「みんな同じネタでブログを書いてみよう」その1【六本松】
あれは確か23年前の
平成6(1994)年1月14日(金)のことであった。
ボクが通っていた県立高校では、センター試験本試験を翌日に控え
受験生であるボクら高校3年生が食堂2階にある同窓会館に集められ、
10人の担任団はじめ副担任、そして教科担当の先生方による
ささやかな「センター試験壮行会」が行われたのだった。
がんばれ! だの、試験を楽しんで来い! だのと
いろんな先生方が、ご自分の言葉で激励の言葉をくださる中、
冗談が一切通じないことで有名な物理担当の強面の先生が立ちあがり、
背広の内ポケットから便箋を取り出しながら、おもむろに口を開いた。
「えー、キミたちの先輩が、試験会場への行き方を手紙にしたためて
送ってくれたので、この場を借りて説明しておく!」
日ごろからとても厳しく、プリントを綴じるファイルを忘れただけでも
授業後に生徒指導室に呼び出して1時間も説教する先生だったので、
どんな叱咤が飛ぶのだろうかと内心ビクビクしていたが、
あまりの事務的なお知らせに一同拍子抜けし、方々からフッと笑いが起きた。
センター試験会場は九州大学の六本松キャンパスが指定され
配布されていた受検票にもそう印刷されていたのである。
要約すれば、行き方はいくつもあるが、間違いない行き方は
西鉄福岡駅の南口から降り、警固公園の中を通って
国体道路を渡ったところにある「警固神社前」バス停から乗れば
全便が六本松のキャンパス前に止まる、ということだった。
西鉄薬院駅で下車して六本松に向かう方法もあるが、この方法だと
キャンパス前のバス停ではなく、かなり遠くの“ぐいいいぃぃぃっ”と
カーブしたところにあるバス停で下ろされてしまう系統があるので、
できれば避けよ、ということであった。
結局は激励らしき激励もないまま、事務的なお知らせだけを済ませると
その強面の物理の先生はステージから下りていったのだが、
その後でステージに立った英語担当の若い女の先生も、
7年前の、九州大学受験の際の失敗談をしてくださった。
試験当日少し寝坊をしてしまい、西鉄薬院駅に降り立った時
よっぽど慌てていたのか、六本松に向かわなければならないのに
行先幕に“九大前”とあるバスに条件反射で飛び乗ってしまい、
六本松とは逆方向の箱崎キャンパスに向かっていたという。
物理の先生と英語の先生のおかげで、生徒の大勢が
警固神社前からバスに乗ろう、という気分になっていた。
みんなと同じルートをとり、
道中で同級生に遭遇するのが恥ずかしかったボクは、
大方が警固神社前からバスで六本松へ、という空気になっているこの時に
敢えて“西鉄薬院駅からバスで六本松へ行く”ルートを選択していた。
その方が、何の気も遣わずに試験会場に行けそうだし
薬院は、小学生の時に電車で薬院駅近くの塾に通っていて、
その時はバスに乗らないまでもバス停の位置は把握していたし
迷わない自信があったのである──。
翌日(試験当日)、薬院駅前のバス停で待っていると、
ほんの少し立っているだけで数台のバスが立て続けにやって来た。
通勤ラッシュだけあって、どのバスも立ち客がいるほど混雑しているが
その中でも、車内混雑度が最も低そうな[10]系統を選んで乗った。
「次は、六本松、六本松でーす」
乗務員さんのアナウンスに、ピンポーン♪ というチャイム。
だれかが降車ボタンを押してくれたようだ。
バスが六本松の交差点にさしかかると、
車内に光が差し込んできたような感じがした。
開けていた交差点に入ったからであるが、
今から試験という時に、何か縁起のいいものを感じた。
パアッと明るくなったような不思議な感覚……。
それは大人になった今でもそう感じる。
ここが六本松か……。
そう考える余裕なく、バスは交差点を直進し、
一瞬だけ見えた古びた大学校舎が遠ざかっていく。
しかしバス停は、物理の先生が仰っておられた
“ぐいいいぃぃぃっ”とカーブした先にはなく
右カーブに差しかかる手前にあるバス停だった。
よかった。
六本松キャンパスからはさほどは離されなかったようだ。
初めて訪問する場所ながら、難なく会場に着くことが出来た。
6階建ての校舎がドーンとそびえ立ち
ハードルの高さを物語っているようだった。
現在では校舎は崩され、建物が着々と建ち始めている。
福岡市科学館や九州大学法科大学院などの教育機関、
分譲マンションや有料老人ホーム、
奥には検察庁や弁護士会館、裁判所ができる予定である。
さて、受験会場に入って数時間、
こてんぱんにやられた受験戦士Kassyは、肩をガックリと落としつつ
しかし“オレはできたゼ!”というような、誰に対するアピールか分からない
不敵な笑みを浮かべながらキャンパスをあとにした。
まだまだ1日目、明日の2日目で挽回できる!
