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2017年7月18日 (火)

プレイバック葵 -徳川三代-・(05)反主流

太閤秀吉の薨去後、群雄割拠する中
断然頭角を現したのが徳川家康である。

諸大名を恫喝しつつ伏見城を占拠し
後に豊臣家の牙城たる大坂城西の丸に居座り
本丸同様の天守閣を築かせる有り様。
傍若無人と言うか手が付けられぬというか。

試しに当時の諸大名の勢力を石高で表してみる──。

1位 江 戸 徳川 家康 256万石 ※五大老
2位 広 島 毛利 輝元 121万石 ※五大老
3位 会 津 上杉 景勝 120万石 ※五大老
4位 金 沢 前田 利長 84万石 ※五大老
5位 鹿児島 島津 義久 60万石
6位 仙 台 伊達 政宗 59万石
7位 岡 山 宇喜多 秀家 57万石 ※五大老
8位 水 戸 佐竹 義宣 54万石
9位 名 島 小早川 秀秋 36万石 ※後の福岡
9位 佐 賀 鍋島 直茂 36万石


慶長5(1600)年正月・大坂城──。

本丸では、8歳となった豊臣秀頼は、淀殿とともに
諸大名による年始の参賀を受けます。

そして同じ時、西の丸では徳川家康も
諸大名の参賀を受けています。
諸大名は、秀頼と家康とどちらの参賀を先にすべきか
戸惑う者も少なくなく。

上杉景勝は、豊臣秀吉の命で越後から会津へ移っており
国許の実務が多忙ゆえ、帰国したままとなっていまして
大坂城には城代の藤田信吉が参列しますが、

「親しくご面談いたしたき儀これあり」
家康は、身をもって敵意無しを示すために
多忙であっても大坂へ来いと圧力をかけるわけです。


佐和山城の石田三成は、打倒家康で燃えております。

しかし今、秀頼と家康と一緒にいては
家康を攻めることは秀頼を攻めることになりまして
まずは秀頼と家康とを引き離すしか方法はありません。

秀頼に大坂城を出て行ってもらうのは
自ら負けを認めたことになるので、
家康に大坂城を明けてもらうためには……。

三成が佐和山で挙兵する案は、
佐和山は大坂から近すぎるので、あまり効果はありません。
島 左近が考えるに、その囮はもっと遠くにあります。

東に上杉、西に毛利。
そのどちらかが挙兵に及べば、家康とて動かざるを得ず。
三成は双方に密使を送ります。

一方で、人質に出されている三成の子には
家康から片諱「家」をいただき、
重家と名乗らせるよう書状が届きます。
石田家の行く末をお考えとは、と三成は感涙。


3月に入り、大坂城に、
景勝が会津で新しい城を建て、武器を揃えて
兵たちを大勢召し抱え始めていると報告がありました。

さらに、家康の意向を景勝に伝えた城代の信吉でしたが
我は徳川の家臣にあらず、とシカトを決め込む景勝を
さんざん諌めて大坂行きを促しますが、
重臣・直江兼続の逆鱗に触れて討たれそうになり、

そのまま上杉を出奔して、
江戸城の徳川秀忠に泣きついてきました。
その状況も家康に報告しなければならない、と
信吉は生き証人として大坂へ護送されます。


3月7日、伏見徳川屋敷で、
八男仙千代が病気で亡くなります。
6歳という若さでした。

失意の家康ですが、上杉の逆心は決定的となった今
このまま黙って何も手を施さないわけにもいきません。
五大老の意向を聞いた上で、
最終的に秀頼に判断を仰ぐことになりました。

しかし、毛利輝元と宇喜多秀家の返答はいずれも慎重。
しびれを切らした家康は、増田長盛、長束正家らの家臣たちを
上杉に派遣して糾問させますが、
景勝も兼続も、激烈な言葉で使者を追い返します。

秀吉の命で会津へ移されるも、その後太閤薨去で大坂に出仕し
ようやく国許に戻れたのに、またも大坂へとはとても無理。
茶道具ではなく武具を集めるのは田舎武士の風俗であるゆえだし、
もし逆心あるなら、会津への道は閉ざして然るべきである。

内々に面談したいのであれば、家康自ら会津に赴かれ
内情をしっかりと見ていただいた上にしてもらいたい、と。
来るなら来い、と言わんばかりの主張であります。
石高3位の大名が、トップ大名に噛みついたわけです。

会津周辺の東国武士に討伐を任せることを本多正信は提案しますが
わしも行く、と家康はニコニコ顔です。
大坂城をあけるのは、新たに火種を産むためよくないのですが、
それは百も承知なのです。


「しめた!」
景勝が判然と反旗を翻したことを知り、三成は大喜びです。
今度こそ……とチャンスを生かそうと準備を始めます。


上杉討伐の件を秀頼に伺いを立てる家康ですが、
片桐且元曰く、秀頼は聞かなかったことにする、と。

徳川も豊臣家臣、上杉も豊臣家臣、
上杉が特に逆心というわけではなく
豊臣家臣の中でも、その忠勤ぶりは勝るとも劣らず。
ゆえにこれは家臣同士の諍いに他ならず。

大笑いした家康は、且元に
今回の上杉討伐は家康の一存で成すと淀殿に伝えさせます。
一方で、今後一切の政局への口出しはせぬことを
約束させるのです。


5月12日、江戸城で
秀忠三女・勝姫が誕生しました。

嫡男誕生を望んでいた夫婦にとって
姫君誕生はなかなか辛い現実です。


上杉討伐に向け、家康は軍隊の編制を命じます。
若輩で初陣となる秀忠には本多正信と榊原康政、
家康付きには本多忠勝、松平忠吉には井伊直政。

そこに三成から使者がやって来て
自分は蟄居の身であるゆえに上杉討伐に加われないものの
嫡男重家を大谷吉継に従軍させたいと言ってきました。

「……こざかしい」
家康は、家臣たちの激怒をよそに
三成の思い通りにさせます。


6月15日、秀頼と淀殿は西の丸へ入り
上杉討伐を翌日に控えた家康と対面します。

淀殿は、家康の顔色をうかがいつつ
常陸に流された大野治長がおらず不自由をしているので
上杉討伐が終わったら大坂に連れ帰ってきて欲しい、と
甘い言葉で願い出ます。

翌16日、家康は大軍を率いて大坂城を出発。


三成は、西国の諸大名に密書を送り同志を募ります。

そして家康の行軍スケジュールを確認し
できるだけ大坂から遠くへ遠くへと向かわせ
大坂で反旗を翻し、一気に事を決するつもりです。

関ヶ原の合戦は、この日から3ヶ月後──。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
──────────
[出演]
津川 雅彦 (徳川家康)
岩下 志麻 (お江)
宍戸 錠 (本多忠勝)
勝野 洋 (井伊直政)
神山 繁 (本多正信)
──────────
竜 雷太 (蒲生郷舎)
内藤 武敏 (石田正継)
黒沢 年男 (長束正家)
高橋 惠子 (おりん)
佐藤 慶 (増田長盛)

江守 徹 (石田三成)
──────────
中村 梅雀 (水戸光圀)
──────────
夏八木 勲 (島 左近)
小林 稔侍 (片桐且元)
小川 眞由美 (淀殿)
西田 敏行 (徳川秀忠)
──────────
制作統括:川合 淳志
演出:尾崎 充信

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