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2016年11月25日 (金)

プレイバック真田太平記・(42)幸村散る

今日はいよいよ大坂夏の陣のクライマックス!
なので、『その時歴史が動いた』風にお届けします(^ ^)

人間のドラマ。
それを人は歴史と呼びます。

決断の時、
決行の時、

人は何を考え、
どのようにして動いたか。

その歴史の決定的瞬間を取り上げます。


そしてみなさん、いよいよ「その時」がやってまいります。


元和元(1615)年5月7日。
真田幸村決戦の日。
幸村の陣は茶臼山にあります。

大野治長は豊臣秀頼の出馬を約束してくれたので、
真田軍出撃は、秀頼の馬印が大坂城を出てからです。

徳川軍は鉄砲を撃ちかけ歓声を上げつつ
こちらに迫ってくるので、その攻撃に耐えに耐え
敵を充分引きつけてから一気に攻め返し、
そのまま徳川本陣へなだれ込め、と兵たちを鼓舞します。
「……いよいよ決戦ぞ」


家康軍は平岡を出て天王寺へ向かっています。

東は八尾・若江、西は平野・堺にかけて
155,000の兵が集まり、
家康は完全に大阪城を包囲したのです。
ちなみに大坂方は55,000です。

昨日の戦闘で「昼寝でもしていたのか」と
家康に叱責された松平忠直は
天王寺口の最前線に布陣。

忠直同様、家康の叱責を受けた本多忠朝は
茶臼山の最前線に移っていました。
今回こそは手柄を とはやる忠朝は、忠直が
茶臼山に動いたと知ると、一気に出撃します。

松平・本多隊がこちらに進撃して来る。
そう報告が上がってきながらも
未だに秀頼の出馬がないために
まだ動くでない、と幸村は首を横に振ります。


戦に出るな、と幸村に言われたお江は
茶臼山の真田軍と、徳川軍のほぼ中間地点の
林の中に身を潜めていました。


未だに秀頼の出馬がないと知ると、
幸村は自分の名代として真田大助に大坂城に向かわせます。
秀頼を引っ張って来てでも出馬させ
そしてその後は、秀頼を全身全霊で守れと命じたのです。

しかし父のそばにあって、一緒に死ぬ覚悟でいる大助は
その命令を拒みます。
女々しいぞ、と叱った幸村は、
秀頼と生死をともにせよ、と諭します。


幸村軍の隣に布陣している毛利勝永も
秀頼の出馬を待っています。

その時、前線に到着した本多忠朝の鉄砲隊が
敵をおびき出すべく一斉射撃を始めます。
幸村は、あくまでも合図あるまでは
鉄砲を打ち返すな、と全軍に伝えます。


忠朝、忠直の攻撃があっても、
大坂方から反撃の様子がないことを知った家康。
夜を待っているのかもしれない、と
家康は、本陣を前に進めて出撃態勢に入ることにします。

毛利勝永は、秀頼の出馬はもはや待てないと
一気に出撃していきます。


勝永が出撃したことを知った幸村は、愕然とします。
「毛利殿は何ゆえ待てぬのか」

幸村の思惑とは裏腹に、
東西合わせて200,000の兵が
入り乱れての大戦になります。

──大坂夏の陣です。


大坂城で秀頼の出馬を願い出た大助。

秀頼の出馬を突撃の合図としていると知った秀頼は
味方を大いに鼓舞しようと、出馬しようとしますが、
それを押しとどめたのは、これまた淀君でした。

戦は家来に任せておけばいい、いずれ吉報が届きます、と
秀頼の出馬を認めようとしません。

家来に任せるとしても、秀頼の姿がなければ
豊臣を守るべく参陣している兵たちの士気は大いに下がります。
治長がそう説得しても、淀君には聞く耳持たずです。

お留め申せ、と言われて秀頼を取り囲んだのは
数人の女たちでありまして、
それでガックリと膝を落として出馬を断念する秀頼は
何とまぁ……力ないというか頼りないというか。


必死の勝永軍は忠朝軍を突き崩しつつあります。

忠朝軍の敗北に業を煮やした家康本隊は
ついに軍を更に前に進めてきたのです。

「我らも押し出すぞ……出撃じゃ!」
家康本隊が動いたと聞いて、
幸村は今こそ好機と全軍に命じます。

幸村軍は、家康の目の前で越前松平勢と激突。


秀忠が守る陣では、
治長が鉄砲で一斉射撃し蹴散らしていました。

「このようなことで大御所様に面目が立つと思うてか!?」
自ら前線で戦う、と秀忠が言って
家臣たちに止められる有り様です。


幸村は佐助に「今じゃ」と伝えます。
戦って兵たちが入り乱れている中に
「浅野殿が裏切った!!」と言って回ったのです。

浅野が裏切り!? 浅野が攻めて来る!? と
越前松平の兵たちは続々と逃げ出します。
そこに、家康本陣への道が十戒のようにできるわけですが、
幸村は今こそ突撃の時と馬を走らせます。