そう自分に言い聞かせながら、
キャンパス前の信号でハタと立ち止まる。
「あ、帰りのルートを調べ忘れた……」
大きな通りが2本交差するところに位置している六本松、
そのそれぞれにバス停が都心向き、郊外向きと設置されているため
「六本松」という場所で言えば、合わせて4本の標柱が立っている。
(つい最近、国道の郊外向きに1本標柱が増え、5ヶ所に増えた)
六本松をアナログ時計で説明するなら、
3時〜9時の国道202号線、4時〜10時の城南線という感じ。
実はこういう形の道路で、非常に似たところがある。
両軍16万が入り乱れた天下分け目の「関ヶ原」がそれである。
3時〜9時を中山道が貫通し、
中心〜4時は伊勢街道、中心〜10時は北国街道と、
関ヶ原は“交通の要衝”ゆえに各方面から大軍が集まった。
ということは六本松も交通の要衝であるといえる。
時代が時代であれば
“天下分け目の六本松”になった可能性だってあるのである。
そんなことをフッと考えながら、
関ヶ原から伸びる街道の名前なんてセンター試験には
出題されるまい、と苦笑するボク。
ひとまずは帰ることが先決である。
帰りのルートを考えた時、同級生が警固神社前経由で来て
帰ることを考えると、やはり帰りも薬院駅経由で帰らねばなるまい。
バスで初めて来た場所では降りた場所に戻るというのが鉄則。
下車した停留所の道路向かいのバス停へ行くことにする。
移動した先のバス停には「こんどう美容室」という副名称がついていた。
念のため、手元にある昭和62(1987)年4月時点での
「西鉄バス路線図」を見てみても、その副名称がそのまま載っている。
ということは、それよりも前から採用されているお店であるのだ。
その受験当時でも少なくとも7年が経過しているし、
現在で考えても少なくとも30年が経過している。
バス停の場所を示すための副名称に選ばれた店舗は
そう簡単に暖簾を下ろせないし、なかなか責任重大である。
このバス停に立っていれば、薬院駅方面に向かうことができる。
時間帯は夕方、そろそろ帰宅ラッシュがはじまるころである。
そうだ、せっかく薬院を通るのだから
小学生の時に通っていた塾に顔を出してみるか。
担当だった算数の先生、元気にしているかな。
確か国語の先生は、佐賀の校舎に移ったと風の噂で聞いた。
しばらく待っていると、バスがスッと入ってきた。
今日あった出来事は忘れて、明日に備えよう。
「発車しまぁす」バスは静かに動き出した。
左に曲がりまぁす。
あーれー?? (゚ロ゚屮)屮
6月6日に開催されたオフ会で、せっかく長年やっているのだからと
ブログ上で、同日同時刻に同テーマで記事をアップしようという
コラボ企画に発展しまして、第一回目はこんな感じで着地しました。
この企画が軌道に乗ったら、もっともっとたくさんの方々に
同じテーマで同じ時間に記事をアップしてもらって、
一時的に(最大瞬間風速が)検索サイトの上位に食い込んだりすると
「いったい六本松で何があったん!?」というような話題作りにもなり、
面白いことになりそうです。
まずは私たち発起人と、企画参加者の方々のブログ記事へのリンクです。
ちょんびんさん『ほぼ西鉄バスの旅』
soramameさん『INSIDE SORAMAME』
Kassy『それゆけ!! Kassy号〜♪』
かのさん『かののブログ』
ハンズマンさん『ウエスタンビュー』
小林香織さん『博多っ子になりたい。』
ちょんびんさんの悪ノリ「蚕豆さんの六本松記事を予想してみる」
あとは後日、あとがきの要素で
企画の感想などを書こうと思っています。
よろしかったらそちらもご覧くださいませませ。
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