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2017年8月17日 (木)

プレイバック葵 -徳川三代-・(13)三成最期

慶長5(1600)年9月15日、天下を二分する関ヶ原の合戦は
徳川家康率いる東軍の大勝利となった。
ただし、東西の激突は関ヶ原のみではなく。

仙台の伊達政宗は、徳川勢の上方移動に驚き
慌てて会津の上杉勢と和睦。
その上杉勢の直江兼続は、突如
山県の最上義光領に攻め入り、今なお交戦中。

佐和山城陥落の時には、西軍の基地である
美濃大垣城において仲間割れが発生していた。

相良頼房、秋月種長らの九州勢が
三成の娘婿・熊谷直盛をはじめ、
垣見家純、木村勝正らを殺害。
その首を東軍に送って降伏に及んだ。

一方、丹後田辺城において籠城中の細川幽斎は
60日にわたって籠城をふんばったものの
朝廷からの声掛けで合戦を差し止められて
12日に城を明け渡した。

朝廷は幽斎の命を助けるために戦を止めさせたが、
それは幽斎が歌詠みの学才で、
古今伝授の大家であったからである──。


未曾有の大合戦が終わると、
悲惨な落ち武者狩りが始まりました。

多くは近在の百姓たちでしたが、
敗残兵の持ち物を奪い、衣服をはぎ取り
名のある武士と見れば首を差し出し
恩賞金をせびるしたたかさ。

敗軍の将・石田三成は
伊吹山から草ノ谷を経て大谷山に逃れ、
北郡古橋村の寺に身を寄せていました。

領主は寺もいよいよ怪しみ始め
三成は、近くの洞穴へ移ることになりました。


大坂城に、大津城を守っていたお初と松の丸が来ていました。

淀殿はお初との対面を喜びますが、
お初は自分の身よりも、夫・京極高次の身柄が心配です。
高野山に入っているので、寛大な処置を頼みいるばかりです。


9月20日。
佐和山の落城を見届けた家康は草津へ移ります。

ご機嫌な家康に、正純は
遅参していた秀忠が草津に到着したことを告げます。
さっと表情が曇る家康。
「追い返せ。顔も見とうないわ!」

秀忠は、夜を日に継いで行軍したのに
雨に、そして川に阻まれて進めなかっただけなのに
自分の落ち度ではないのに、と悔し涙を流します。

そんな中、福島正則が意気揚々と現れます。
「聞けい! 小西行長をひっ捕らえたぞ! ハッハッハッ」

キリシタン大名の行長は、
伊吹山中の落ち武者狩りにひっかかり
関ヶ原領主・竹中重門の手勢に捕らえられたのです。

同じく逃亡中だった安国寺恵瓊も
京都六条で捕まります。


秀忠は対面できないので、
代わって榊原康政が家康の前に参上して
申し開きをします。

遅参したのは「9月15日に関ヶ原に到着せよ」という
江戸からの書状が著しく遅れたためである、と。
さらには、真田を討てという家康の命に忠実に従ったために
昌幸のわなにかかり上田城攻めに時がかかった、と弁明。

「合戦に後れをとり申し分とは片腹いたし!」
秀忠に江戸に戻って謹慎を命じる家康ですが、
家臣たちが一丸となって秀忠を守り、家康に対面を求めます。


9月21日、石田三成は洞窟の中から発見され
ついに生け捕りにされます。


大津城に入った家康は、
城を死守しながらも敵に奪い取られた不甲斐なさで
高野山に謹慎している京極高次に対し、

3,000の兵で15,000の敵軍を釘付けにしたのは
大きな手柄だと、弟の京極高知に兄を高野山より呼び戻させ
それ相応の処遇を約束します。

兄を助けた弟がいる一方で、
徳川家の弟・松平忠吉は兄・秀忠との対面を迫ります。
こちらの兄も、関ヶ原に遅参したことで謹慎しているのです。
家康は、ようやくその申し出を受け入れ、対面することにします。

秀忠は、家康が待つ広間に向かい、許しを請います。

道中、難儀をしたらしいな、と父のいたわりの言葉を
あまりの恐ろしさに聞き漏らす子に、思わず舌打ち。
「あるいは! 大坂にてもうひと合戦あるやもしれず!
 二度と遅れをとるまいぞ!!」


