« 鋭意編集中! | トップページ | 過ごし方 »

2016年7月10日 (日)

大河ドラマ真田丸・(27)不信 〜権力者・兄と弟〜今夜は7時10分から

太閤秀吉と茶々の間に、再び男子が誕生した。
秀吉は喜びを隠せない。
一方で、関白となった豊臣秀次は、次第に孤立していく──。


豊臣秀吉は、真田信繁に
関白・豊臣秀次付きになってもらえないかと再び打診します。

信繁は、かつての打診にも断ったように
しばらくは秀吉の下で学びたいと言って再び断るわけですが、
かわいいかわいい甥っ子・孫七郎(秀次)なので、
何とかしてやりたいと思っているようです。

まあ、関白付きになったことを必要以上に羨む
平野長泰というガヤもおりますが、
ともかく信繁は、身の引き締まる思いです。


秀吉は、生まれて来た男子に『拾』と名付けます。
拾い子は丈夫に育つから、という理由ですが、
ワタクシは単に、捨丸(鶴松)の
逆を行っただけのような気がしていますw

片桐且元は「お拾さまァ〜」と猫なで声で呼びかけますが、
秀吉にたちまち怒られてしまいます。
「“お”はいらぬ。ぞんざいに扱う方がいいんだ」

その場に同席していた秀次は、ゆくゆく拾が大きく成長したら
関白の座を拾に譲るつもりでおりまして、
その考えであることを秀吉に伝えたわけですが、

秀吉は、そのことには可とも否とも返事せず、
懐から日本の地図を取り出して、九州を指さします。
日本を大きく5つに分け、九州以外の4区画を秀次にやるから
九州を拾に譲ってほしい、というのです。

とはいえ、関白の座はいずれは成長した拾が受け継ぐわけで、
そうなると、1区画といわず日本全てが拾のものになりますが、
秀吉にいわせれば、そんな先の話ではないらしいのです。
言葉が話せるようになったら、
ここはお前の国だぞ、と教えてやりたいのだそうです。


京の真田屋敷には、真田昌幸の弟・真田信尹が来ていました。
徳川家に出仕していた信尹は、
家康から1万石に加増してやるという申し出を断って
徳川家を飛び出して来たそうです。

これからは、諸国見聞の旅に出るそうですが
この信尹が信繁の人生に大きく関わってくるのは
これより22年後の大坂の陣においてであります。


秀次の様子が少しおかしいです。
娘のたか曰く、秀次は自分がどう思っているよりも
人にどう思われているかが一番大事な人であり、
そう考えることで、最近はひどく疲れているのだそうです。

九州の一件でもそうですし、秀次の娘と拾を婚約させて
秀吉は決して秀次を目障りとは思っていないことを証明して
秀次を安心させてやろう! という秀吉の優しさが
逆に秀次を疑心暗鬼に追い詰めていきます。

そんな秀次を何かと励ましていた豊臣秀俊は
毛利一門の小早川家に養子に出されることになりました。


秀吉は能が好き、という情報を受け
秀吉受けを良くするために、秀次は宇喜多秀家に弟子入りし
能の稽古を続けてきました。

そしていよいよ晴れ舞台。
秀次、秀保、秀俊の3人で演じる予定が
秀保急病のため、急きょ信繁が登板することになりました。

ところが、秀吉の顔がみるみる不満顔に変わっていきます。

「関白はほかにやるべきことがいくらでもあるだろう!」
能の稽古をしているから公家衆になめられる、と秀次を叱責。
おまけに、信繁の下手さ加減にも呆れていますが
信繁は秀保の代役なのですから、練習不足でも仕方ありません。

その秀保が、急病で倒れたことを知った秀吉は
膳をひっくり返し、猛烈に怒ります。
「お前たちは揃いも揃って何をやっておるのだ!!」

北政所は、秀次が秀吉に取り繕うことなんか必要ないから
堂々としていなさいとアドバイスを送ります。
それこそが、これからの豊臣を引っ張っていく秀次に
秀吉が期待していることだ、と。


「従五位下ではどうだ?」
信繁に、秀吉から官位の話が出ました。
源次郎は、1歳上の信幸を差し置いて
官位を頂戴するなどとんでもない話で、断ります。

しかし酔った秀吉は、自分だけが官位をもらうのでは足らず
兄にも位をよこせと言っているように受け取ったようで
杯を信繁に投げつけ、思い上がるなと怒鳴ります。
「策士、策に溺れるとはこのこと。金輪際、官位などやるものか!」

