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2016年10月 7日 (金)

プレイバック真田太平記・(28)さらば上田城

天下分け目の関ヶ原の戦いで西軍に属した
真田昌幸・真田幸村父子は、
切腹は免れたものの紀州高野山へ配流となり、

徳川家康の命を受け、
上田城受け取りと高野山への護送の任務のため
真田信幸が上田城に入ります。

下座で神妙に手をついている昌幸と幸村。
背後から近づいて来る信幸の足音。
それをかみしめながら、
昌幸は複雑そうな表情を浮かべます。

対面の場でなくとも、城内は信幸の兵で固められ
昌幸の権威は上田城からはすでに失われていたわけです。
手をついたまま、昌幸は家康に命乞いをしてくれた信幸に感謝を述べ
上座にどっかと座った信幸は家康の上意を読み上げます。

ただ、それは家臣や兵士たちがいる前だけの形式的なものでして、
上田城の昌幸の元居室に入ると、
信幸は昌幸に“あちらへどうぞ”と手を差し出し
いつもの定位置(上座)に座ってもらいます。

信幸は昌幸に手をついて、
片諱を変えたいと言ってきました。

──信之。

昌幸・幸村の“幸”から離れて、徳川に忠節を誓うか……。
「分かっておるぞ豆州」

信之は、高野山で3年辛抱すれば
自分や本多忠勝が本家再興を願い出るから
それまで滅多な動きを見せるな、と忠告しておきます。


かつて鈴木右近に顔を傷つけられ彼を恨んでいる角兵衛は
控えの間に座している右近に
決着をつけようと刀を抜いていますが、
右近は表情を変えずにいたって冷静です。

今暴れると、彼の高野山行きはなくなる、とつぶやくと
角兵衛はひどくくやしがり、彼を取り囲む
右近の家臣たちを押しのけて控えの間を出て行きます。
「このことは、他言無用に願います」


夜、雪が降る中を幸村は向井佐平次の家に出向きます。

持参した酒を佐平次に注ぎ、呑み交わしますが
笑顔の幸村の口から出た言葉は、
佐平次にとってはあまりに衝撃的で
しばらく身動きできませんでした。

「わぬし、こののち兄上に仕えてくれ。
 わぬしを高野山へ連れていくわけにはいかん」
その代わり、佐助をくれんか? と幸村は言いますが、
佐平次やもよには異論はなく、決定します。

幸村は、銭と己の短刀を
生き形見として佐平次に預けます。


信之は幸村に、
昌幸にも行ったアドバイスを再度送ります。
「よいか。時を待て」

父と母を頼む、と言われて
神妙に頭を下げる幸村です。


慶長5(1600)年12月13日・朝。
昌幸・幸村は紀州高野山へ向かうべく
上田城を出発します。
それを見送りに来た佐平次・もよ、そしてお江。

昌幸が辛酸を舐めつつ
一代で築き上げた上田城を昌幸は後にします。
もう上田に戻ることはありません。

その次に上田城に入るのが信之であったことが
幸いであるかもしれません。
「さらばじゃ」
昌幸は後ろを振り返りませんでした。


慶長6(1601)年・春。

信之は昌幸の居城であった上田城に入って、
沼田や小県の領土を合わせて
105,000石の大名となっていました。

滝川三九郎は、上田城明け渡しから時間も経ったし
そろそろ落ち着いた頃かと、昌幸から預かっていた
於菊とともに上田城に戻ってきました。

信之の家臣・馬場彦四郎が取り次ぎ
信之に取り次ぎます。

2人とも全く変わっておりません。
いや、ほぼ──。
変わった、と言えば
2人が夫婦になったことでしょうか。

「ならぬ! けしからぬ!」
信之は声を荒げて
勝手に夫婦になったことに反発しますが
私は幸せにございます、と於菊に言われては
信之は何も言えません。

その夜、三九郎と於菊の祝言が
信之と小松殿の手でささやかに開かれます。


紀州・九度山配所──。

高野山に配流された昌幸一行は
一旦は高野山の蓮華定院に入った後
浅野家の監視のもと、九度山にできた館に入ります。

信之から書状が届き、そこには
於菊の祝言のことが記してありました。

於菊の花嫁姿を一目見たかった……と
山手殿は残念そうに言い
昌幸は、於菊の嫁入りで心配事はなくなった、と
すがすがしそうです。
「これでいつでも死ねる」

そんな昌幸を訪ねて来る農民の女がひとり。
昌幸が肥前名護屋城にいた時に見知った粂(くめ)という者です。
昌幸は幸村を呼び出し、呆れる……というか絶句する幸村に
事情を説明、粂を飯炊きとして雇ったということにします。


山中大和守俊房は、
甲賀・山中屋敷に戻って来た猫田与助と杉坂重五郎に
伴 長信(とも・ながのぶ)を紹介します。

関ヶ原の戦いで家康を守り、真田忍びの壺谷又五郎と
相打ちになって命を落とした山中長俊の後任です。
戦乱の世がこのまま収まるわけがない、と
それを見越して、甲賀忍びの頭として迎えたわけです。


慶長10(1605)年4月。
家康は将軍職を徳川秀忠に譲り
新将軍宣下のために京へ向かいます。

その際、大坂城の豊臣秀頼に
京まで出迎えとして出て来いと言ってきました。

秀頼の生母・淀君はたいそうご立腹で
どうしても出て来いというのなら
自害すると言って聞きません。

しかし、それが高台院(ねね)の口添えから出てきた話と知ると
家康に向いていた批判の矛先がたちまち高台院に向きます。


家康とともに上洛した信之は
京にある真田屋敷で忠勝の訪問を受けます。

信之を前にして、いきなり手をつき頭を下げる忠勝。
というのも、昌幸たちに3年の辛抱を強いておきながら
アッという間に5年が経過し、その間も何もできなかったと
己の無力さを詫びているわけです。


家康の軍勢が入京し、
いよいよ豊臣家をつぶしにかかったか、と
民衆は戦々恐々としております。

その様子を見ていた右近は、
入り乱れる民衆の中に向井佐助の姿を見つけます。

佐助はさっそく九度山に戻り、
江戸と大坂の関係が不穏と報告。
そして右近は信之に、真田の草の者が
京の情勢を探っていると報告を入れます。

「あれほど動かれぬようにと……」
どこかで何かが動いている。
信之の瞳が鋭く光ります。


慶長5(1600)年12月13日、
真田昌幸・真田幸村父子は上田城を発して高野山に向かう。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと14年5ヶ月──。

(『真田丸』では「(37)信之」〜「(38)昌幸」付近)


原作:池波 正太郎
脚本:金子 成人
音楽:林 光
タイトル題字:池波 正太郎
語り:和田 篤 アナウンサー
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[出演]
渡瀬 恒彦 (真田信幸)
草刈 正雄 (真田幸村)
遙 くらら (お江)
榎木 孝明 (樋口角兵衛)
香野 百合子 (久野)
中村 橋之助 (向井佐助)
中村 久美 (於利世)
岡田 有希子 (於菊)
──────────
中村 梅之助 (徳川家康)

加藤 武 (本多忠勝)
三浦 浩一 (滝川三九郎)
待田 京介 (伴 長信)
石橋 蓮司 (猫田与助)
山本 耕一 (片桐且元)
──────────
紺野 美沙子 (小松殿)
佐藤 慶 (山中大和守俊房)
小山 明子 (山手殿)
岡田 茉莉子 (淀君)
丹波 哲郎 (真田昌幸)
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制作:榎本 一生
演出:高橋 幸作

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