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2016年10月25日 (火)

プレイバック真田太平記・(33)事件勃発

真田昌幸が死んだ慶長16(1611)年、
その秋には、山手殿や久野、それに昌幸の家臣たちは
徳川幕府の許しを得、紀州九度山の配所から
信州上田へ戻ることになりました。

引き続き、真田幸村と於利世は九度山に残るわけですが、
昌幸が生前、肥前名護屋で見つけ、
九度山に蟄居されてから駆けつけてきた粂も
このまま九度山に残ることにします。

幸村も於利世も粂にはいてほしいと願っていたのですが、
昌幸が無理言って粂を引き止めていたとしたら、
粂のためにも一日も早く解放してあげなければなりません。

粂がそう望むなら、幸村としても最大限援助して
粂を無事に肥前に戻すよう取りはからうところですが、
粂は、行く当てもないのでこのまま置いてほしい、と
脅えた目で答えます。

幸村と於利世は、粂の返事を聞くや、大喜び。
粂も、幸村たちの思いを知り、
たちまちパァッと花が咲いたように笑顔になります。


山手殿と久野が信州上田城の真田信之の元に戻って半年。
山手殿は、縁側でコクリコクリと船を漕いでいます。
見る夢は、決まって九度山で昌幸と過ごした日々。
昌幸が山手殿の手を握って礼を言った、幸せな時間のことです。

昌幸が死んで2年後の慶長18(1613)年の、
昌幸の命日の前日である6月3日に
山手殿は昌幸と同じ65年の生涯を終えました。


慶長19(1614)年・初秋、信之を分家分家とあざけり
幸村とともに九度山へ行った樋口角兵衛が上田城に現れます。

見ればとても純情そうな表情を浮かべ、
昌幸亡き後の真田家を背負う覚悟を語りますが、
今まで何度となく出奔し、その度に主を裏切ってきた角兵衛を
信之は信用することができません。

「50石にて仕えよ。角兵衛いかがか。不足ならば去れ」
50石といえば、足軽と変わらない禄高です。
ならば用はない! と怒り、出て行ってしまいます。


このころの九度山配所は、ある程度のんびりできていました。
江戸幕府が畏れていたのは昌幸の武略であり、
幸村の存在はあまり気になっていなかったようです。
浅野家の監視の眼もほぼなく、放任状態です。

幸村の息子・真田大助も15歳となりました。
幸村と剣術の稽古です。


そんな穏やかな九度山とは違い、京では街が活気づきつつも
大きな事件が起きようとしていました。
予定されていた方広寺の大仏開眼供養が
突如として中止となったのです。

どうやら、方広寺の鐘に刻まれた言葉について
徳川家から豊臣家に対して、無礼であると
苦情が入ったかららしいです。

特に問題となったのは『国家安康』の4字でありまして、
総指揮をとった片桐且元は、釈明のために
徳川家康に会いに駿府へ急ぎます。


角兵衛は、慈海と猫田与助のところに戻ってきていました。

徳川家康がいよいよ豊臣家に動きを見せ始めようとするころ、
慈海は角兵衛をそそのかします。

一度は出奔した九度山に、
心を入れ替えたともう一度入ってもらい
幸村の動きを知らせよ、と。

そして万が一、幸村が大坂に入ろうとした時には
それを阻止すべく幸村を討ち取れ、と。


お江は、大仏開眼供養が中止になった京に居残り
さまざまな方面からの情勢を窺っていました。

徳川家から、そして豊臣家から、更には天皇家から
厚い信頼を受ける才女・小野お通の屋敷を
お江は見張っていました。

中には、与助と角兵衛、そして馬場彦四郎がいます。
しばらくして屋敷から出てきた3人。
与助と角兵衛は置いておいて、お江は彦四郎を追います。

京の真田屋敷に入った彦四郎は鈴木右近に
角兵衛には“会えなかった”とウソの報告をします。
右近は、今はそれどころではないと
彦四郎に信之宛の書状を持たせて帰国させます。


駿府に向かった且元は、その手前・丸子で
しばらく留まるように命じられていましたが、
3日後にようやく駿府入りを許されます。
しかし、面会はかないません。

代理として現れた本多正純に、
家康へのとりなしを頼むのが精一杯です。


小松殿の実弟にあたる水野忠政が
将軍徳川秀忠に呼び出されます。

秀忠にとっては大きな遺恨である真田家を
豊臣方へ渡してはならないという思いで
信之の存念を忠政に探らせます。

忠政は、義兄に対し
くれぐれも判断を誤ることのないように、と忠告。
信之は、未だに真田は疑われているのか、と
ショックを隠し切れません。

今回の徳川家康の豊臣家への言いがかりとも思える仕打ちは
これまで忠節を誓ってきた信之でさえ
納得できないものであります。
初めて、家康に楯突きたいという気持ちが芽生えました。

「わしにはできぬの。わしにはできまいの」
信之は自嘲気味に笑います。

秋の深まりの中、上田平は静かでした。


慶長19(1614)年7月26日、
徳川家康は大仏殿開眼供養の延期を命じる。(方広寺鐘銘事件)

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと9ヶ月──。

(『真田丸』では「(39)歳月」〜「(40)幸村」付近)


原作:池波 正太郎
脚本:金子 成人
音楽:林 光
タイトル題字:池波 正太郎
語り:和田 篤 アナウンサー
──────────
[出演]
渡瀬 恒彦 (真田信之)
草刈 正雄 (真田幸村)
遙 くらら (お江)
香野 百合子 (久野)
中村 橋之助 (向井佐助)
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榎木 孝明 (樋口角兵衛)
山本 耕一 (片桐且元)
福田 豊土 (慈海)
石橋 蓮司 (猫田与助)
──────────
紺野 美沙子 (小松殿)
中村 久美 (於利世)
小山 明子 (山手殿)
丹波 哲郎 (真田昌幸)
──────────
制作:榎本 一生
演出:高橋 幸作

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