プレイバック真田太平記・(34)時節到来
徳川と豊臣の関係悪化を嗅ぎ付けた各地の浪人たちが
京や大坂に集まり出します。
大坂城は、そんな浪人たちを積極的に雇い入れている様子です。
慶長19(1614)年9月、大坂城の大野修理治長から
紀州九度山の真田幸村に向けて使者が送られます。
徳川家康の豊臣家に対する言語道断な振舞いは許し難く
もし豊臣家が手切れとなった時には味方してほしい、と──。
「いよいよ来たか」
幸村は、表情をパッと明るくさせます。
しかし、使者に対しては後日の返答を約束するだけで
態度を明らかにはしません。
お江の報告では、将軍・徳川秀忠は未だに、
真田家に対しては恨みの対象でしかなく、
今まで徳川家に対して粉骨砕身仕えてきた
真田信之の努力も、秀忠の前では水の泡のようです。
小松殿の兄・本多忠政が仲介となって
関係好転のためにいろいろと動き回っています。
そんな時に自分が大坂城に入ったら、兄の立場は……。
幸村は、じっくりと考えます。
一方の信之ですが、もしも幸村が大坂へ入城したら
秀忠の怒りはこの信之家に向けられるわけで、
そうならないように、信之には幸村宛の書状を書いてもらい
何としても九度山に残るようにとの説得を提案しますが、
左衛門佐に構うな、と
信之は、家臣たちの進言を聞き入れません。
「わしはわしで凌いでみせる」
九度山に、樋口角兵衛が戻ってきました。
3年前、角兵衛は身勝手な理由で九度山を出奔し
その後に、角兵衛を可愛がっていた
真田昌幸が亡くなりました。
それだけに幸村の角兵衛への怒りは相当なものなのです。
しかし、実はそれだけではありません。
角兵衛について、小野お通の屋敷に出入りしていると
お江からの情報が幸村の耳に届いていたわけです。
幸村は昌幸の位牌をジッと見つめ
角兵衛を見据えて返事します。
「……よかろう」
幸村は、各地に散っている真田の草の者たちに
呼びかければいつでも集まれるように繋いでおくこと、
上田に戻った家臣たちに、内密に
甲冑造りを依頼するように佐助に命じます。
そして、角兵衛から眼を離すな、と厳命しておきます。
角兵衛が徳川とつながっている恐れがあると考えれば
それに対する策は打っておかねばなりません。
九度山から追い出し、
いろいろなところで自由奔放に動き回られては
真田にとって後々面倒なことになりかねません。
なので、手元に置いておいた方が好都合です。
しかし、もしもの時は──。
「いざとなったら、殺してもよい」
家康に会いたいという片桐且元の願いは
未だに達成できていません。
それを且元は、そんな徳川の態度を
悲観的に大坂へ書状で報告しておきます。
それを受け、焦った淀君は
大蔵卿局と饗庭局(あえばのつぼね)を駿府城に送ります。
すると、家康はすぐに面会に応じたわけです。
且元の報告とは全く異なる家康の対応に、
キョトンとして困惑しているふたり。
家康は、大坂表で何も起こらなければ
何も心配はいらない、と伝えてふたりを安堵させます。
「まさか裏切り!?」
豊臣と徳川の関係をことさらに悪くさせているように思える
且元の動きは、大蔵卿局たちを疑い深くさせます。
もやもやしたまま、ふたりは大坂に戻っていきます。
その且元の元には、本多正純が派遣されております。
方広寺の鐘の件については「もうよい」との返事ですが、
徳川が提示する3つのうち、
1つでも承服すればという条件つきです。
大坂に戻った且元はそれをそのまま大蔵卿局たちに伝え、
大蔵卿局たちは、あくまで且元が言ったことと断った上で
それを淀君に報告します。
「秀頼を江戸へ出府させること」
「淀君を江戸へ送ること」
「豊臣家は大坂を離れて他国へ移ること」
しかし大蔵卿局たちには、家康はすぐに対面してくれ
そのような条件については何も言ってはいませんでした。
且元と正純は親戚の間柄でもあり、
大坂方の疑いは、且元に向けられます。
幸村はお江に
昌幸の旧家臣たちに大坂に招集をかけ、
草の者たちも集まれと命じます。
そして幸村は於利世に、
九度山を下りたら子どもたちとともに
彦根の草の者のところへ行くよう伝えます。
幸村の決意を悟った於利世は、
せめて嫡男・大助は信之に預けてほしいと願い出ます。
