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2016年12月 6日 (火)

プレイバック真田太平記・(45)生きる [終]

元和3(1617)年・秋。

上田城の真田信之は、
幕府からの出府命令を受けて江戸城に入ります。
信之を待ち構えていたのは、将軍家側近の
酒井忠世と土井利勝であります。

そのはるか先、御簾の中には将軍・徳川秀忠もおります。

慶長19(1614)年の大坂冬の陣のあと、幕府の許可もなく
九度山を脱出し大坂方に加担した弟の真田幸村と
密かに談合しただろう? と問いただしを受けるわけです。

信之は、うーん とか、はて とか
思い出すそぶりを見せて思い出さなかったり
のらりくらりと返答を避けます。

しかし、密かに対面していた証人がいる、と言われて
この場に連れられてきた男を見て、信之はビックリします。
真田家の重臣として働いてきた馬場彦四郎であったのです。


原作:池波 正太郎

脚本:金子 成人

音楽:林 光

考証:鈴木 敬三
風俗考証:磯目 篤郎
殺陣:林 邦史朗

文書考証:白井 孝昌
書道指導:島内 茉里
琴指導:谷 珠美

タイトル題字:池波 正太郎
タイトルバック:岡本 博
語り:和田 篤 アナウンサー

──────────

[出演]

渡瀬 恒彦 (真田信之)

草刈 正雄 (真田幸村)

遙 くらら (お江)

榎木 孝明 (樋口角兵衛)

香野 百合子 (久野)

中村 橋之助 (向井佐助)

木之元 亮 (向井佐平次)
大谷 友右衛門 (矢沢頼康)

岡村 菁太郎 (鈴木右近)
角野 卓造 (馬場彦四郎)

早瀬 亮 (真田信吉)
森岡 進 (真田信政)

渋谷 天笑 (姉山甚八)
堀田 真三 (宮塚才蔵)

坂西 良太 (板倉新之助)
奈辺 悟 (伏屋太平)

──────────

中村 梅之助 (徳川家康)

──────────

竹下 景子 (小野お通)

中村 梅雀 (徳川秀忠)

瑳川 哲朗 (酒井忠世)

有川 博 (土井利勝)

加藤 武 (本多忠勝)

戸浦 六宏 (山中長俊)

石橋 蓮司 (猫田与助)

庄司 永建 (金井権之助)
広瀬 昌助 (望月半助)

設楽 麻樹 (真田家の侍女)
 ─────
若駒
丹波道場
鳳プロ
劇団いろは
劇団ひまわり

──────────

紺野 美沙子 (小松殿)

佐藤 慶 (山中俊房)

夏八木 勲 (壺谷又五郎)

小山 明子 (山手殿)

丹波 哲郎 (真田昌幸)

──────────

制作:榎本 一生

美術:内藤 政市
技術:設楽 国雄
  :板倉 幸次
効果:佐藤 彰

照明:高橋 猛
カメラ:吉野 照久
音声:谷島 一樹
記録・編集:野田 茂子

演出:大原 誠


彦四郎は、元和元(1615)年正月7日
京都八坂裏の小野お通の屋敷にいたと証言します。

小野お通の名前を聞いてようやく思い出した、と
大笑いする信之を、敵味方の兄弟が隠れて会っていたとは
どういうことか! と追い詰める利勝ですが、
ここから信之の反論が始まります。

元和元(1615)年正月は東西の戦は止んでおり
その後に戦が再開しようとはつゆほども考えず。
ゆえに敵味方の兄弟が会っても
差し障りはなかろうとの見解です。

それとも徳川方では大坂夏の陣に備えて
結んだばかりの和睦を和睦と思わず
戦支度を始めていたのか、と攻め立てます。

領国を勝手に離れて京都に向かったことも叱責されますが、
それを指示した方がいたので従ったまでのこと、と弁明。
その方の名を打ち明けてもいいが、まず信じますまい、ということで
将軍家の許可の下、その方が出した書状を披露することになりました。

いったん休憩となり、奥に引き下がった秀忠は
恐らくは今出川(菊亭)晴季卿あたりが一枚噛んでいるだろうが
全く影響はないから突っぱねてしまえ、と命じます。


休憩後、真田家江戸屋敷から文箱が届けられ
中に入っている書状を改めることになりました。

『そこもと、至急上洛の上、二条城に入ること。
 なお、御公儀に対し隠密儀にいたすべく候なり
 十一月十八日 家康』

利勝や忠世は言うに及ばず、秀忠の表情までも
青ざめた困惑の顔に変わります。

『先般、左衛門佐との会見 不首尾の儀
 実に苦労さしており候
 よってこの後は江戸に留まるべく候なり
 正月廿三日 家康』

大御所家康は、無用な争いは避けたいと思い
末永く和睦が続くことを望んでいたのです。
大坂さえ従えば右大臣豊臣秀頼家は
安堵させるつもりでいたわけです。

その思いを、大坂方に伝えて説得に当たるべく
信之から幸村に伝える役目を担って入京しましたが、
信之自身の力不足で不首尾に終わってしまいました。

しかもこれは、家康があくまでも内密に事を運んだため
将軍や重臣たちも誰も知らなかったことであります。
利勝や忠世は見苦しい言い争いはせず引き下がりますが、
秀忠は御簾の内から信之をいまいましく睨みつけます。

