プレイバック真田太平記・(40)戦雲再び
元和元(1615)年1月。
真田信之は、
弟・真田幸村との対面を思い起こしていました。
それもそうですが、脳裏から小野お通のことが離れません。
信之は、先日の弟との対面の席を持ってくれた御礼にと
画家・海北友松の手による掛け軸に手紙を添えて
鈴木右近に持って行かせます。
少しでも近づきたい、と思ったのか
手紙には、いつ江戸に戻れと命令が下るか分からないので
すぐにでもお会いしていろいろと学びたいとしたためておきました。
しかし、お通にはお通の事情がありまして
淀君と対面するために大坂城に入らなければなりませんで、
信之の対面はできません。
その直後、信之に江戸に戻れと命令がきます。
がっかりする信之です。
大坂から駿府に戻る家康は、
すぐにでも大坂に引き返せる準備だけは怠りません。
1月28日には、将軍・徳川秀忠も二条城を発ち
江戸への帰途につきます。
そして秀忠が二条城を出発するのを待っていたかのように
大坂の浪人衆たちが埋められた堀を掘り返していったのです。
その知らせを受けた秀忠は、先行する家康軍に追いつき
緊急の密議が開かれます。
現在の大坂方は、というと
淀君を始めとする女たちは歌舞音曲に明け暮れ
そして大野治長は、浪人たちの暴走を止められぬ有り様で
完全に秩序が乱れてしまっているようです。
ともかく、堀を掘り返しているということは
大坂方は徳川と再戦があると考えているわけで
いずれ大坂方は動く、と家康は予測します。
そして江戸に戻った信之に、徳川から
幸村との対面の労をねぎらう書状が届きます。
そして指示があるまでは江戸を動かぬようにとの命令です。
駿府城には、和平が持たれた御礼に
淀君から、饗庭局、常高院(淀君の妹)、大蔵卿局の
3人の女たちが送り込まれていました。
家康は、徳川義直と浅野幸長の息女との婚儀のために
名古屋城に行くことになっているのですが、
この3人にもいろいろと教えてもらうべく
お手伝いを頼み込みます。
3人も、吉事が吉事だけに断れず
家康に同行して名古屋入りすることにします。
しかし、事態はその間にも進んでいたのです。
大坂に入り込んだ甲賀忍者の者たちによって
今回の和睦、徳川が裏切って破られた! と
流言を大坂城内に振りまき、揺さぶるわけです。
治長は、大坂城はいつまで浪人を召し抱えているのかと
徳川から問いつめられます。
ここは、家康からの無理難題に引っかからないようにするために
浪人たちを城外へ放出すると言い出し、
浪人たちを城外に出せば、それこそ丸裸の城だと言って
反対する治長の弟・大野治房や大野道犬たちと対立。
その夜、治長は刺客に襲われてケガをします。
仕掛けたのは治房らしい、というウワサで
幸村は、今は内輪もめしている場合ではない、と呆れます。
4月4日、家康は大蔵卿局たちとともに
婚礼のために名古屋へ向かいます。
大坂城では、頼みとしていた織田有楽斎が城を出て
浪人たちを握りきれない治長たちが残るだけとなりました。
そんな時の名古屋行きです。
恐らく家康は、駿府へは帰らず
そのまま京か大坂へ向かうでしょう。
そして将軍も、全国の東軍諸将に
密かに出陣の命令を下すに違いありません。
いよいよ、秀忠が江戸を出発し
名古屋で息子の婚礼を見届けた家康も
桑名に向かったそうです。
お江は、真田草の者を二手に分けて
一方を、西に向かって来る秀忠を亡き者に、
もう一方を、数日後に二条城に入る予定の
家康の命を狙うと幸村に提案します。
将軍と大御所、双方とも潰してしまえば
幸村にも再び活路が出てくるかもしれない、というお江に
幸村は、あくまでも大坂で真田の兵法を天下に示したいと
お江の言を聞き入れません。
それでも食い下がるお江。
「お江! 不服ならばワシの下を去れ」
4月18日、家康は入京します。
そして大蔵卿局ら3人を大坂城に帰す時に
味なお土産を持たせます。
すなわち、秀頼は大坂城から大和郡山城に移り
大坂城は堀を掘り返し、以前の姿に戻した後
6〜7年後に引き渡す──。
家康からの、最後通牒です。
それを聞いた秀頼は、激昂します。
関東の謀略によって恥を後世に残すより
華々しく決戦すべし!
同じく、家康の条件に怒った道犬は
大和郡山城に火を放ち、焼け討ちにしてしまいます。
これで、秀頼の逃げ場はなくなり
決戦のみとなってしまいました。
「命だけは助けたかったに……愚か者めっ」
家康は渋い顔で一点を見つめます。
大坂城では軍議が開かれますが、
堀という堀が埋め立てられている以上
戦の策は限られてしまっていまして、
各武将は固く口を閉ざしています。
大坂城を守っての戦というものはできません。
外に出て行くしかありません。
しかも、城を守るわけではないので
いきなり全軍を投入して総力戦を行うしかありません。
催促されて、幸村はようやく策を献じます。
しかしそれも、
いきなりの全軍投入で全滅してはならないという
淀君の鶴の一言で、退けられてしまいます。
結果、幸村と後藤又兵衛の軍は大和口へ、
長宗我部盛親と木村重成の軍は河内口へ出撃。
残る軍勢は後方で備えることになりました。
慶長20(1615)年4月18日、
名古屋城で徳川義直の婚儀に出席した徳川家康が二条城に入る。
慶長20(1615)年5月7日、
大坂夏の陣にて真田信繁が討ち死にするまで
あと19日──。
(『真田丸』では「()」〜「()」付近)
原作:池波 正太郎
脚本:金子 成人
音楽:林 光
タイトル題字:池波 正太郎
語り:和田 篤 アナウンサー
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[出演]
渡瀬 恒彦 (真田信之)
草刈 正雄 (真田幸村)
遙 くらら (お江)
三浦 浩一 (滝川三九郎)
中村 橋之助 (向井佐助)
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岡田 茉莉子 (淀君)
細川 俊之 (大野修理)
福田 豊土 (慈海)
近藤 洋介 (後藤基次)
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紺野 美沙子 (小松殿)
円谷 浩 (豊臣秀頼)
竹下 景子 (小野お通)
中村 梅之助 (徳川家康)
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制作:榎本 一生
演出:永野 昭
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