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2017年6月12日 (月)

プレイバック秀吉・(45)利休切腹

平成2(1990)年3月、京都・大徳寺で
利休400年忌の法要が営まれた。
「表千家」「裏千家」「武者小路千家」
三千家による合同法要である。

利休を祖とする3つの千家によって
利休の茶の湯は今も脈々と伝えられている。

利休の晩年、大徳寺・三門の金毛閣に利休の木像が置かれた。
この三門が、利休の寄進によって
改築されたことを称えてのことであった。
木像は江戸期に復刻され今も安置されている。

この利休の木像が、
秀吉と利休との対立を決定的なものとしたのである──。


天正19(1991)年・早春。
豊臣秀長の死後、大徳寺金毛閣に設置された千 利休の木像は
天下人・豊臣秀吉への命がけの諫言かとの噂が
都中を駆け巡ります。

吹雪の中、外に出た利休は
椿の花びらがボトッと雪の中に落ちるのを目撃します。

その美しさに、自らもいさぎよく命を落として
死ぬことで生きた美しさを現したいと感じます。
「いさぎよう首から落ちて……」


秀吉も、利休のことで
体調がすぐれず食も細っております。
そんな秀吉を、淀は肝が小さい、と鼻で笑います。

石田三成、加藤清正らは、
利休の処分、淀の秀吉への態度、
そして細川ガラシャのキリスト教信仰の黙認など
秀吉の恩情が世の秩序を乱している、と訴え

数々の非礼をする利休を追放するように、
重ねて願い出ます。


利休の屋敷を訪問した三成。

政敵を前にして、今までのようないがみ合いではなく
何かが吹っ切れた様子で三成を迎え入れます。

殿下はお苦しみにござる、と三成はぽつりと呟きます。
「そら嬉しいな。互いに惚れ合うて天下を奪い取った間柄。
 惚れた相手が死ぬことを平気でいるようでは寂しいがな」

茶を売らず名を売らず、死に切ることこそ利休の本懐。
そういう利休は穏やかに笑います。


三成の案内で大徳寺・三門に上がった秀吉は
三成が止めるのも聞かずに利休の木像にひれ伏します。
利休が何を考え、何を求めているのかを
秀吉なりに読み取ろうとしていたのです。

利休を堺に蟄居させ
謝罪がなければ望み通りに死罪にする。
利休は三成に命じます。

2月13日、利休に対し堺への蟄居の命が届きます。
しかし、利休は蟄居したまま何も謝罪しません。

2月28日、雷鳴轟く中、秀吉は堺の利休屋敷に赴きます。
秀吉も利休も、雪解けをしたかのように笑い合います。
「切腹を申し付ける」「かたじけのうございます」

のちに利休は切腹……。


三成は、利休が死んで
今後の舵取りを執るつもりですが、
いつか利休と同じ運命を辿ると思え、と
秀吉に釘を打たれます。

「心配ご無用!」とおどけて笑ってみせますが、
秀吉も、おねも、真顔のままです。


利休の首は、大徳寺三門の木像に踏ませ
河原に晒し首となりましたが、
秀吉は、大徳寺へはお咎めしませんでした。

秀吉は、利休のために茶を点てます。
それが利休への弔いです。


脚本:竹山 洋
堺屋 太一「秀吉」「鬼と人と」「豊臣秀長」より
音楽:小六 禮次郎
題字:森繁 久彌
語り:宮本 隆治 アナウンサー
──────────
[出演]
竹中 直人 (秀吉)
沢口 靖子 (おね)
松 たか子 (淀)
仲代 奈緒 (お吟)

西村 雅彦 (徳川家康)
田村 英里子 (たま)
川上 麻衣子 (おかつ)
香山 美子 (お京)
──────────
市原 悦子 (なか)

真田 広之 (石田三成)

仲代 達矢 (千 利休)
──────────
制作統括:西村 与志木
演出:黛 りんたろう

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