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2017年7月14日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(04)剛腕五十八歳

水戸光圀の祖父・徳川家康は
生涯に16人もの子どもを作った。

慶長4(1599)年までに産まれたのが12人。
信康、亀姫、督姫、秀康、秀忠、忠吉、振姫、
信吉、辰千代、松千代、仙千代、松姫。

そのうち長男信康は織田信長の命令で切腹、
四女松姫は4歳で病死、
七男松千代もこの春に6歳で病死。

長女亀姫は家臣の奥平信昌に嫁ぎ、
次女徳姫は北条氏直と別れて池田輝政に嫁ぎ、
三女振姫は蒲生秀行に嫁いだ。

残る男子6人のうち
二男秀康は11歳で豊臣秀吉の養子となるも
後に結城家に出されて「結城秀康」となった。

三男秀忠と四男忠吉は1つ違いの同腹兄弟。
五男信吉は生まれつきの病弱、
六男辰千代は無類のわんぱく。
八男仙千代はいまだ幼少。

家康はこの中で、三男秀忠を世継ぎと決め
側近くに置いて遊学をさせていた。

で、かく言う水戸光圀の父は誰かって?
慶長4年の時点ではまだこの世に産まれておらず──。


慶長4(1599)年閏3月・佐和山城──。

琵琶湖の東南・佐和山城は
徳川家康を真っ向から咎めた石田三成の居城です。

奉行職を解かれ、蟄居させられた三成でしたが
194,000石の所領まで召し上げられたわけではなく
いまだにれっきとした大名のままであります。

家臣の島 左近と蒲生郷舎も、今は耐える時と三成を激励しますが、
家康が増田長盛らを追い出して伏見城に入ったことを知ると
とうとう本性を現したか、と悔しい思いでいっぱいです。


8月、政局はひとまず落ち着いたように見え
毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝、前田利長らは
それぞれの領地へ帰国し始めます。
徳川秀忠も江戸へ引き揚げています。


9月7日、
徳川家康は伏見城を出発し大坂城へ向かいます。
豊臣秀頼に、2日後にやってくる
重陽の節句のお祝いを述べるためです。

家康は、蟄居して佐和山に引きこもった
石田三成の旧屋敷に宿泊しますが、
出迎えた増田長盛と長束正家に
家康襲撃の不穏な動きがある、と問いただします。

すなわち、前田利長、浅野長政、大野治長……。

奉行ふたりは、断じてあり得ぬと青ざめますが、
本多正信は、あり得るかあり得ぬかは
奉行の名において詮議すべし、と厳しい態度です。

とはいえ、利長は帰国中でもあるので、詮議できません。
であれば、家康の大坂登城は見送るしかありません。
半年前、何者かに襲撃されたこともあるので、
そんな危険な大坂城中に入るわけにはいかないのです。

もしここで家康が大坂登城を拒めば、秀頼の落胆は大きく
しかも大名から町衆に至るまで
人心を惑わすことにもなりかねません。

家康は、長盛と正家の顔を立てる代わりに
手勢を従えて入城することを認めさせます。
そこで家康は、屈強の軍勢を伏見から大坂に呼び寄せます。

もしかしたら、この家康襲撃計画というのは
家康自身のでっちあげの可能性もあります。
軍勢を従えて大坂城に入り、そのまま居座り
ことを有利に運ぼうとするための計画的犯行……w


こうして9月9日、家康は秀頼に拝謁します。

ただし、無事に拝謁の儀が終わっても
襲撃計画の首謀者を断罪するまでは
家康は大軍を大坂においたまま動かない、と宣言します。

北政所のご機嫌伺いに訪れた家康。
心得違いをしている諸大名たちを懲らしめるために
家康がこれからいろいろと策をとるのを知った北政所は
いま自分が住んでいる大坂城西の丸を家康に明け渡し
そこから睨みをきかせればいい、と提案します。

26日、大坂城を出た北政所は京都三本木の屋敷に入り
落飾して「高台院」となります。

そして28日、家康はついに大坂城西の丸に入ったのです。


10月2日、浅野長政、大野治長らの処分が決まり
長政は武蔵国へ、治長は下総国への流罪となります。

治長には身に覚えが無いことだと無罪を主張しますが
肩を持った淀殿が申し開きをしようとします。
「さては家康殿、豊臣家孤高の家臣に言いがかりを付け
 追放に及ぶ所存と見ゆる……ええい、そうはさせまい!」

みそかごとが明らかになってもよろしゅうございますか、と
横で座す片桐且元が冷静に引き止めます。
すっとぼける淀殿ですが、治長との密通は
すでに大坂城内で広く噂となっていたのです。

そうなっては、淀殿も治長も口を閉ざします。

そして利長ですが、生母を人質として江戸に送り
かつ徳川家と前田家で縁を深めることを約束すれば
利長の罪を赦し加賀征伐を中止することにします。

それらの動きを受け取った三成ですが、
己は蟄居の身ゆえ何もできません。
左近の提案で、まずは豊臣恩顧の大名たちに文書を送り
家康打倒の連合軍を作り上げることにします。


流罪となった治長は、
最後の最後に淀殿と密会し下総国へ出発します。

そして江戸では、家康に子どもをたくさん作れ、
側室をたくさん持てと言われた秀忠が
お江への愛を誓い、側室を持たぬと約束します。
「その代わり、次は嫡男を産んでくれよ」


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
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[出演]
津川 雅彦 (徳川家康)
岩下 志麻 (お江)
神山 繁 (本多正信)
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佐藤 慶 (増田長盛)
黒沢 年男 (長束正家)
内藤 武敏 (石田正継)
高橋 惠子 (おりん)
竜 雷太 (蒲生郷舎)
夏八木 勲 (島 左近)

江守 徹 (石田三成)
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中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
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小川 眞由美 (淀殿)
小林 稔侍 (片桐且元)
草笛 光子 (北政所)
西田 敏行 (徳川秀忠)
──────────
制作統括:川合 淳志
演出:重光 亨彦

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