔の夏

天正10(1582)年3月、
武田勝頼が自害して、甲斐武田家は滅びました。

武田家に仕えて来た真田家に対し、
北条家は「服属せよ」と催促して来ます。
真田昌幸の弟・信尹は織田につけと主張。

いずれかに属さなければ生きていけない小さな真田家は
進退を迫られていたわけです。
昌幸は、嫡男・真田信幸の意見に従い
織田信長に服属の密書を送ることにします。


お江と奥村弥五兵衛に抱えられて
安楽寺に連れて来られた向井佐平次は
しばらくここで傷を癒すことになりました。

いろいろと介抱をしてくれたお江とはここでお別れになりますが、
お江は、先ほど対決した猫田与助のことが頭から離れません。
いつか機会を見つけ出し、何としても倒したい相手だったのです。


父・樋口下総守を亡くし
樋口角兵衛は力を落としています。

真田幸村は、そんな角兵衛を励まそうと
彼の陽気な性格から
笑わせようとしたりビックリさせようとしたり。

しかしすねている角兵衛は、
そんな幸村のことが好きになれません。

後から入ってきた信幸は、樋口の家を継ぐ者として
わぬしがいつまでも沈んでいてはなるまい! と叱咤。
角兵衛は、幸村の言うことにはいちいち反発しますが
信幸の言うことはすんなり納得できます。


明日、真田庄の壺谷又五郎を訪ねるように、と言われた佐平次は
安楽寺裏のいで湯に浸かって傷を癒していると
そこにひとりの若武者も入ってきました。

よう生き延びられた! と明るい顔で話しかけて来るので
佐平次も引きつりながら会話せざるを得ないわけですが、

湯から上がり、「ワシが道案内をしてやろう」と言って
安楽寺に入って行く若武者が、真田幸村であることを
その直後に知る佐平次でした。


宮塚才蔵(みやのつか・さいぞう)──。

彼に火薬を扱わせると、
その右に出る者がいないと言われるほど
長けている草の者です。

彼が、又五郎の密書を昌幸に届けに来ました。

密書には、織田信長の論功行賞の結果を記してあり
武田攻略においての徳川家康の功績を評価して駿河を与え
滝川一益には、上州沼田・小県・佐久を与えたそうです。

小県とは、真田庄が興った上田平一帯のことであります。
つまり、昌幸の勢力圏に織田信長が
入り込もうとしていたわけです。

これは、もしかしたら服属を誓う密書を送った真田を
信長は試しているのかもしれない、と信幸。
信長め! 源三郎め! と激怒する昌幸ですが、
だからといって打つ手があるわけではありません。

怒りが収まらない昌幸は、
山手殿の寝所にもぐりこもうとしますが
眠れないなら酒でも飲めばいいのに、と
完全に拒否されてしまいます。

不満顔を浮かべながら、昌幸はふと思い立ち
山手殿の妹・久野の寝所へ向かおうとしますが、
侍女に付けられていることに気づきます。

侍女を問いつめると、昌幸が寝所におとなしく戻るかを
山手殿が見届けるように命じたようで、
その山手殿の名前を聞いてガクガク震え出した昌幸は
「ワシの寝所に戻るぞぉ」とすごすご戻っていきます。


翌日、幸村の馬を引いていく佐平次の姿がありました。

又五郎とは、自分の父と関わりがあったらしいのですが、
佐平次は又五郎のことは何も知りません。

幸村曰く、
もともとは武田信玄に仕えていた忍びの者でしたが、
信玄亡き後、昌幸が勝頼に譲り受けたらしく
それからは真田の忍びの頭領として生きています。

忍びの者たちが暮らす“草屋敷”に
佐平次を案内した幸村でしたが、
横沢与七に佐平次を託そうとした時に見せた
佐平次の不安気な顔を見て、

(佐平次のことが)気に入った! と
自分の家来としてもらい受けることを勝手に決めます。
大喜びする佐平次です。


昌幸は上野沼田城に入ります。

おそらく叔父の矢沢頼綱と談合しているのでしょう、と
山手殿に説明していた信幸でしたが、
山手殿の推察通り、沼田城には沼田の女・お徳がおりまして
その膝枕でのんびりと過ごしている昌幸です。