そこで、先ほどのアドバイスを受けてか、秀次が助け舟を出します。
官位を与えるのは関白の仕事だ、と秀吉に言ったのです。
信繁には従五位下の位を授け、信幸にはよく調査した上で
支障がなければ位を授ける、ということにしたのです。

秀吉はニッコリ笑って、
これは関白の仕事であったと自分の謝りを認めます。
「それでこそ関白じゃ!」


秀次から帝へ奏上があり、信幸に官位をという話になりまして
信幸が上洛することになりました。

大名の妻は京に住む決まりだそうで、信幸の妻・稲も
一緒に上洛して京に住まいを移すことになりますが、
「稲は参りませぬ!」の一点張り。

稲は、浜松の故郷へ帰る決心をし、侍女にもそう伝えます。
侍女のおこうは、稲の気持ちも察しつつ
稲よりももっと辛い思いをしている人がいるのだと諭します。
「乗り越えねば。何としても乗り越えねば」

稲の手を握り、目を見つめてつぶやきます。
奥方さまが帰る場所は、ここより他にはないと──。


文禄3(1594)年11月2日、
京の聚落第において、信幸・信繁兄弟はそろって叙任されます。
信幸は「従五位下伊豆守」、信繁は「従五位下左衛門佐」です。

信繁は秀次に礼を述べます。

秀次は少し自信を持ち始めたようで、
明や朝鮮の使節などとも対面しなければならないことを考えて
聚落第を新たに作り帰るつもりでいます。
見たものをアッと驚かすほどの、豪華な作りにです。

翌日、昌幸は秀吉に御礼言上に城に上がります。
その時秀吉は、そもそもは信繁だけに与える予定だった官位を
信幸も一緒にもらえたのは弟のおかげということを言って笑いますが、
信幸としては、それを聞いてとてもショッキングです。

兄と弟の間に、思わぬ亀裂が入りました。

秀吉の隠居所として築城に入っている伏見城を
政治を行ったり、外国の使節等が来てもてなせるように
そして外から攻めて来ても大丈夫なように
難攻不落の城に変えてくれ、と秀吉からの直々の以来です。

秀吉が伏見城で政治を行おうとしていることを
秀次が知ったら……と一抹の不安を覚える信繁ですが、
その時はすぐにやってきまして、
「何ゆえ太閤殿下は私のことを信じてくださらぬ!」と嘆きます。

更に秀次に追い打ちをかける出来事が起きます。
病床にあった弟・大和中納言秀保が17歳という若さで他界。
秀吉は、葬儀は隠密に済ませ
豊臣一門の参列を許さないという徹底ぶりです。

拾が3歳という年齢を迎えました。
鶴松が落命した年齢です。
秀吉にとっては今年が不吉の年であり、
何としても何事もなく過ごしたかったのかもしれません。

こういった冷たい仕打ちは、秀次を戦慄とさせます。
「これで分かった。あの方は我らは邪魔なのだ」

秀次の不安は頂点に達し、一つの決断に至ります。


秀次の姿がどこにも見当たりません。
信繁や長泰が必死に探しますが、どこにもいないのです。

そこに通りかかった秀俊はぽつりとつぶやきます。
「殿下は……多分もうここにはおられない」


大坂城内。
きりが廊下を歩いていますと、
庭からきりを呼ぶ声がします。

「──殿下!?」


文禄3(1594)年11月2日、
真田信繁が従五位下左衛門佐に叙任され、豊臣姓を下賜される。
同日、兄・真田信幸は従五位下伊豆守に叙任される。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと20年6ヶ月──。


作:三谷 幸喜
音楽:服部 隆之
題字:挾土 秀平
語り:有働 由美子 アナウンサー
──────────
[出演]
堺 雅人 (真田信繁)
大泉 洋 (真田信幸)
長澤 まさみ (きり)
山本 耕史 (石田三成)
吉田 羊 (稲)
片岡 愛之助 (大谷吉継)
──────────
小林 隆 (片桐且元)
近藤 芳正 (平野長泰)
新納 慎也 (豊臣秀次)
高橋 和也 (宇喜多秀家)
竹内 結子 (茶々)
──────────
小日向 文世 (豊臣秀吉)
鈴木 京香 (寧)
草刈 正雄 (真田昌幸)
──────────
制作統括:屋敷 陽太郎
    :吉川 邦夫
プロデューサー:吉岡 和彦
演出:木村 隆文


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『真田丸』
第28回「受難」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

|

« 鋭意編集中! | トップページ | 過ごし方 »

NHK大河2016・真田丸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 鋭意編集中! | トップページ | 過ごし方 »