大河ドラマ真田丸・(38)昌幸 〜さらば昌幸〜
関ヶ原は徳川の圧勝で終わった。
敗軍の将となった昌幸親子は、徳川に付いた信之の助命嘆願の末
紀州の九度山に幽閉されることとなった──。
慶長6(1601)年正月・紀州九度山。
紀ノ川の奥、高野山の山裾に、九度山村はありました。
真田昌幸と真田信繁は、いわゆる流人でありますので
真田屋敷の隣に番所を設けて常時見張っております。
もし一歩でも村から外に出た場合、見張りを統括する浅野家に
知らせが行くようになっているのです。
ちなみに浅野家の真田との窓口は竹本義太夫。
そして九度山村の長は「長兵衛」という男です。
余談ながら、長兵衛役の木之元 亮さんは
昭和60年のNHK新大型時代劇『真田太平記』では
信繁(=幸村/草刈正雄さん)の従者であり向井佐助の父でもある
向井佐平次役で出演なさっておられましたね。
義太夫が長兵衛に挨拶に来るように言っていたものの、
なかなか来ないので、こちらから出向いてみては? と提案され
昌幸は信繁を長兵衛のところに出向かせようとしますが、
信繁は「父上が参られた方がよいのでは?」とつぶやきます。
このシーン、よくよく考えれば昌幸と長兵衛が対面していれば
このドラマでは流人と村おさという設定でありながら
『真田太平記』では幸村と佐平次という主従設定なので、
『真田太平記』を知っている人にすればしびれるシーンに……。
まぁ、ドラマが別なので全く関連づける必要もないのですけど
三谷さん作品であれば、「おぬし、どこかで見かけたか?」など
ちょっとお茶目なセリフを言わせるのかと期待しましたけど
そういう感じでもありませんでしたね(^ ^;;)
長兵衛と対面した信繁ですが、長兵衛が望むのは
昌幸と信繁が赦免となって一日も早く九度山村を出て行ってもらうこと。
それができなければ、早くあの世へ行って欲しい。
ズケズケとものを言う長兵衛に、ちょっと圧倒された信繁です。
真田信之から浅野家経由で届けられた書状によって
信之は、信幸から改名したことを知る昌幸と信繁。
「わしが与えた『幸』の字を捨ておった」
昌幸と縁を切れと命じられて、片諱「幸」を捨てはしたものの
読みはそのまま残すという信之なりの意地は理解しつつ
信之が捨てた「幸」の字を信繁にもらってほしいと言います。
「幸信繁……」
「……考えておきます」
信繁とともに暮らしている春ですが、
最近特に不安に感じることが多くなってきました。
そばにいる、というかもはやつきまとっていると言っても
過言ではないきりの存在ではありません。
きりの会話の中でちょくちょく出てくる、梅のことです。
梅は、信繁の心の中で今でもずっと生きている。
だから、春は梅に勝てっこない。
それが悔しいらしいです。
信繁は、春を後ろから抱きしめます。
春のシーンになると、松岡茉優さんを応援したくなるワタクシは
春ちゃんではなく「茉優さんガンバレ!」と思ってしまうのですが、
そんな春が刀を木にグサッと突き立てた時は、
さすがに引いてしまいました(^ ^;;)
ちなみにその後、春は信繁の子を身ごもります。
上杉討伐のきっかけとなった上杉景勝は
関ヶ原の戦いの後に徳川家康に謝罪を申し入れ
会津120万石から米沢30万石へ減封されました。
いずれ上杉を頼ろうと考えていた昌幸の思いは潰えます。
慶長8(1603)年2月。
家康は征夷大将軍に任ぜられました。
そして孫娘・千姫を豊臣秀頼に輿入れさせるなど
家康の権勢は絶頂期を迎えています。
昌幸は今こそ赦免のチャンスだと、信之から本多正信に
赦免の仲介をしてもらおうと書状を送らせます。
しかし正信が家康に赦免の話を持ちかけても、
「ならぬ」と家康は首を縦に振りません。
さらに2年後の慶長10(1605)年4月には
家康は征夷大将軍を徳川秀忠に譲ります。
昌幸は最後の赦免のチャンスだと、信之から本多正信に
赦免の仲介をしてもらおうと書状を送らせます。
しかし正信が家康に赦免の話を持ちかけても、
「くどい!」と家康は首を縦に振りません。