「真田左衛門佐幸村の後を継ぐのは、大助ひとりでございます」
剣の稽古の後、大助に上田行きを打診する幸村ですが
父が大坂へ、家康の首を取りに行くことを知ると
そんな大事な戦であれば、長子は
父の側近くにいなければなりますまい、と同行を志願します。
ようやく大坂に登城した且元ですが、
報告が遅い上に、家康が出したと言われる
3つの条件のいずれも承服できるものではないだけに、
且元の動きがいちいち不穏なものに思われてなりません。
主家への裏切りだ、と修理に言われ
さらには自分への暗殺の動きもあると脅かされた且元は
大坂城内の自邸に立てこもり、そして家康に泣きつきます。
そんな大坂の騒動を知った信之は
いよいよか、とため息まじりです。
そこに、良からぬ知らせが入ります。
上田の甲冑師の元に大量の注文が入っているらしいのですが
その依頼された甲冑は「赤備え」であります。
依頼主を調べましょうか、という家臣に
よい、と返事した信之は、他言無用を約束させます。
京・室町にある数珠屋。
ここは表向きには数珠屋ですが、
山中忍びの隠れ宿であります。
そこで迫 小四郎と酒を呑む猫田与助ですが、
山中大和守俊房に代わって山中忍びの頭領となった伴 長信は
俊房ほど山中忍びを重要視していないようで、
それが与助には不満であるわけですが、
話を聞いていた小四郎は、
足元にも寄れないと思っていた与助のためなら
お手伝いすると約束します。
幸村が大坂へ入るならば
真田忍びは一度九度山に集まるだろうという推測で、
その真田忍びを滅ぼしたい、というのが与助の願いです。
10月2日、豊臣家の正式な使者が九度山を訪れます。
入城してくれたら黄金200枚、
勝利の暁には50万石を差し上げる、という使者に
幸村は晴れ晴れしい表情です。
「それがし、数日後に入城いたしまする」
真田の草の者たちが九度山に集まり出します。
それを見て、山中忍び側の角兵衛も動き出します。
しかしそんな角兵衛の動きは、後方から
佐助にしっかりと見られていました。
角兵衛から託された男を殺害し
佐助はその男の懐から紙を取り出すと
「左衛門佐 大坂入城 角」とあります。
そして上田では、11日の家康出陣に際して
同日に真田も出陣することを家臣たちに宣言。
しかし、戦には嫡男の真田信吉が赴き
弟・真田信政は兄を助けるために同行。
信之は出陣しません。
そして小松殿は人質として江戸へ行くことになります。
これは実は、すべて徳川からの命令でありまして、
信之が大坂に出陣すれば、いつ寝返るか分からないという
将軍家の不安や疑いの現れであるのかもしれません。
高野山に初雪が降りました。
いよいよ冬の訪れです。
慶長19(1614)年8月19日、
方広寺鐘銘問題の弁明のために
片桐且元が駿府へ入るも徳川家康との会見ができない。
慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで
あと8ヶ月──。
(『真田丸』では「(40)幸村」〜「(41)入城」付近)
原作:池波 正太郎
脚本:金子 成人
音楽:林 光
タイトル題字:池波 正太郎
語り:和田 篤 アナウンサー
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[出演]
渡瀬 恒彦 (真田信之)
草刈 正雄 (真田幸村)
遙 くらら (お江)
榎木 孝明 (樋口角兵衛)
中村 橋之助 (向井佐助)
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岡田 茉莉子 (淀君)
山本 耕一 (片桐且元)
石橋 蓮司 (猫田与助)
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紺野 美沙子 (小松殿)
中村 久美 (於利世)
円谷 浩 (豊臣秀頼)
細川 俊之 (大野修理)
中村 梅之助 (徳川家康)
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制作:榎本 一生
演出:永野 昭
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