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2016年9月27日 (火)

プレイバック真田太平記・(25)家康襲撃

慶長5(1600)年9月14日、
岐阜城を出た徳川家康は、一路 美濃赤坂へ進軍。

付き従うものの中に、
山中忍びの頭である山中大和守俊房と
そのまたいとこ・山中長俊、そして
後方の足軽隊の中には、猫田与助がいました。

長良川を渡る徳川本隊。
家康の輿を渡すため、川に40のいかだを浮かべ
その上に板を張った仮の橋を造ります。

与助は、敵はそろそろ現れる、と周囲を警戒します。
そのころお江は、家康の世話係の侍女に扮して
家康のすぐ後ろ、与助の前方にいます。

狭い橋を渡っている時、手裏剣を手にしたお江が
隊列を乱して家康目がけて突進します。

俊房と長俊は騒ぎに馬上で振り返りますが
雑兵たちが多すぎてよく見えません。
与助も、足軽たちに阻まれて追いかけられず
飛び上がって槍をお江に投げつけるのが精一杯です。

しかしその槍が刺さって
お江の手元が狂い、手裏剣は家康に当たらず。
お江は長良川に転落します。

「お江、逃げろ」
あくまでも自分の手で、という思いがあったのか
はたまた別の感情が生まれていたのか、
与助は川に飛び込まず、橋上から川を見つめています。


徳川方の信州小諸城、海津城、松本城の軍勢によって
上田城は囲まれておりました。

真田の忍びのほとんどが関ヶ原に移っておりまして
そのうち、壺谷又五郎の目的が家康の首、と知って
又五ならばやれる、と真田昌幸は大笑いです。


家康を出迎えにやって来た浅野長政の騎馬隊に合流する形で
福島正則の騎馬隊も、共にお出迎えとやってきました。
しかしそれが刺客でありまして、
一安心どころかまたも危機に晒されることになったわけです。

刺客が投げた手裏剣が2本、家康の背中に当たり
家康はぐったりと動きません。
しかし改めると、それは家康の影武者であります。
用心に用心を重ね、すり替えておいたのでしょう。

そして本物の家康は、騎馬隊に混じって
大垣城に近い赤坂の本陣へ向かっていました。
出迎えた本多忠勝は、騎馬隊の身なりの家康に驚きますが
無事に赤坂に着陣できたことで、家康は上機嫌です。


一方、焦っているのは石田三成です。
家康がこうも早く着陣するとは思っていなかったわけで
西軍の諸将たちをまとめきれていないのです。

赤坂にいる家康を、三方向から夜討ちしたいと
宇喜多秀家や島津義弘らが主張しますが、
三成は、もし失敗したらとなかなか決断できません。

そこに、家康軍が明朝、関ヶ原を突っ切って
三成の本拠地・佐和山へ向かうという情報が入り
大坂を押さえられてはならない、と夜討ちは中止させます。

「勝手になされいッ」
あきれ果てて、秀家や義弘は退出していきます。

三成は、西軍の諸将たちに
今夜のうちに関ヶ原に着陣せよと命じます。
もたもたしているうちに、家康が関ヶ原を通過して
大坂、佐和山へ向かわないようにする作戦です。

ただ、三成の行動は家康の作戦でありまして、
関ヶ原におびき寄せるものです。
三成はまんまと策にはまったのです。


岐阜城の北東6里ほどにある笠神の忍び小屋。
そこには向井佐助がいました。

ケガの手当てもそこそこに、お江は佐助に
家康を討ち損じたことを又五郎に伝えさせます。
一度討ち損じたことで、相手の警戒が厚くなり
襲撃のハードルが高くなったわけです。

又五郎は、他の草の者とともに伊吹山の忍び小屋にいて
家康襲撃が成ったことを喜んでいましたが、
実は襲撃したのが影武者であり、
家康は生きていて関ヶ原に向かっていると知り愕然とします。


9月15日、家康本隊は桃配山に着陣。

西軍として参陣している
吉川広家、小早川秀秋という毛利分家の大名に
徳川から家臣たちが派遣して、
東軍に味方するように説得が続いています。


佐助は、途中で出会った真田の草の者に
お江からの伝言を伝え、笠神に戻ってきました。

ただし、家康が影武者に変わっていて
それを討ち損じたことはお江が気にするから
内緒にするようにと言われ、佐助はそれを守ります。


真田の草の者たちのように、自分ももっと活躍したい。
思い詰めた樋口角兵衛は、真田本家を生かすために
分家をなくしてしまえばいいんだ、と短絡的に考え
上田城を抜け出して砥石城に向かいます。

角兵衛の来訪を知った真田信幸は、草の者に
角兵衛の動きが不穏、と警告されたにも関わらず
会うことにします。

よう参った、という信幸の言葉と同時に
角兵衛は刀を振りかざして信幸を襲撃しますが、
アッという間に角兵衛は仕留められてしまいます。

自分(=信幸)ひとりを殺しても徳川はびくともしない。
角兵衛には、昌幸・幸村の本家の力に
なってもらわなければならない。
それだけ言うと、信幸は戻っていきます。


三成は、北のはずれ・笹尾山に着陣します。

どうして自分には人望がないのか。
自分が大将では誰もついてこない。
ただ、道は外したわけではないはずだ──。

三成は近習たちを外して、重臣に吐露します。


午前6時。
霧が立ちこめる関ヶ原には、
東西合わせて20万の軍勢がひしめき合っていました。

決戦の日です。


慶長5(1600)年9月14日、
徳川家康が赤坂を出て中山道を西へ向かう構えを見せたため、
察知した石田三成は大垣城を出陣、東軍よりも早く関ヶ原方面へ転進する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと14年7ヶ月──。

(『真田丸』では「(36)勝負」付近)


原作:池波 正太郎
脚本:金子 成人
音楽:林 光
タイトル題字:池波 正太郎
語り:和田 篤 アナウンサー
──────────
[出演]
渡瀬 恒彦 (真田信幸)
草刈 正雄 (真田幸村)
遙 くらら (お江)
榎木 孝明 (樋口角兵衛)
香野 百合子 (久野)
中村 橋之助 (向井佐助)
──────────
中村 梅之助 (徳川家康)

夏八木 勲 (壺谷又五郎)
清水 綋治 (石田三成)
石橋 蓮司 (猫田与助)
──────────
佐藤 慶 (山中大和守俊房)
戸浦 六宏 (山中内匠長俊)
村井 国夫 (大谷吉継)
加藤 武 (本多忠勝)
丹波 哲郎 (真田昌幸)
──────────
制作:榎本 一生
演出:大原 誠

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