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Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2017年8月11日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(12)合戦関ヶ原

関ヶ原に布陣する東西両軍の陣形を見ると
まず鉄砲隊が最前列、次いで槍隊、
その後方が騎馬武者である。

鉄砲伝来以降、弓矢は主力武器にはならず
鉄砲の弾込めのつなぎに使われるのみ。

当時の種子島銃は長さ1m前後、口径18.7mmで
22gほどの鉛玉は命中距離50m、殺傷距離100m。
弾薬の装填には20秒以上も要した。

なので、合戦は鉄砲隊の一斉射撃に始まり
敵勢がひるむところを槍隊が突撃して
死命を決するという戦法である。

歩兵が持つ槍は、長さは5mほどもあり
一列交代で槍襖(やりぶすま)を作って遮二無二突き出す。
一方、騎馬隊や武士が持つ槍はせいぜい2m半。

中世の合戦は、
騎馬武者同士の個人戦法を中心とするが
鉄砲伝来以降は足軽歩兵を主力とした
集団戦法に変わったのである──。


天下分け目の関ヶ原、天下を二分しての大合戦は
慶長5(1600)年9月15日 午前8時に
運命の幕が切って落とされました。

両軍とも死力を尽くして一歩も譲らずすでに3時間経過。
午前11時の戦況は──。

最大の激戦区は笹尾山。
石田三成の陣をこれでもかこれでもかと
間断なく攻め立てるのは、黒田長政、細川忠興、
加藤嘉明、田中吉政ら豊臣家恩顧の大名軍。

さすがの三成も押され気味で、
右腕と言われた島 左近はすでに戦死。

小池村に陣取る島津義弘・豊久はじっくり構えて
徳川直臣の井伊直政、本多忠勝、松平忠吉の軍勢と対峙。
小西行長は織田有楽、古田重勝と交戦中。
ここへ山内一豊、有馬豊氏が応援に駆けつけ小西勢やや苦戦。