とはいえ、談合は談合でしっかりやっているのですよw

昌幸は、頼綱と又五郎と談合をしていますが、
頼綱の計らいで、岩櫃城に使いを出し
信幸にもその談合に参加してもらおうとします。

最近、信幸と意見が合わない昌幸は
「わぬしはどうして城を離れたのだ」と怒りに震えますが、
世継ぎであればこそ呼んだのだ、とご意見番。
頼綱の言葉には、昌幸でさえ逆らえない空気です。

そして会議の結果、滝川一益に会ってみることにした昌幸。
信幸には岩櫃城に戻って守りを固めよと命じ
又五郎にも事に備えるように命じます。

信幸と又五郎が去って、頼綱が昌幸に
信幸を嫌っているのかとこっそり聞いてみます。
「嫌うておるわけではありませぬが……少々出来がよすぎまする」


一益との会見の日。

昌幸と対面した一益は、昌幸でさえ驚くようなことを口にします。
「小県については、これまでの如くそこもとに治めてもらいたい」

初めて治める土地では、何とも座り心地が悪く
土地をよく知ったものの方が何かと上手くいく、と言っているのです。
かたじけのう、と頭を下げる昌幸。
安堵の表情です。


真田の草の者の間では、
信長が中国攻めに入るという情報を入手しています。

そして6月。

安土城を出た織田信長は京に入ります。
お江もまた、その京にいて信長の情報を探っています。

信長はわずかな供回りだけを連れて本能寺に入りますが、
どんな人たちが信長に挨拶にくるのか
日に2〜3度は本能寺の周辺を行商のなりをして歩き回ります。

そんな時、修行僧の姿で歩く与助の姿を見つけます。
「猫田与助、京に来ていたか」


その日の夜、忍びの格好をしているお江は
京の街道筋を移動する明智軍を見かけます。

明智軍を見たのは与助も同様でありまして、
中国攻めへ参加するはずの明智軍が
本能寺に向かっていることに驚きを隠せない与助です。

与助がふと見上げると、
屋根から与助を睨みつけるお江と目が合ってしまいます。
「江、またいずれな」

明智光秀の軍勢が本能寺に信長を襲撃。
信長は自ら腹を斬り、本能寺とともに
49歳の命を燃やし尽くします。


本能寺の報を聞き、昌幸は動揺を隠し切れません。

北条が出てくる前に、沼田城を取り戻そうと
昌幸は信幸と幸村に出陣の支度を命じます。

沼田城の一益は、
急報を聞いていち早く城を出ていたのです。
おかげで真田軍は、
戦うことなく沼田城に入ることができました。

とはいえ、信長の死を知った上杉が
動き出すことは容易に想像できます。

小県に上杉に対する城が欲しい……。
昌幸はつぶやきます。

3月に武田家が滅び、6月に信長が死にました。
世はにわかに激動の様相を見せ始めていました。


天正10(1582)年6月2日、
京都本能寺で、家臣の明智光秀に攻められ
織田信長が自刃する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと32年12ヶ月──。

(『真田丸』では「(3)策略」〜「(4)挑戦」付近)


原作:池波 正太郎
脚本:金子 成人
音楽:林 光
タイトル題字:池波 正太郎
語り:和田 篤 アナウンサー
──────────
[出演]
渡瀬 恒彦 (真田信幸)
草刈 正雄 (真田幸村)
遙 くらら (お江)
榎木 孝明 (樋口角兵衛)
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夏八木 勲 (壺谷又五郎)
坂口 良子 (お徳)
香野 百合子 (久野)
石橋 蓮司 (猫田与助)
──────────
加藤 嘉 (矢沢頼綱)
花沢 徳衛 (横沢与七)
小山 明子 (山手殿)
丹波 哲郎 (真田昌幸)
──────────
制作:榎本 一生
演出:門脇 正美

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