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2017年7月11日 (火)

プレイバック葵 -徳川三代-・(03)五大老五奉行

歴史の謎は数々あるが、中でも奇怪至極なのは
太閤秀吉のご葬儀である。

秀吉の他界は慶長3(1598)年8月18日だったが
交戦中の朝鮮に悟られぬように喪を秘めて4ヶ月、
慶長4(1599)年に入っても、没後半年を経ても
秀吉の葬儀が行われた形跡がなく。

太閤没後の権勢を巡り政局がにわかに険悪となり
葬儀どころではなかったのではないだろうか。

幼君秀頼の側近・前田利家、奉行・石田三成、
そして実力No.1・内府徳川家康。
天下は割れてまっ二つ、武力衝突寸前の有り様である。

哀れなのは太閤秀吉、葬儀があったのかなかったのか?


慶長4(1599)年正月25日・大坂城──。

前田利家と石田三成が密談しています。
話題はもっぱら徳川家に関することでありまして、
江戸城にいた徳川秀忠が大挙して
伏見に向かって進軍しているという情報です。

最近体調がすぐれない利家にとっては、自分の存命中に
この家康と他の対立を収めたいと考えているのです。
仮に利家が没したとして、その後釜は誰か?
利家に変わって徳川家康に物申せる大名は誰か?

利家は、いっそ家康に後を託したいと考えています。
豊臣家さえ安泰であるならば
誰が世を治めてもいい、という考えです。
「双方譲り合わねば、折り合いはつかぬ」


伏見・徳川屋敷──。

大軍を率いて秀忠が到着しました。

家康とすれば、数にもの言わせて大坂城に攻め込んでも
大坂方が秀頼を前面に出してしまえば、太閤秀吉恩顧の
大名たちはたちまち手出しできなくなってしまうし、
豊臣家に弓引く逆臣と受け取られ、批判を浴びてしまう。

それよりは、秀頼を操る淀の方に対抗して
北政所をいただいて、というのもありですが、
北政所も今は大坂城中です。

そんな時、丹後宮津城主・細川忠興が訪れます。
彼は徳川方に味方しつつ、利家とも姻戚関係で昵懇なので
相手方の情報を得るには持ってこいなのです。

利家は、奉行衆と家康との対立のきっかけは
そもそもは奉行衆の実務のゴタゴタが引き起こしたことなので
三成を始めとする奉行衆は、剃髪して謹慎させる代わりに、

家康も、今後は勝手に諸大名と婚姻関係を結ばないように
誓紙を交わして約束してもらうこと、を求めます。
「熟慮してご返答に及ばん。まずは奉行殿の剃髪を見届けたい」


2月2日、石田三成は剃髪して大坂城に登城します。

表向きは、太閤秀吉薨去以来半年が経過するというのに
葬儀が未だに行われないのは不忠の極みである、と
家康に叱責されたため、でありますが、

そもそもその葬儀について横車を押しているのは家康であるため
家康こそ剃髪して謹慎すべき、という声が上がります。


2月29日、伏見の徳川屋敷を利家が訪問します。

この先長くは生きられないと悟った利家は、
自分が死んだら目の上のたんこぶがとれて
せいせいするだろ? と家康に冗談を言った後、
おもむろに手をつきます。

「わしはおぬしに全てを託す」
大老たち、奉行たちを取りまとめられるのは
家康を置いて他にはいない、と言うのです。

家康は利家を抱きしめて、受け止めます。


大坂・小西行長邸──。

そこには、三成、増田長盛、
長束正家が集まって密談しています。

利家が徳川屋敷を訪れたことはすでに知れていて
彼らは、家康がその返礼で
3月13日に加賀屋敷を訪問する情報を入手します。

宿所は藤堂高虎の屋敷です。
そこを襲撃して家康を倒す計画を立てます。


果たして当日、家康は藤堂高虎の屋敷で襲撃を受け
そのまま伏見に戻ったわけですが、
もちろん命を狙われていたので
大坂城の秀頼には挨拶もなく戻った形になります。

その非礼に淀殿はたいそうご立腹ですが
家康が誰かに命を狙われ、
加藤清正らに護衛されて屋敷に戻ったのだと
北政所が教えてくれます。


閏3月3日、大納言・前田利家 逝去──。

利家の死は、三成にとって大きな打撃となります。
三成を討ち果たそうと、加藤清正、黒田長政、福島正則、
細川忠興、池田輝政、浅野幸長、加藤嘉明の
総勢7人の武将が密議を謀ります。