同時に、各地から幸村の影武者が現れ、敵を翻弄。
家康本陣の守りが非常に手薄になります。


林の中に潜んでいたお江は、今日こそ家康の命を狙うと
手裏剣を持って走り出します。


予想外の幸村の突進に、家康を守る鉄砲隊は
真田軍にさんざんに撃ちかけますが、
足に鉄砲玉を受けながらも、本陣に突撃してきます。

あまりの恐怖に家康は目を覆い
陣を捨てて逃げ帰ります。

最後まで家康本陣に残った滝川三九郎ですが、
戦に出てきた場数の違いか、アッという間に槍で仕留められ
幸村はそのまま家康の逃亡方面へ馬を進めます。


しばらく歩き回って家康を探した幸村でしたが、
林の中に家康の姿を見かけると、猛突進!
うわぁぁぁ! と雄叫びを上げながら、突撃します。

お江も、今度こそと近くで手裏剣を構えています。

しかし、家康を守ろうと数騎の騎馬隊が
幸村と家康の間に割って入ると、
幸村は、ただ黙って来た道を戻っていきます。


数の上で有利な徳川軍は、
徐々に戦況を好転させていました。
大坂方を完膚なきまでに打ち崩していったのです。

勝敗はもはや時間の問題でした。


大坂城内では、秀頼、淀君、千姫をはじめ
家臣たちが戦況を見守っていましたが、
悲報がもたらされるたび、女たちに動揺が走ります。

そして、大坂城の台所から火が上がります。
裏切って火を放ったようです。

別の曲輪に避難することになりましたが、
千姫を守る刑部卿だけは、治長と示し合わせて
千姫を城外に連れ出そうとします。
「姫様にはこれより、城を出ていただかなくてはなりませぬ」

千姫を家康の元に返すことで、その命と引き換えに
秀頼と淀君の助命嘆願に有利に事を運ばせるための
いわば切り札ということで、治長の手引きでそうなりました。
秀頼の命乞いのためと知り、千姫は涙ながらに頷きます。


大坂城の山里曲輪の糒庫(ほしいぐら)。
秀頼と淀君はここに避難してきました。

秀頼はそこで、千姫の姿がないことに驚き
城内を探そうとしますが、
治長の一存で城外に出したことを聞くと
驚愕し、崩れ落ちます。


家康本陣に、千姫がたどり着きました。

家康への挨拶もそこそこに、
秀頼と淀君の助命嘆願を申し出て頭を下げる千姫に
それについては将軍がやることだから、と
千姫の涙にとまどいながらも、秀忠に振ります。

秀忠に取り次いだ三九郎を
助命などもっての他、と秀忠は叱りつけます。
「何ゆえお千は、秀頼とともに死なぬのか」


幸村は、茶臼山近くの安居天神にいました。
疲れ切った身体を休めていたのです。

そこに兵士がひとり現れます。佐平次です。
どうやら馬に見覚えがあったらしく、
「お前は……?」と馬に近づいてみると、
近くに幸村が座っているではありませんか。

主従久々の再会です。

しかしその再会を喜ぶヒマなく
敵兵が幸村たちを見つけ、鉄砲で撃ちかけてきました。
幸村をかばうべく鉄砲の的になった佐平次は
そのばに倒れ、命を落とします。

見送った幸村は、取り囲む徳川の鉄砲組たちに
自分の首を取って手柄にしてほしい、とうなだれます。
そして懐刀で首を切ります。

 兄上……。
 左衛門佐はかくなり申した。
 父上……。
 これで、これでよろしゅうござるか……。

真田左衛門佐幸村、元和元年5月7日
49年という波乱に満ちた生涯を閉じました。


豊臣家の命運も、まさに尽きようとしていました。

千姫による助命嘆願工作は失敗に終わったようで、
避難するこの曲輪も、ついに囲まれてしまいました。

淀君の命で曲輪に火がかけられ
淀君、秀頼と次々に自害していきます。

秀頼と生死を共に、と命じられた大助も
秀頼の死に遅れまいと、自害します。

関ヶ原の戦い以後、
15年にわたって続いた豊臣・徳川の戦いは、
大阪城の炎上とともにその幕を下ろします。
5月8日、太閤秀吉が一代で築き上げた豊臣家の
まさに終焉でもありました。


江戸城真田屋敷には、三九郎の使いで急使が到着していました。
真田信之には、幸村の死が伝えられます。

「左衛門佐……」
信之は、弟の死を悼みます。


(『真田丸』では「()」〜「()」付近)


原作:池波 正太郎
脚本:金子 成人
音楽:林 光
タイトル題字:池波 正太郎
語り:和田 篤 アナウンサー
──────────
[出演]
渡瀬 恒彦 (真田信之)
草刈 正雄 (真田幸村)
遙 くらら (お江)
榎木 孝明 (樋口角兵衛)
中村 橋之助 (向井佐助)
──────────
岡田 茉莉子 (淀君)
三浦 浩一 (滝川三九郎)
──────────
細川 俊之 (大野修理)
工藤 夕貴 (千姫)
円谷 浩 (豊臣秀頼)
中村 梅之助 (徳川家康)
──────────
制作:榎本 一生
演出:大原 誠

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