西軍最強の宇喜多秀家は天満山に陣を構え
東軍最強の福島正則と激突。
押したり引いたりの白兵戦はまさに横綱相撲。

藤川大地には三成の盟友・大谷吉継が
藤堂高虎、京極高知、寺沢広高を迎え撃って獅子奮迅。

一方、南宮山の毛利秀元、安国寺恵瓊、
長宗我部盛親、長束正家ら毛利勢は
池田輝政、浅野幸長の大軍と対峙。
吉川広家の内応もあって、身動き取れず。

さて、注目すべきは松尾山の小早川秀秋で、
15,000の大軍が東につくのか西につくのか
未だに旗手を鮮明にしないのは不信の極み。


この期に及んで合戦の成り行きを見て
どちらにつくか様子見をしている小早川に
三成はイライラが募ります。
「のろしじゃ! もう一度のろしを上げい」

一方、イライラするのは家康も同じです。
小早川が味方した方が
勝利を収めるのは間違いありません。

しびれを切らした家康は、
松尾山の小早川の陣に向けて大筒を打ち込ませ
出馬催促の最終通告とします。


玉を打ち込んだのが徳川勢と知って、
秀秋はようやく思い腰を上げます。
「我が敵は大谷吉継なり!」

こうして松尾山から小早川が下り
大谷勢に向けて突進していくと、
家康は安堵の表情で笑います。

小早川勢に攻めかかられた大谷軍は、
藤堂勢に向けていた軍勢を
反対側の小早川にも向けざるを得なくなり
総崩れに陥ります。


「小早川め……気は確かか!?」
さらに、脇坂安治、朽木元綱、
小川祐忠、赤座直保も同じく寝返り
合わせて19,000が西軍から東軍へ。

三成は、目の前に起きている現象が
にわかに信じられずうろたえます。


午後1時。

「これでよい……これでよい」
家康はつぶやきます。

三成の元で戦う蒲生郷舎も、敵兵に串刺しにされて落命。
三成勢は大変苦戦しております。

寝返りの小早川勢の攻撃を受けた大谷吉継勢は敗退し
吉継は切腹して果てます。
「憎きは小早川秀秋、3年のうちに祟りを成してくれん!」

「逃げて生き恥をさらすな!」
無数に戻って来る兵たちに大声を出す秀家ですが、
もはやコントロールできません。
宇喜多勢は支離滅裂に陥っているのです。

そして小西行長勢は関ヶ原からの逃走を図ります。


関ヶ原には、えい! えい! おー! という
家康軍の雄叫びが響き渡ります。

「ことは終わった……」
無念の三成は、切腹をしようと刀に手をかけますが
近習たちが引き止め、彼らの説得に胸討たれた三成は
再起をかけて佐和山に戻ります。


さて、西軍諸将が関ヶ原から脱落して行く中
戦場に取り残された島津勢。

三成と行長が逃亡し、
宇喜多勢は総崩れとなったとの豊久の報告に、
膝を叩いて立ち上がった義弘。
「さあて、どげんすっか」

逃亡するにも、
東西南北、みな敵に囲まれてしまっています。
義弘は、戦らしい戦をせずに引くのは武門の名折れと
いっそ家康本陣に突っ込んで果てることを提案します。


家康本陣では、南宮山の毛利勢も逃亡する報告があり
家康が大喜びしています。
本営はまさにほのぼのムード、そんな時に
向こうからココに向かって突き進む軍勢を発見。

島津軍です。

死ぬことを覚悟した軍勢ほど恐ろしいものはありません。
しかも相手は誰とも全く戦っていない、新しい軍勢なのです。
柿を食べていた家康は、馬上の人になり刀を構えます。

家康の目の前にまで押し出して来た義弘は
徳川軍に雄叫びを上げて右に大きく迂回して
戦線離脱していきます。

逃亡の最中、豊久は振り返り
銃弾を浴びせて直政を負傷させますが、
結局は逃げ遅れて落命。


午後2時。
6時間の激闘の末、東軍の圧勝で終わります。

家康本陣にずらりと並べられた諸将の首。
家康は無表情で首実検を行い、
関ヶ原に埋めて供養塚とするように命じます。

そして、行方不明の三成のことにも言及します。
「明日は山狩りじゃの。草の根分けても探し出せ」


午後5時。

家康は東軍諸将を集めて感謝を述べます。
祝杯! と盛り上がる諸将ですが、
まずは敵方にある諸将の妻子を救出した上で
後日改めて祝杯をあげたい、と結びます。

秀秋を呼んだ家康は
小早川の合力がなければ勝利はなかった、と笑顔です。
かつて伏見城攻めで徳川を敵にしたことを
払拭するほどの戦功だと褒め称えます。

冷たい視線を向ける諸将たち。

家康は、明朝に関ヶ原を出発し
近江佐和山に向かって三成居城を攻め落とせと命じます。
寝返りは戦功ではありますが、本当に徳川として
仕えるつもりがあるのか試しているのです。

明けて16日、小早川秀秋は
他の寝返り武将たちとともに関ヶ原を出発、
佐和山へ向かいます。


宇都宮から大垣へ
中山道経由で進軍中の徳川秀忠軍に
関ヶ原合戦の第一報が舞い込んだのは17日の朝。

38,000の大軍を預かりながら
戦に遅参という最悪の結果に、
秀忠はあまりの悔しさに
自分というものを失いかけています。


大坂城にも東軍大勝利という報がもたらされます。

奉行の増田長盛は、三成始め西軍の諸将は行方不明と断った上で
関ヶ原で勝利を収めた家康が大坂に攻め上って来る可能性が高く
淀殿の力で一日も早く和睦を結ぶように勧めますが、

あくまでも豊臣家家臣同士の争いだと、
片桐且元はその申し出を突っぱねます。

家康が敵ゆえにそう主張するのではないと言う奉行たちですが
家康に弾劾状を送りつけたのは紛れもなくこの奉行たちです。
且元は、それらを家康に謝し、
早々に大坂城を立ち退けと一歩も譲りません。

長盛も前田玄以も秀頼に出馬を要請したのに
そのような逃げ口上を言い出す有り様で、
淀殿は、謹慎して身の振り方を考えよ、と突き放します。


佐和山城攻防戦は、攻め方15,000、城方2,000余、
5倍以上の兵力で攻め込まれてはさすがの名城も支えきれず。
三成の父・石田正継、兄・石田正澄、
そして正妻のおりんは城とともに命運を共にします。

関ヶ原からやっとの思いで佐和山にたどり着いた三成は
城が焼け落ちていくのを目撃します。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
──────────
[出演]
津川 雅彦 (徳川家康)
宍戸 錠 (本多忠勝)
神山 繁 (本多正信)
田村 亮 (藤堂高虎)
山下 真司 (黒田長政)
勝野 洋 (井伊直政)
寺泉 憲 (松平忠吉)
──────────
竜 雷太 (蒲生郷舎)
細川 俊之 (大谷吉継)
津嘉山 正種 (石田正澄)
香川 照之 (宇喜多秀家)
高橋 惠子 (おりん)

江守 徹 (石田三成)
──────────
中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
──────────
小林 稔侍 (片桐且元)
蟹江 敬三 (福島正則)
佐藤 慶 (増田長盛)
内藤 武敏 (石田正継)
小川 眞由美 (淀殿)
西田 敏行 (徳川秀忠)
──────────
制作統括:川合 淳志
演出:重光 亨彦

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