清正と長政は加賀屋敷、忠興と正則は石田屋敷、
嘉明は表門を固め、輝政と幸長は街道筋を遮断。

しかし三成は事前にこの動きを察知、
盟友・佐竹義宣の援護を借りて逃亡!
果たしてその行先は……。


「ただ今御門前にて石田三成殿がお越しになり──」
待て待て待て、討ち入りか!? と飛び起きる家康。
そう、三成は敵の懐に逃げ込んで来たのです。

これぞ最大の好機、と家臣たちは大喜びですが
家康は、ここで三成を討ち果たせば
誓紙血判に背くことになる、と拒否します。
好機に沸き立った家臣たちは、一様に悔しがります。

表では、7武将が三成の身柄引き渡しを要求しています。

三成は、家康の豊臣家への忠義を図りかねて
今回の騒動に至っていることを主張します。
もし家康の忠義心に偽りがなければ
この場で腹をかっ捌いてみせる、と。

フッ、と息を漏らした家康は
己の脇差しを三成の目の前にドンと置きます。
腹を斬れ、と暗に言っているのです。

その時、大坂城の北政所から三成助命の嘆願が届きます。
助命嘆願とあっては、命を奪うわけにはいきません。
では、三成の処遇はどうするか……。

7人の武将の怒りを静めるには
まずは奉行職を退くことは肝要であります。
「ほとぼりが冷めるまで、いっそ佐和山に引き退かれてはどうか。
 お主の存念次第だが」


閏3月10日、三成は奉行職を辞し佐和山へ。
失意の三成、この時40歳。

しかし家康は、せっかくの敵をどうしてむざむざと逃がしたのか
秀忠は納得できません。

それはかつて、桶狭間の合戦の時に、
今川の人質となっていた家康は
敵である織田信長が今川義元を討ってくれたおかげで
人質という役目を終え、解放されたことにありました。

敵(今川)の敵(織田)は、味方になる。
今回も、それに倣ったわけです。


閏3月12日、家康は三成を追放するや
間髪入れず、自ら伏見城に入ることにします。
そして留守居役を追い出し、
翌13日に悠然と入城を果たすのです。

これに激怒したのは淀殿です。
病気を理由に大坂城へ出仕しないくせに
自ら伏見城に入って居座るとはどういう了見か。

「大老の任を何とお考えか!!」
淀殿は、不届きだと分かっていながらも何も手出しできない
毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家らを叱責しますが
叱責されたところで、何も出来ず何も言い返せません。


家康の伏見入りがあり、
諸大名たちによる伏見詣でが始まりました。
そして朝鮮出兵の論功行賞を見直し
特定大名の知行見直しなど独断で政務を進めます。

4月、家康六男・辰千代が
伊達政宗の息女・五郎八姫と結納を取り交わし
家康は、諸大名たちから“天下さま”の呼び名を得るに至ります。


江戸より知らせがあり、お江が姫を出産しました。
気合いが入っとらん! と家康は秀忠を叱咤します。

三男ながら徳川家の後継者となっている秀忠ですが、
次男の結城秀康は男の子を2人も授かっていて
後れをとってはならぬ、と言いたいのです。
「側室を持てと申しておる。側室は若くて丈夫なのを選べ」

高貴な女性は、実家がしゃしゃり出て
いろいろと壊して行ってしまうから
名も無い女を選べ、と秀忠に教えます。

しかしお江のことを考えると、
忠実に従えないのが正直なところです。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
──────────
[出演]
津川 雅彦 (徳川家康)
岩下 志麻 (お江)
小林 稔侍 (片桐且元)
蟹江 敬三 (福島正則)
三林 京子 (阿茶局)
神山 繁 (本多正信)
上條 恒彦 (上杉景勝)
石田 太郎 (大久保忠隣)
清水 綋治 (榊原康政)
山下 真司 (黒田長政)
岡本 富士太 (結城秀康)
香川 照之 (宇喜多秀家)
黒沢 年男 (長束正家)
佐藤 慶 (増田長盛)

江守 徹 (石田三成)
──────────
中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
──────────
山田 五十鈴 (於大)
北村 和夫 (前田利家)
宇津井 健 (毛利輝元)
小川 眞由美 (淀殿)
草笛 光子 (北政所)
西田 敏行 (徳川秀忠)
──────────
制作統括:川合 淳志
演出:重光 亨彦

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