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2016年7月31日 (日)

大河ドラマ真田丸・(30)黄昏(たそがれ) 〜太閤失踪・家康諜報・景勝会津・信繁苦悩〜 今夜7時15分から

太閤秀吉は、死の恐怖に苛まれていた。
一方、昌幸は伏見城の増築に己の夢を掛けるが、
伏見一帯を巨大な地震が襲った──。


巨大地震を受け、伏見城には
その日大坂にいた加藤清正が真っ先に駆けつけます。
そして、伏見城はついに倒壊……。

豊臣秀吉は城の北部にある木幡山に避難所を設け、
仮の宿所とします。

伏見城増築を任されていた真田昌幸も木幡山に目をつけ、
伏見城を守る格好の場所であるがゆえに
そこに出城を築こうと考えていただけに
さすが太閤殿下! と嬉しそうですが、

「戦うための城造りはもう取りやめだ」
秀吉の住まいを造ることを急務とするため、
城造りはもういい、堀の普請に回ってもらう、と
石田三成に冷たく言われてしまいます。

木幡山に城ができるまで、秀吉一家はいったん大坂へ戻ります。

ちょうどそんな時、イスパニアの船「サン・フェリペ号」が漂着。
前月28日に嵐に遭い、土佐に漂着したのだそうです。
四国の大名・長宗我部元親の命により、
「サン・フェリペ号」は浦戸湾へ回漕されます。

積み荷の値打ちはおよそ70万石。
今回の大地震でたいそう物入りだったため、
秀吉はその積み荷を取り上げようとしますが、

4年前に、船の積み荷を勝手に奪ってはならないと
秀吉自身が触れを出していまして、
荷を召し上げられないと真田信繁が穏やかに答えると、
「──罪があればよいのだな?」

ギョッという表情になる、三成、信繁、片桐且元。

バテレン追放礼を使い、罪を作り上げようとする秀吉。
バテレンたちの耳を削ぎ、鼻を削ぎ、引き回しの上 磔を命じます。
6人の宣教師と20人の日本人信者は、その後
長崎で磔の刑に処せられます。

その中には、きりと細川 玉(ガラシャ)を結んだ
大工・フランシスコ吉蔵も混ざっていました。


文禄5(1596)年9月。
明の使節団が、和平交渉のために大坂城を訪れます。
わしに頭を下げおった、と秀吉は上機嫌ですが、
実はひとつの行き違いがありました。

明国は決して降伏したわけではなく、
明の朝廷は秀吉に対し、日本国王の称号を与え
その代わりに挑戦からの撤兵を求めたわけです。

「勝ったのはこっちじゃ!」と秀吉は大激怒。
明国に対して再び戦を起こし
再び大軍勢を朝鮮に送ることになります。


諸大名たちを前に、秀吉が粗相をしてしまったわけですが
信繁のとっさの判断で、拾がお漏らしをしたように振舞います。
ただ、秀吉がお漏らしをしたらしいというのはまたたく間に広がり
秀吉はもう長くはないのでは、という臆測まで飛び交います。

いったん沼田に引き揚げた真田信幸は
秀吉が亡くなったら戦が起こると見越して
沼田城を難攻不落の城に作り替えようと
矢沢頼綱、矢沢頼康、高梨内記に命じます。

生きているうちに、また戦に出られそうだ! と
頼綱は大喜びで、子の頼康に止められていますがw
その頼綱は、戦に一度も出ることなく天寿を全うします。
享年80。


お務めのため、信繁が秀吉の寝所に行くと
そこには秀吉の姿がありません。
三成と且元に報告をした上で、3人で城内を捜しますが、
秀吉は庭石の上にちょこんと座っておりました。