戦わずに家康に恭順の意を明らかにした毛利輝元は
大坂城西の丸を明け渡し毛利屋敷に引きます。

さらに、奉行の増田長盛と前田玄以も
慌ただしく城を出ていき、
長束正家は自害して果てます。

田中吉政は三成とともに太閤秀吉の小姓を務めたこともあり
その吉政の計らいで、三成には3日間の療養期間を与えられ
9月25日、家康の引見を受けに大津城に向かいます。

白砂の上に縄をかけられて座している三成を正則は嘲り笑い、
黒田長政は自分が着用していた陣羽織をかけてやります。
そして、池田輝政や藤堂高虎ら諸将が現れる中に
小早川秀秋の姿を認めるや、三成は顔色を変えて叫びます。

「汝に二心あるを知らざるは三成痛恨の極みなれど
 義を捨てて約に違い、寝返りを打った汝は
 武人の風上にも置けぬ卑怯者なり!
 この場に平然と着座するを恥とは思わぬのか!!」

諸将たちの視線が一斉に秀秋に集まりますが、
秀秋は、何も言い返すことが出来ません。

そこに入ってきた家康。

三成に陣羽織がかけてあるのを見て
そんな思いやりをかけたのが長政だと知った家康は
長政に、三成の縄目を解くように命じます。
秀忠には、三成に床几(しょうぎ=椅子)を与えさせます。

家康は、10万の兵を率いて挙兵したのは
気宇壮大にして雄渾と褒め称え、
言い残したことはないかと聞きます。

三成は自分の思いを遠慮なく答えます。

自分が挙兵に及んだのは豊臣家の繁栄を願ったためで
専横の限りを尽くした家康は豊臣家の安泰を脅かす存在だったため
これを誅する者がいなかったら天下の情勢は千々に乱れてしまう。
お願いすることは、秀頼への奉公のみである──。

三成の思いをひととおり聞き出した家康は
自分に対する無礼な物言いがあったにもかかわらず
笑って聞き流し、それどころか三成の発言全てを
承っておく、と流し、引導を渡します。

三成の身柄は、とりあえず本多正純に預けます。
「さらばでござる」


翌26日、大坂城は無血開城となり
家康は東軍諸将を引き連れて大坂城西の丸に入ります。

淀殿から祝着と御礼の言葉をもらい、
秀頼からはお祝いの品が下されることになりました。
感涙する諸将たち。

そして淀殿から、豊臣家と徳川家の両家が磐石安泰となるように
秀頼と徳川家の姫・千姫との婚儀を急ぎたいと提案があり、
家康はこれを了承します。


9月30日、三成、恵瓊、行長は
逆賊の見せしめとして大坂、堺の市中を引き回されます。

小休憩の際、吉政は三成に要望を聞きます。
白湯を飲みたい、という三成に、
あいにくこの周辺には人家もなく井戸もないからと
柿を勧める吉政ですが、

三成は顔色を変えて拒絶します。
「柿は身体に悪い。痰の毒じゃ」

警護兵たちから、フッと笑いが起きます。
三成は明日までの命なので、
身体に悪いとか毒とか言っても仕方ないことなのです。
三成も穏やかに笑います。


翌10月1日、石田三成 斬首の刑。
享年40──。

筑摩江や
 芦間に灯す かがり火と
  ともに消えゆく わが身なりけり


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
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[出演]
津川 雅彦 (徳川家康)
岩下 志麻 (お江)
宍戸 錠 (本多忠勝)
神山 繁 (本多正信)
三林 京子 (阿茶局)
田村 亮 (藤堂高虎)
勝野 洋 (井伊直政)
寺泉 憲 (松平忠吉)
──────────
山下 真司 (黒田長政)
黒沢 年男 (長束正家)
佐藤 慶 (増田長盛)
財津 一郎 (安国寺恵瓊)

江守 徹 (石田三成)
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中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
──────────
宇津井 健 (毛利輝元)
波乃 久里子 (お初)
蟹江 敬三 (福島正則)
小川 眞由美 (淀殿)
西田 敏行 (徳川秀忠)
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制作統括:川合 淳志
演出:重光 亨彦

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