プレイバック真田太平記・(24)激闘上田城
慶長5(1600)年9月5日、徳川軍が進軍を開始。
その先鋒5,000は真田信幸。
滝川一益の孫・滝川三九郎は信幸軍に同行しています。
そして向かうは伊勢山、真田幸村がいる砥石城です。
兄と言えども敵、だから戦って蹴散らすと言う樋口角兵衛を
敵と言えども兄、だからこそ戦えないと幸村は強く説得し、
砥石城から上田城へ引き揚げていきます。
上田城で待っていた真田昌幸は、戦わずして兵を引き
信幸への面目を立てた幸村の行動を褒め称えますが、
角兵衛はとても不満で、分家への気遣いは無用と叫んで
幸村にたしなめられます。
砥石城から続々と兵を引き始めている、と聞いて
逃げた逃げた! と喜ぶものたちも多いのですが、
信幸や三九郎は、逃げたとしか見えないものもいる、と
いたって冷静に軍を進めていきます。
徳川秀忠の本陣に合流した信幸は、
このまま砥石城に入って上田城の動きを
牽制するように秀忠に命じられます。
それにしても、昌幸のおかげで秀忠は翻弄されていまして
秀忠は昌幸憎しで固まっています。
「安房め、この戦が終わった時はただではおかぬ」
このころ徳川家康本隊は、掛川あたりを西に進んでいました。
猫田与助は家康本陣に付かず離れず付いていて
徳川本隊について調べにくるであろうお江の姿を
探していますが、未だに見つけられていません。
「現れる。あやつは必ず現れる」
家康を付けねらうそのお江は、そのころ美濃国にいました。
9月6日。
上田城内には、決戦を控えたような張りつめた空気が。
そして上田城を攻めようとする秀忠は
木曽路から美濃へ出て家康本隊に合流すると父に密使を走らせ
戦支度をしつつ、その出発の準備をしています。
上田城攻めは手間がかからないだろうという
見通しの甘さがあったのかもしれません。
ひょっこり姿を現した少数の真田軍を見つけると
牧野忠成隊、大久保忠隣隊、酒井家次隊がそれを追って
上田城大手門に迫ります。
逃げる真田軍に引き寄せられるように
上田城内に乱入する徳川各隊ですが、
城内で待っていたのは、無数の鉄砲隊でして
集中攻撃を受けて多数倒れていきます。
慌てて撤退する徳川各隊。
しかし敗走路には各所に火が放たれ
馬が火を怖がって先に進めず、
真田の騎馬隊が迫って来る有り様です。
こと歩兵に至っては、落とし穴に落ちてしまい
そこを上から鉄砲隊で仕留められるという
目も当てられない攻撃で更に戦死者を増やします。
「やめさせい! やめじゃやめじゃ!」
報告を聞いた秀忠は、わなわな震えています。
そこに家康から、美濃で合流するゆえ
急いで来いという催促が届きます。
秀忠は、陣を立て直してからと考えていましたが
真田攻めに思いのほか時間を食ってしまったかもしれません。
陣の立て直しはとりあえず止め、西に急ぐことにします。
9月12日。
清洲城に入った家康は、来たるべき西軍との戦について
本多忠勝らと軍議を開いています。
そこで紛糾するのは秀忠のことでありまして、
秀忠の到着を待って徳川総力で決すべしという声と
秀忠は待っていられず、この好機に叩き潰せという声とあります。
三九郎が信幸の陣から離れて近江へ行くことになりました。
ただ、その前に上田城に立ち寄って昌幸に会いたいと言い
その紹介状を書いてほしいとぬけぬけと言い出しますが、
敵の大将への紹介状を書くことに
昌幸はしばらくポカンとしますが、
すぐにフッと笑って、二つ返事で了承します。
上田城に入った三九郎。
昌幸は、三九郎が一益の孫というので
懐かしんで目を細めます。
そして今は敵となった徳川軍での信幸の様子を聞き
気苦労を重ねつつ変わった様子がないことを知って
うんうんと頷いています。
面白い戦を見せてもらった、と三九郎に言われて
愉快そうにガハハと笑う昌幸。
その笑い声に誘われて、於菊が入ってくるのですが、
昌幸は、於菊をこのまま上田城に置くよりは
外に出しておいた方がいい、と三九郎に預けることにします。
真田家が東軍と西軍と分かれていて、
事態がどちらに転んでもどちらかが生きることになりますが、
昌幸は、自分たちの最後を悟っていたのかもしれません。
まだ若い於菊だけは、真田の運命に関わらず生かしておきたい。
最初こそとまどう三九郎ですが、
昌幸の思いを酌みとり於菊を預かることにします。
「身に変えましてお守り致します」
壺谷又五郎の命で、
真田の草の者たちは関ヶ原に移ることになり
向井佐助はお江に挨拶に立ち寄ります。
お江は長良川近くに残り
家康の襲撃をする予定です。
「死んではなりませぬぞ」
佐助はサッと立ち去って行きます。
与助は、
真田の忍びが家康の命を必ず狙う、ということから
家康近くで警備することを山中長俊に志願します。
足軽になり済まして周辺を警戒する与助です。
「お江……」
そもそも与助がどうしてお江に激しい憎悪を抱くのか。
十数年前、ある家を襲撃した与助が、
物陰に隠れて震えるお江を見つけ強姦したのです。
酒を呑んで寝入ったところ、与助に倒された男の刀を使い
与助のシンボル(笑)を切り取ってしまったわけです。
大量に出血する股を押さえて苦しむ与助。
「これで生涯女は抱けぬわ」
自分は山中忍びに殺された男の娘と名乗ったのですが、
自分を男でなくしたお江に相当な恨みを持っているわけです。
といっても、そもそものきっかけは与助なんですがw
「明日には決戦というに、上田に手こずりおって!」
このままでは、秀忠に預けた大軍を欠いたまま
西軍と雌雄を決しなければならない可能性は充分にあります。
家康のイライラは頂点に達しています。
9月14日 朝、波乱に富んだ一日が始まろうとしていました。
慶長5(1600)年9月8日、
徳川秀忠軍による上田城攻略が始まる。
慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで
あと14年7ヶ月──。
(『真田丸』では「(36)勝負」付近)
原作:池波 正太郎
脚本:金子 成人
音楽:林 光
タイトル題字:池波 正太郎
語り:和田 篤 アナウンサー
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[出演]
渡瀬 恒彦 (真田信幸)
草刈 正雄 (真田幸村)
遙 くらら (お江)
榎木 孝明 (樋口角兵衛)
香野 百合子 (久野)
三浦 浩一 (滝川三九郎)
中村 橋之助 (向井佐助)
岡田 有希子 (於菊)
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中村 梅之助 (徳川家康)
加藤 武 (本多忠勝)
石橋 蓮司 (猫田与助)
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佐藤 慶 (山中大和守俊房)
戸浦 六宏 (山中内匠長俊)
小山 明子 (山手殿)
丹波 哲郎 (真田昌幸)
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制作:榎本 一生
演出:門脇 正美
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