「茶室はどっちだ? 利休がわしに話があるらしい」
城が大きいのも考えものだな、と秀吉は寂しそうに笑いますが
信繁は正直笑えません。

秀吉の負担軽減を考えて、5歳になる拾を元服させることにします。
名は、豊臣秀頼──。


慶長3(1598)年・正月。
秀吉は上杉景勝を伏見城に呼び出し
越後から会津への国替えを命じます。

伊達政宗への抑え、というのは表向きでして、
良からぬ動きをしないように
徳川家康を北から見張っていてほしいというのです。

秀吉は景勝の手を取り、頭を下げ、涙ながらに
秀頼を頼む! 頼む! と言い続けます。


3月15日、京の醍醐寺において秀吉が催した花見は
彼の人生における最後の大イベントでありました。
招待されたのはほとんどが女たちで、1,300人にものぼります。

秀頼が、秀吉の花咲か爺さんを見たいと言うものだから
その気になった秀吉ははしごを持って来させ、
三成や信繁が止めるのも聞かず、木に登ります。

枯れ木に花を咲かせましょう〜。
枯れ木に花を咲かせましょう〜。

次の瞬間、細い枝に足を乗せてしまったがために
そのまま木から転落してしまう秀吉。
とりあえずケガはなさそうで、
北政所は「調子に乗り過ぎ!」と苦笑しています。

ただ、その日から秀吉は、床に伏せるようになります。
薬師の話によると、しばらくは立つことも難しいようです。
「そろそろ、覚悟しておいた方がよいかもしれぬな」
三成は信繁にだけ、本音で伝えます。


沼田から信幸が戻ってきました。

信幸は、醍醐寺の花見で秀吉が木から落ちたことを知っていますが
「少し話に尾ひれがついております。つまずかれただけです」と
信繁はあくまでシラを切り通します。

そんな弟を見て、兄として
もし本当に秀吉の老い先が短いのであれば
そのようにごまかすのはよせ、と忠告します。

信繁は、兄を裏切ってウソをつき通している。
しかしそれは豊臣家のためであり、
豊臣家に忠義を示すのであれば、そうするより他にない。
信繁は、真田と豊臣の間で板挟みになっております。

話を聞いた岳父・大谷吉継は
三成に釘を刺されたとか兄に命じられたとか
そんなことはどうでもいいことで、
自分の思う道を進めばいい、と背中をポンと押します。


翌朝、信幸に前に現れた信繁は
秀吉の容体について正直に明かします。

先日の花見以来、お加減すこぶる悪く
日に日にお身体がお弱りになっていくのが
はた目にも明らかでございます。

あのお姿を見る限り、再びお元気になられて
ご自分の力で歩かれることは、まずないかと──。


最近の昌幸は
吉野太夫の店に行くことがステイタスになっておりまして、
今日も吉野太夫を抱き寄せながら酒を楽しんでおります。

「殿下が危ないらしいぞ」
ふっと漏らした昌幸の言葉を、こっそり誰かに伝えようと
昌幸がいるお座敷を出ると、出浦昌相が立ちはだかっています。
そして、何も言わずに吉野太夫を刺し殺してしまうのです。

目の前で起きたことが分からない昌幸は
昌相を睨みつけますが、昌相が吉野太夫の遺体を転がすと
その手には手裏剣が……。
「この女は、忍びだ」

聞けば、本物の吉野太夫は京の郭(くるわ)にいるそうで、
この女は徳川の本多正信が送り込んだ忍びの者なのです。


秀吉が、型見分けをしたいと言い出します。
徳川家康には、秀吉が大事にしていた
明の水墨画「遠浦帰帆絵」を。
且元には金子15枚、三成には金子50枚と懐刀を。

そして信繁ですが、
信繁の顔をまじまじと見つめて「誰? 知らん」と。
もう、信繁の顔さえも忘れてしまっています。

我々に比べて日が浅いから、とか三成と且元は
信繁にフォローの言葉をかけていますが、
三成らの気遣いに感謝しながら、己の仕事を全うするだけです。
ただ、ちょっと寂しいですよね。


慶長3(1598)年8月18日、
豊臣秀頼を徳川家康ら五大老に託し、豊臣秀吉が病没する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと16年8ヶ月──。


作:三谷 幸喜
音楽:服部 隆之
題字:挾土 秀平
語り:有働 由美子 アナウンサー
──────────
[出演]
堺 雅人 (真田信繁)
大泉 洋 (真田信幸)
長澤 まさみ (きり)
山本 耕史 (石田三成)
新井 浩文 (加藤清正)
松岡 茉優 (春)
吉田 羊 (稲)
藤井 隆 (佐助)
片岡 愛之助 (大谷吉継)
──────────
遠藤 憲一 (上杉景勝)
斉藤 由貴 (阿茶局)
寺島 進 (出浦昌相)
中原 丈雄 (高梨内記)
小林 隆 (片桐且元)
竹内 結子 (茶々)
──────────
小日向 文世 (豊臣秀吉)
藤岡 弘、(本多忠勝)
高畑 淳子 (薫)
鈴木 京香 (寧)
近藤 正臣 (本多正信)
内野 聖陽 (徳川家康)
草刈 正雄 (真田昌幸)
──────────
制作統括:屋敷 陽太郎
    :吉川 邦夫
プロデューサー:清水 拓哉
演出:田中 正


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『真田丸』
第31回「終焉(しゅうえん)」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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