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2016年11月 4日 (金)

プレイバック真田太平記・(36)真田丸

慶長19(1614)年10月1日、
徳川家康による豊臣討伐命令が出されます。
そして11日には、真田信之の長男・信吉を総大将とする
真田軍が出陣していきました。

同日、わずか500の兵を率いて駿府を発った家康は
途中鷹狩りを楽しみながらゆっくりと西に向かっています。


大坂城では、豊臣家のために馳せ参じた諸将たちが
連日連夜軍議を開いております。

どう攻めるか? という大野修理の問いに対して
真田幸村は、徳川がまだ関東にいるうちに
豊臣秀頼は天王寺に瓢箪の馬印を立てて伏見城を攻め落とし、
宇治から瀬田に陣を張るべきと主張します。

少数の兵で大軍を撃破するには、河川を生かすしか方法がなく
徳川軍には川を渡らせずに押しとどめておき、
その間に西国の大名に参陣を募れば、味方になる大名も
少なからずいるだろうというのが幸村の推測なのです。

修理は、もし秀頼が大坂から宇治・瀬田に出陣すれば
大坂城を守る兵たちももちろん出て行かなければなりません。
ということは、大坂城の守りが手薄になるわけで、
修理としては、それは「何かと危惧」する状況なのです。

何かと、とぼかしていますが、
これは淀君のことを言っているのは明らかです。
そこにタイミング良く入ってきた淀君は、
出戦よりも大坂城で戦えと鶴の一言。

「方々、籠城と決しました」
修理の言葉が、幸村には
なんとも味気ない、乾き切った言葉として入っていきます。


真田大助とともに大坂城から帰る途中
大坂城の南側に立ち寄った幸村は、
ここに出丸を築いてここで戦ってみたいと考え
後藤又兵衛(基次)の許しなく、出丸を築き始めてしまいます。

自分の縄張りを侵して、と又兵衛は幸村に苦情を言いますが、
籠城と決した今、城にとって弱く、敵に取って攻めやすい南側にこそ
自分の身を置きたいと説得し、又兵衛はあっさりと縄張りを譲りますが、

そこには、大坂城を出て出丸を築くのは
幸村が徳川と内通するためであるとか
よからぬうわさ話が立っているのも事実なのです。
大坂方が集めた烏合の衆は、疑心暗鬼に陥っています。

おまけに、修理に言わせれば
今回の戦に勝ち負けはどうでもよくて、
豊臣家が立ち行けば結果オーライなわけです。

大坂城に籠城すれば、3年は持ちます。
現在73歳の家康は、3年のうちにはくたばりましょう。
その後に徳川に傾く形勢が逆転することだってあり得るわけで
その時には、豊臣有利の和睦を結ぶことだってあり得ます。

それを聞いたとき、幸村や又兵衛は激しく落胆します。
勝つために大坂に出向いているのに
勝ち負けはどうでもよいと言われてしまっては
ヤル気が失われるのも当然です。


10月23日、家康は入京し二条城に入ります。
その家康を片桐且元が訪問し、
大坂城内の様子を家康に伝えます。

且元は、大坂は籠城と決したと伝え
家康はニンマリ。
大坂城内の構えを知らない家康ではありません。
もしそれを知らないと思っていたとしたら、馬鹿者です。


家康よりも遅く江戸城を出発した徳川秀忠は
11月10日に伏見城に入り、その翌日に家康と対面します。


幸村が築く通称“真田丸”で采配を振るう幸村ですが、
そこに懐かしの、向井佐平次が現れます。

今まで信之の従者として働いてきたので
出奔してきたことを幸村に詫びますが、
幸村は、追い返すことは考えていません。
涙ながらに、佐平次を受け入れることにします。

向井佐助も交えて、感動の再会です。


11月15日、二条城を出た家康は
奈良街道を経由して大坂に入るため
わずか50騎を従えて奈良へ向かいます。

それを、お江がわずかな手勢で出迎え
鉄砲や弓矢で急襲。
軍勢はたちまち浮き足立ちます。

お江と佐助たちは、敵を斬り倒しながら
家康が乗る輿に猛突進。

お江が輿の中に槍を突き刺したものの、
わずかに家康をかすめて命中できず。
そこに本多軍が救援に駆けつけます。

お江はそれを見るや、口笛で味方に撤退を知らせ
方々に散って行きます。


家康襲撃の話を聞いた慈海。

今は徳川方の慈海の元にいる樋口角兵衛。
慈海は角兵衛に、大坂城に入るように伝えます。
今、何も怪しまれずに
幸村に近づけるのは角兵衛のみなのです。

幸村に近づいてどうする、と
杯をあおりながら答える角兵衛ですが、
慈海は恐ろしいことを命じてきました。
「殺すのじゃ」


大坂冬の陣が、まもなく始まろうとしていました。


慶長19(1614)年10月23日、
徳川家康が二条城に入り、
同日徳川秀忠が6万の軍勢を率い江戸を出発する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと6ヶ月──。

(『真田丸』では「(42)味方」〜「(44)築城」付近)


原作:池波 正太郎
脚本:金子 成人
音楽:林 光
タイトル題字:池波 正太郎
語り:和田 篤 アナウンサー
──────────
[出演]
渡瀬 恒彦 (真田信之)
草刈 正雄 (真田幸村)
遙 くらら (お江)
榎木 孝明 (樋口角兵衛)
中村 橋之助 (向井佐助)
──────────
中村 梅之助 (徳川家康)

三浦 浩一 (滝川三九郎)
山本 耕一 (片桐且元)
福田 豊土 (慈海)
近藤 洋介 (後藤基次)
待田 京介 (伴 長信)
──────────
紺野 美沙子 (小松殿)
細川 俊之 (大野修理)
円谷 浩 (豊臣秀頼)
岡田 茉莉子 (淀君)
丹波 哲郎 (真田昌幸)
──────────
制作:榎本 一生
演出:田島 照

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