いつになったら赦免されるのか、と松や薫は信之に詰め寄りますが、
さらに動いて、家康の機嫌を損ねてしまっては
逆に昌幸と信繁の命は危なくなると、
これ以上の関わりは止めるように稲はふたりを説得します。
慶長11(1606)年7月。
秀頼主催の大掛かりな鷹狩りが催されます。
子どもだった秀頼も、大きく成長しています。
加藤清正の発案で、成長した秀頼の姿を家康に見てもらい
豊臣への態度を軟化させてもらいたいと
片桐且元を使者に駿府城に向かわせます。
上洛はするが、対面は二条城でふたりきりで。
家康が出した条件が危なすぎると清正は反対しますが、
秀頼は特に危機感なく、受け入れる方向です。
慶長16(1611)年4月、家康と秀頼の会見が成ります。
「豊臣秀頼である!」
「ご無沙汰いたしておりまする……」
秀頼が予想外に立派に成長している姿を見て
家康はますます危機感を募らせます。
その前にあのひげ面、と家康は
清正の存在をどうにかしたいと考えていますが、
正信が二代目服部半蔵に清正の処理を命じます。
すれ違いざまに、清正の首筋に毒をぬったのです。
清正はこの会見の後、肥後に帰る船の中で発病し
2ヶ月後に亡くなります。
ついでながら、信之の舅・本多忠勝も
この年、亡くなっています。
昌幸が倒れます。
病床で昌幸は、孫子に倣って
自分が戦場で学んできたことの全てを書き記した
『兵法奥義』を信繁に与えます。
この先、豊臣と徳川の戦が必ず起きる。
その時は九度山を抜け出し、豊臣につけ──。
そういう昌幸は、徳川と戦う策を信繁に伝えます。
まず尾張を征服し、徳川が攻めかかってきたら
尾張をアッサリと見捨てて近江まで撤兵する。
ここではあくまでも尾張を短期間でも制圧できたと
世にアピールすることが大事で、
それによって世の中の浪人たちの心を
掴めるかどうかが決まって来る、と。
そして瀬田と宇治の橋を落として敵の追撃を阻んで
二条城を焼き払えば、敵は大坂に向かうしかなくなる。
それを大坂城で迎え討つ、という算段です。
特に戦を長期化させればさせるほど
全国各地で徳川憎しの反旗が揚がるので効果的、と。
「信濃に……帰りたかった……。上田の城に……」
昌幸は、無念さをにじませながら亡くなります。
慶長16(1611)年6月4日、
紀州九度山で真田昌幸が病死。享年65。
慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで
あと3年11ヶ月──。
作:三谷 幸喜
音楽:服部 隆之
題字:挾土 秀平
語り:有働 由美子 アナウンサー
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[出演]
堺 雅人 (真田信繁)
大泉 洋 (真田信之)
長澤 まさみ (きり)
木村 佳乃 (松)
山本 耕史 (石田三成)
新井 浩文 (加藤清正)
松岡 茉優 (春)
吉田 羊 (稲)
藤井 隆 (佐助)
──────────
遠藤 憲一 (上杉景勝)
中原 丈雄 (高梨内記)
小林 隆 (片桐且元)
星野 源 (徳川秀忠)
中川 大志 (豊臣秀頼)
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藤岡 弘、(本多忠勝)
高畑 淳子 (薫)
近藤 正臣 (本多正信)
内野 聖陽 (徳川家康)
草刈 正雄 (真田昌幸)
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制作統括:屋敷 陽太郎
:吉川 邦夫
プロデューサー:清水 拓哉
演出:木村 隆文
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『真田丸』
第39回「歳月」
デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜
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