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2016年11月15日 (火)

プレイバック真田太平記・(39)兄弟再会

慶長19(1614)年12月22日、東西の和議が成立し
大坂冬の陣は終了しました。

しかし和議の条件として大坂城の堀は
埋められることになり
同時に、真田丸も打ち壊されることになったのです。

元和元(1615)年正月、
真田幸村は大坂城内の二の丸に屋敷を与えられ
盆栽をいじるなど、のんびりと過ごしています。

そこに、今回の戦では徳川方についた滝川三九郎が
幸村屋敷を訪問し、幸村を驚かせます。
和議がなった今、豊臣方とか徳川方とか
敵味方ももはや関係なく、自由に出入りできるわけです。

「京に伊豆守さまが来ておられます」
そう告げた三九郎は、
ぜひ真田信之に会ってみてはと背中を押します。

恐らくは、徳川家康が
自分を徳川方に味方させるために
信之を京に呼び出したものと推測できます。

幸村には、徳川方に寝返るつもりは毛頭ありません。
しかし、豊臣方として散ってしまう前に
信之には心から会っておきたい。
大助を伴う予定の幸村は、お江と佐助にも供を頼みます。


京の真田屋敷には、慈海が訪問していました。

幸村が信之に会いたがっていることを伝えた上で
3日後、京の小野お通の屋敷で、と再会の場を設定します。
家康からの条件は、もし徳川方に寝返ったなら
信州のよきところに1万石を与える、というものです。

信之が考えるに、幸村は徳川方へ寝返ることはあり得ません。
その上で信之と対面したなら、寝返らせるという役目を負った
信之の体面に関わるとして、幸村は会わないと言うでしょう。

そこを「会う」と言ったということは、
今回の対面は、恐らくは……別れのあいさつ。
さすがは兄貴、弟のことは手に取るように分かります。


1月7日の対面を前に、
大阪を出発して京を通り過ぎた幸村と大助は
彦根にある銭屋(真田の草の者の忍び宿)に向かいます。

ここには、幸村の妻・於利世と娘・お梅とあぐり、
そして侍女の粂が隠れ住んでいるのです。
久々の対面となりますが、
将来的に前向きな対面ではなく──。

今は和平こそ成っているものの、いずれは手切れとなり
再び東西が戦うときがくると言う幸村は、
於利世に、高野山の浅野家を頼れと言います。
敵中に身を置いた方がかえって安全、と考えたのです。

今日はここで泊まり、明日には京に戻るという幸村。
そして子どもたちは食材を取って来るとと言って、
粂は腕を振るってご馳走を作ると言って部屋を出て行き、
幸村と於利世だけが残されます。

幸村は於利世に手をつき、
住まいなく苦労ばかりかけている身の上を詫びます。
そしてこの先、どのような苦難が待ち受けているかも分かりません。
「わしを恨みに思うてくれ」

お恨み致しますッ……と叫ぶや否や
於利世は幸村の胸に飛び込んで行き、
幸村はしっかりと抱きとめます。


翌日の対面に会わせ、お江と佐助は
京の街から小野お通屋敷周辺を歩き回り
不審な者がいないか警戒を続けています。

一方、慈海を含む甲賀忍びの方ですが、
もしも信之や幸村の身に間違いがあれば
慈海がその責めを負わなければならなくなります。
幸村が伴うお江や佐助と会っても
手出ししないように、甲賀忍びたちには厳命します。


翌朝、幸村と大助は雪の降る中を大津から京に向かい、
信之も真田屋敷を出て小野お通屋敷に向かっていました。

小野お通は、和歌はもとより
書画、箏曲、囲碁、茶などいずれも奥義を究め、
その才色を世に謳われ、かつては宮中に仕えて
女ながら金1,200両、100人扶持を賜ったこともある人物で、

諸々の礼式礼法に通じているところから
後には豊臣秀吉にも仕えていまして、
今は家康の庇護を受けています。

あの冷静沈着な信之が、
珍しいお通のお香(←海外製)に反応するなど
お通を前に激しく動揺しております。

そこに、後から到着した幸村。
関ヶ原で別れて以来なので、
およそ15年ぶりの再会です。

ただ、幸村が何と言おうと
信之には、幸村の本心は分かっています。
もう一度、徳川と戦って
家康の首を取りたいと強く願っていることも。

なので、家康の厳命ではありますが
幸村を強く引き入れるような説得工作はしません。
もうよい、と手を引いてしまいます。

その後、鈴木右近に連れられて
兄弟対面の茶室に大助がやってきました。
大きく成長した大助に目を細める信之です。

叔父上の下で働くもよいぞ、と
大助にそう言う幸村を見つめる信之ですが、
信之も話を合わせます。
「上田へ来ぬか? わしの下で働いてみぬか?」

そんな、すぐにはできない判断を求める兄弟。
そこを大助は、父に従いますと
しっかり答えてしまうからすごいものです。

命は厭(いと)えよ、と大助に伝え、
そもそもは幸村に授けようと思っていた太刀を
大助に与えます。
信之の祖父・真田弾正幸隆が信之に下賜した太刀です。

そして、父・真田昌幸が幸村に下賜した太刀を
鈴木右近に与えます。

「兄上……お健やかにて」
目に涙をいっぱいにため、お通屋敷を後にする幸村です。


大坂城に無事に戻った幸村。

上田城を出奔して幸村の下に走った向井佐平次のことも
信之に謝罪しておきましたが、
信之は幸村に金子を預け佐平次に与えます。

もよも元気に働いているし、娘のはるについては
小松殿がいたく気に入っているようで
嫁取りのことについては真田の養女とするなど
いろいろと手配してくれているようです。

佐平次は、出奔した裏切り者であるのにと
涙を流して喜びます。


京を出発した家康は、途中鷹狩りを楽しみながら
ゆっくりと駿府を目指していました。

三河・岡崎に留まる家康のところに
京から慈海の密書が届けられます。

『会見不首尾』──。

さもあろう、と家康は寂しそうに笑います。


信之は、幸村との対面を思い起こしていました。

今生の別という“予感”というよりも、
“確信”に近いものを感じ取っていたわけです。


(『真田丸』では「()」〜「()」付近)


原作:池波 正太郎
脚本:金子 成人
音楽:林 光
タイトル題字:池波 正太郎
語り:和田 篤 アナウンサー
──────────
[出演]
渡瀬 恒彦 (真田信之)
草刈 正雄 (真田幸村)
遙 くらら (お江)
中村 橋之助 (向井佐助)
木之本 亮 (向井佐平次)
片岡 孝太郎 (真田大助)
──────────
榎木 孝明 (樋口角兵衛)
岡村 菁太郎 (鈴木右近)
福田 豊土 (慈海)
浅利 香津代 (粂)
──────────
竹下 景子 (小野お通)
中村 久美 (於利世)
三浦 浩一 (滝川三九郎)
中村 梅之助 (徳川家康)
──────────
制作:榎本 一生
演出:大原 誠

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