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2016年11月11日 (金)

プレイバック真田太平記・(38)大坂冬の陣

慶長19(1614)年11月26日、
大坂城の出丸をことごとく破壊された西軍は
一矢報いんと東軍に夜襲をかけます。

これに対し、東軍の諸将は
徳川家康・秀忠父子に働きを印象づけようと
激しい戦いぶりを繰り広げます。

30万の東軍に対し、
10万と言えども寄せ集めの浪人たちに過ぎない西軍は
悉く敗退し、大坂城内に追いやられてしまいます。
結果、大坂方は籠城と決していったわけです。

更に、大坂城に向けられた大砲の存在が
大坂城内の空気を沈んだものに変えつつあります。


完全に敵の圧倒的強さに呑まれてしまっている。
危機感を覚えた真田幸村は、大野修理に相談の上
12月4日未明、真田丸から動き始めます。

真田丸の南側に陣取っている東軍のうち
本多政重隊を挑発して真田丸方向におびき出すのです。
まずは真田丸と本多隊の間にある篠山(ささやま)に登り、
鉄砲を撃ちかけます。

もし血気盛んな政重が挑発に乗れば、
政重が仕える前田家もつられて動き出すでしょう。
そして敵を真田丸に充分引きつけておいて、
鉄砲で一斉射撃をするのです。

その時を見計らって、
息子・真田大助には本多隊の側面を攻撃。
角兵衛はその補佐として出陣させます。
「今日はそなたの初陣ぞ」


この幸村の挑発にまんまと引っかかった
本多・松平・寺沢ら東軍の諸将は
あの家康でさえ手を出さなかったのに
真田丸に攻めかかったわけです。

これを知った家康は、茶漬けをすすっておりましたが
持っていた箸をパキンと折り、怒りを露にしますが
すぐに冷ややかになり、放っておけ、と口にします。
「結果が良ければそれでよい。ま、見届ける歳よ」


真田丸を見上げられるところまでやってきた東軍は
脅してやれ、とばかりにそこから鉄砲を撃ちかけますが
弾は真田丸に全く届きません。

あざ笑う真田の兵たちの声を聞き、
完全に自分を見失った諸将は真田丸に攻めかかります。
堀前の柵を破壊したあたりで、空堀が爆発し
そのタイミングで幸村からの「撃て!」の下知。

歩兵と言わず騎馬隊と言わず、次々に倒れていきます。

そして、密かに本多隊の側面に回っていた大助隊が
容赦なく攻撃をかけ、深追いせずに引き返していきます。

この時の戦いで、東軍は大打撃を受けてしまいます。


「真田真田真田……その名は二度と聞きとうないッ!」
またしても真田にやられてしまったことで、
秀忠は地団駄踏みます。

最も怒り心頭なのは家康だったかもしれません。
あれほど真田丸には手を出すなと言い置いていたにも関わらず
家康の下知なく2万の兵で攻めかけ、数千の死者を出す大打撃。

政重の父・本多正信は、責任を取って腹を斬ろうとしますが
もうよいと申すに! と言って止めます。
「真田の小倅が、そなたの小倅より
 一枚も二枚も上手だったということじゃ」

更に、勢いづいた西軍の手によって
東軍の兵糧などが管理されている堺の町へ
放火されてしまいます。


もはやこれまで、と家康は
用意してあった100あまりの大砲を
大坂城に向けて発射させます。
その大砲の音は天地を揺るがし大坂城内は大混乱。

そのうち1つが、大坂城天守に命中し
恐れをなした淀君は、家康と和議を結ぶと言い出します。

その夜、大坂城の淀君の元に、家康の側室・阿茶局が
実妹・常高院を連れてやってきます。
そして、今後のこと──和睦のこと──について
話し合いが持たれます。

翌日、大坂城内の諸将たちが集められ
淀君の、やむなく和睦に至った説明がなされます。
「無念じゃ」と豊臣秀頼は肩を落とし、
諸将たちもただ黙って現実を受け入れるしかありませんでした。

12月22日、東軍と西軍の和議が成立。
和議の条件は、大坂城内の浪人たちには咎めはなく
秀頼の知行も安堵すること、
淀君の人質としての江戸下向はなし、となっていました。

ただし、幸村が愕然としたのは
大坂城の堀を埋めるのを承諾したことでした。

修理曰く、徳川が堀を埋めるのは外堀だけでして、
自分たちが埋める内堀に関しては、
時間をかけて埋めることもできるし
たとえ埋めたとしても、すぐに掘り返せるように
手加減することもできる、と特に気にする様子はありません。

猛反発する幸村ですが、
修理は豊臣家の家臣であって、自分が当主ではありません。
当主が右だということを左ということはできないのです。


浪人たちに咎めなし。
豊臣家から金が与えられると、
浪人たちは町に出て行って酒と女を求めます。

その隙を見計らって、
徳川軍はあっという間に外堀を埋め始め
幸村が苦心して作り上げた真田丸も
破却してしまいます。

しかし、和議の条件であった
徳川軍は外堀を埋めるというものに反して、
二の丸・三の丸の内堀も
徳川軍が埋め始めるという暴挙にでたのです。

「……負けたな」
顔色を失った幸村は、つぶやきます。


徳川と真田信之の橋渡しである慈海は
家康の内意を持って信之に会いに来ました。

数日のうちに極秘で幸村と対面し
徳川方に引き入れるように、という命令です。


元和元(1615)年正月3日、
家康は二条城を発ち、駿府に戻ります。

大坂冬の陣が無事に集結し
新しい年になりはしたものの、
その新年がさらに激しい一年になることを
信之は予感していました。


慶長19(1614)年12月18日、
徳川方の京極忠高の陣で、本多正純・阿茶局・常高院との間で
和議交渉が行われ、20日に誓書が交換され和平が成立する。

慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで


あと4ヶ月──。

(『真田丸』では「()」〜「()」付近)


原作:池波 正太郎
脚本:金子 成人
音楽:林 光
タイトル題字:池波 正太郎
語り:和田 篤 アナウンサー
──────────
[出演]
渡瀬 恒彦 (真田信之)
草刈 正雄 (真田幸村)
遙 くらら (お江)
榎木 孝明 (樋口角兵衛)
中村 橋之助 (向井佐助)
──────────
岡田 茉莉子 (淀君)
福田 豊土 (慈海)
待田 京介 (伴 長信)
──────────
紺野 美沙子 (小松殿)
細川 俊之 (大野修理)
工藤 夕貴 (千姫)
円谷 浩 (豊臣秀頼)
三浦 浩一 (滝川三九郎)
中村 梅之助 (徳川家康)
──────────
制作:榎本 一生
演出:大原 誠

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