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2017年8月 1日 (火)

プレイバック葵 -徳川三代-・(09)風雲大垣城

関ヶ原の合戦を語るとき
「東軍」「西軍」と区分するのは後の世のことである。

当時は双方とも「豊臣軍」を名乗っていたからといって
それを使えば、わけが分からなくなってしまうし、
かといって「徳川勢」「石田勢」と説明すれば
気が利かぬさまになってしまう。

なので今回から敢えて「東軍」「西軍」で区分する。

慶長5(1600)年8月5日、
東軍の福島正則や池田輝政らを先頭に箱根を越える。
西軍は毛利秀元や吉川広家、安国寺恵瓊らを先頭に
伊勢路を進軍中である。

ここで兵力について注釈する。
馬上の武者1騎には歩兵5人が相場とされる。

足軽中間若者らが槍持ち・旗持ち・兜持ち、
荷造り・飯炊き・馬の世話と大忙し。
大軍の移動には先乗りやら兵糧の調達やら
宿の支度やらで大人数。

なので、1万石あたりざっと250人と理解されたし──。


慶長5(1600)年8月8日・佐和山城──。

石田三成が美濃・尾張への出陣を前に、
石田重家ら息子たちに訓示を与えます。

敵は豊臣家に不忠の徳川家康、と聞いて
不安そうな表情を浮かべる息子たちですが、
三成は笑って、動揺を鎮めます。

毛利輝元や大谷吉継、真田昌幸ら10万の大軍勢だし
東国からは上杉景勝や佐竹義宣らが家康を攻撃して
東と西から挟み撃ちにするから絶対に負けはしない、と
自信たっぷりです。

「正義は必ず勝つ」
自分に言い聞かせるようにつぶやく三成です。


徳川家康は、本多忠勝を尾張に派遣し
豊臣家への信仰厚い福島正則や
三成の幼なじみである田中吉政の心変わりに
気を配るように命じます。


大坂城には、豊臣秀頼の従姉弟にあたる
9歳の完姫(さだひめ)が挨拶に来ていました。
完姫はお江の長女・千姫の“姉”にあたります。

“長女の姉”というのもおかしな話ですが
理由あって伏見の寺に預けていた娘ですが
淀殿の養女として大坂城に引き取り、
養育することになりました。

そして更に、淀殿の元に吉報が。
恋いこがれて赦免を願い出た相手の大野治長ですが
家康に赦され、浅野幸長の軍に加わって徳川方として
8月10日には浜名湖のあたりにまで到達しています。


8月14日・尾張清洲城には
東軍の先陣である福島正則勢が到着します。

10日に三成は美濃大垣城に入っているので
その距離はわずかに7里!

岐阜城の織田秀信は三成に加担という知らせが入る一方で
黒田長政は、態度を明らかにしていなかった小早川秀秋が
東軍側に内応の確約をしたと吉報をもたらします。


家康はいまだに江戸城に留まり
四方八方に書状を送りまくりの日日です。

一方、置いてけぼりを食っている宇都宮城の徳川秀忠は
鬱屈して爆発寸前の日日です。
「我慢ならぬわ! 秀忠はこの宇都宮で立ち腐れか!!」


清洲に入って5日、それでも家康が江戸を動かぬとあって、
正則はいよいよしびれを切らします。
それを忠勝や井伊直政らが必死に抑えるのですが
正則と池田輝政が一触即発の状態に。

翌19日、江戸から家康の使者が清洲城に到着しました。
家康は風邪を引いているから延期するという使者に
正則らはあきれ果て、未だに疑われていることに立腹。
大垣城を偵察すべく、木曽川の対岸に偵察を送ります。

それに気づいた三成らは、
佐和山城の小西行長、島津義弘軍に出陣を促して
墨俣川に布陣を命じます。


8月21日、清洲城を出発する48,000の軍勢は
二手に分かれて岐阜城を目指します。

「下流攻撃軍 (清洲城→竹鼻城)」の
福島正則、黒田長政、藤堂高虎、細川忠興らと
「上流攻撃軍 (清洲城→河田口)」の
池田輝政、山内一豊ら。

近道の上流軍は、下流軍が到着するまで
総攻撃は控えよ、との約束があったのですが、
やはり輝政には家康から直々に先陣を承っている自負があり
下流軍の到着を待たずして岐阜城に向かってしまいます。

怒り爆発の下流軍は
大垣城の三成本隊を攻撃しようと主張しますが、
もしそうなれば各自が勝手に戦するようなものになるので
統制が全く取れなくなってしまいます。

下流軍を二手に分け、一軍を今すぐに出立させて
岐阜城攻めに加わらせるということになりました。
黒田長政・藤堂高虎・田中吉政軍は墨俣川へ
福島正則・細川忠興・京極高知軍は岐阜城へ。


8月23日、早くも岐阜城が陥落。
城主織田秀信は、かの織田信長の嫡孫ゆえに
斬首は免れましたが、幽閉処分となりました。

ただ、その後の岐阜城攻撃軍の軍議は
池田輝政と福島正則が特に荒れに荒れております。


荒れに荒れているのは石田方も同じであります。

岐阜城が陥落したのは予想以上に早すぎ、
しかも墨俣川攻撃軍の力はあなどれず。

三成は島 左近を大坂城に遣わして毛利輝元の出馬を仰ぎます。
戦えば戦うだけ味方の損失が増えると、
三成はいったん大垣城への撤収を決めます。
これに島津義弘がかみついたのです。


「直ちに軍勢を率いて上方に上るべしとのご下命!」
8月24日、秀忠は38,000の大軍勢を率いて宇都宮を出発。

ちなみにこの軍勢こそ、徳川の主軸を結集して
東軍最強と自他ともに認める精鋭部隊でありました。

大垣城に先に到着するのは毛利勢か秀忠勢か──?


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
──────────
[出演]
津川 雅彦 (徳川家康)
岩下 志麻 (お江)
宍戸 錠 (本多忠勝)
田村 亮 (藤堂高虎)
勝野 洋 (井伊直政)
──────────
蟹江 敬三 (福島正則)
高橋 惠子 (おりん)
山下 真司 (黒田長政)
佐々木 功 (細川忠興)
夏八木 勲 (島 左近)

江守 徹 (石田三成)
──────────
中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
──────────
小川 眞由美 (淀殿)
西田 敏行 (徳川秀忠)
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制作統括:川合 淳志
演出:尾崎 充信

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