しかし次の手がありました。
尾張徳川家で召し抱えられている
牢人・樋口角兵衛を使うのです。


その夜、信之は真田家江戸屋敷に宿泊し
人質として江戸送りにされた小松殿と
久々の再会を果たします。

床に臥せっていた小松殿が上体を起こしていたので
寒かろう、と信之が着ていた着物を小松殿に着せてやるのですが、
中に着ていた手作りの着物を見て、小松殿は感ずるものがあるようです。
「側室を持たれませ」

その話に信之は適当に返答し、数日後、上田城に帰っていきます。


角兵衛が尾張徳川家で刃傷沙汰を起こし出奔しているそうです。

角兵衛ならあり得そうな話ですが、
尾張徳川家は角兵衛に追っ手を差し向けることなく
放任している様子です。

ということは、角兵衛の行動は自由なわけで
もし上田城に角兵衛が入ったら、刃傷事件の罪人を
真田家が匿ったということになります。

逆に言えば、
角兵衛が真田の親戚筋と知れている以上
角兵衛が上田に戻るのを
今か今かと待っているようにも見えます。


冬が来て、真田にとって招かれざる客もやってきます。
角兵衛です。

信之は、真田家取り潰しの材料とするために
それを分かった上で牢人・角兵衛を尾張徳川家に召し抱え
そして刃傷沙汰を起こさせて、
その責を真田に持たせようとしているわけです。

角兵衛は一切悪くはありませんので
すぐにでも角兵衛を城に入れようとしますが
矢沢頼康がそれを止めます。

代わって頼康は、病気で床に伏せっている母・久野の寺に赴き
角兵衛にすべてを話します。
「俺は利用されただけだったのか……その程度の男であったのか」

角兵衛は、昏睡状態の久野が目覚めてから一言別れを伝え
すぐに上田城を立ち去る、と約束します。


久野が目を覚ましました。

信之に仕える、と知った久野は、
自分の命が残りわずかであることを悟り
角兵衛に今までついていた嘘を伝えます。

実は角兵衛は真田昌幸の子どもではありません。
それより少し前に懇ろであった武田家の若侍・
小幡亀之助という男の子どもなのです。

愚かであった……と
角兵衛はひどくショックを受けています。

角兵衛は今までの言動を恥じ
自刃して果ててしまいます。
そして久野も、角兵衛の自刃した姿を見て
ショック死してしまいます。

幕府からは、何の咎めもありませんでした。


3年後・元和6(1620)年の春。

小松殿が一時帰国を許され、
上田城に向かっていました。

上田城では、母の到着前に
調度品などをすべて新しいものに改め
迎える準備を進めていました。

信吉や信政、そして信之までもソワソワ……w

ところが、そんな時に
小松殿が武州鴻之巣で発病と知らせが舞い込んだのです。
すぐに武州にとぶ親子です。

鴻之巣に見舞う父子ですが、
目を覚ました小松殿は、
信吉には滅多なことで城を空けるな、沼田城に戻れと命じ
信政にはすぐに江戸に戻って役目を果たせと命じます。

息子たちがそれぞれの任地に戻った後
夫婦の最後の時間を過ごします。

徳川四天王のひとり・本多平八郎忠勝の娘、稲。
戦国の時代を、気丈にも聡明に生きた生涯でした。
享年48。


時代は大きく変わります。
関ヶ原の戦いで徳川に味方した福島正則は
改易されて川中島に流され、
島津義弘も亡くなります。

信之が何度も上田の地へ誘っていた小野お通ですが
家康が何とかして入手した幸村の遺髪を預かり
それを上田へ回送させたことは、今や幕府の知るところとなり
幕府からどのように思われているか分からないとした上で、

いまこの時に自分が真田に参れば、
またも真田家取り潰しの口実を与えてしまいかねないから
自分のことは忘れてください、という書状が届きます。


元和8(1622)年・夏。

信之は幕府に呼び出しを受け、
上田城から松代城へ移ること、との命を受けます。

父と弟を敵に回しても、徳川に忠義を貫き通した男への
突然の国替え命令であります。

数字だけ見れば、9万石の上田に対し
松代は13万石と加増なのですが、
実質的には、実りのいい上田は18万石に対し
廃れている松代は8万石がやっとのところ。

上田城に戻った信之は家臣たちを集め
松代へ移ることになったと知らせます。

「今はお家大事のときである!」
嘆き悲しむ家臣たちに激励をします。


わしは生きるぞ。
生きて生きて生き抜いてみせる──。

信之は宣言します。


8月17日、信之は上田城を出て松代城に向かいます。

城門を出て振り返り、城を仰ぎ見た時
信之の脳裏に、死んでいった者たちの姿が甦ります。

真田昌幸。
真田幸村。
壺谷又五郎。

山手殿。
樋口角兵衛。
徳川家康。

小松殿。

数多くの思い出を胸に秘めながら、
父祖伝来の地・上田を去ろうとしています。

それから36年後の明暦4年10月17日、
信之は松代の隠居所で永眠します。
享年93。

真田藩は、江戸幕府の厳しい政策の中を
取り潰されることなく明治維新まで生き残っていくのです。


──完──

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