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2017年8月18日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(14)淀の面目

敗軍の将・石田三成は41歳を一期として
六条河原の刑場の露と消えた。
佐和山城には金銀財宝はおろか弾薬も米もほとんど残っておらず
ありったけの私財をすべて投げ打って関ヶ原を戦ったのだった。

戦とは、莫大な出費を要するもので
三成の誤算と言えば、大坂城に蓄えられた豊臣家の遺産を
引き出すに至らなかったことである。
そして徳川家康もまた、遠征に次ぐ遠征でかなり消耗した。

これらの軍用金は、東軍も西軍も多国籍軍であるため
大名それぞれの負担となったわけだが、
朝鮮の役で蓄えを使い果たし、手元不用意の大名もあった。

大戦となれば、商人のスポンサーも活躍する。
家康には京都の豪商・茶屋四郎次郎、
堺の有力者・今井宗薫などがつき、
三成には堺の天王寺屋、博多の島井宗室らが先行投資した──。


慶長5(1600)年10月1日、
京都三条橋のほとりに4人の大名首が晒されました。
処刑された石田三成、小西行長、安国寺恵瓊、
そして自害した長束正家です。

西軍の総大将・毛利輝元は戦わずして大坂城を退去。
翌2日、徳川家康は大坂城の豊臣秀頼に拝謁の上
西の丸に入って腰を据えます。

家康をはじめ徳川家家臣、東軍諸将たちの居並ぶ前で
西軍の大名たちの“その後”が報告されます。

宇喜多秀家は伊吹山中で自害、
奉行の増田長盛は大和郡山城を明け渡し高野山へ。
長宗我部盛親は依然として行方知れず。

一方、九州の情勢ですが
加藤清正が小西行長の城を占領し
黒田如水とともに立花宗茂と交戦中であります。


そして問題の島津ですが、立花と同じように
清正と如水に攻撃させてもよいのですが
両者と島津は昵懇の中であるため、
何が起こるか分からず、という見方もあり。

家康は、徳川秀忠に
毛利軍を先頭に九州へ攻め入る指示を出します。
とその前に、家康は輝元へ
三成に加担した疑念を突きつけます。

形の上では、輝元は三成の再三なる要請にも関わらず
大坂城を一歩も動かなかったとして、積極的交戦派ではなく
いわゆる“担ぎ出されただけ”の立場を保っておりますが、

諸大名に送った勧誘の檄文、三成に対する返書、
三奉行へ送った起請文に輝元の連署花押が見られるように
輝元は積極的交戦派ではないのか? という疑念です。
申し開きのしようのない証拠が出てきたわけです。

毛利家代理の吉川広家は、西軍の毛利家一族でありながら
東軍に内応した功労者ではありますが、
そうして決まった領地安堵も覆す、と脅されては
島津と戦うので領地安堵を、と言わざるを得ません。

しかし家康は、島津と滅ぼすならば
命を奪うことはしませんが、所領は没収するつもりです。


10月15日、家康は論功行賞を発令。

石田三成19万石、宇喜多秀家57万石、小西行長20万石、
長宗我部盛親22万石などを改易、
毛利輝元の120万石を37万石に、上杉景勝の120万石を
30万石に、佐竹義宣の54万石を20万石に削減。

広家の説得が功を奏し、輝元は改易には至らず
わずかに所領を手元に残すのみとなりました。
そうして作った改易合計416万石、削減合計216万石の
総没収合計632万石を東軍諸将に分配したわけです。

加増順でいえば、第一位は家康次男の結城秀康で56.9万石
第二位は家康四男の松平忠吉で52万石、
第三位は家康の娘婿の蒲生秀行で42万石……。


東軍大勝利の影で、悲しみに暮れる大名もあり
細川忠興は妻のガラシャを失っているのです。

明智光秀の娘として肩身の狭い思いで生きてきたガラシャは
自分の死と引き換えに細川家を守ったわけです。
そんな思いを分からなかった息子と嫁を許せず
忠興は離縁させ、嫁の千世を前田家に返してしまいます。


立花宗茂が加藤清正の説得に応じて降伏し
続いての島津攻めまでまだしばらく時間がかかる見込みです。
大久保忠隣は、この時にこそ休養して英気を養う時、と
京女を3人、側室候補として秀忠に会わせます。

忠隣の心遣いは非常に殊勝なものながら、
一方ではありがた迷惑でもある、と秀忠は困惑し
夜伽は無用、と言って3人を下がらせます。
もったいなや〜、と残念がる忠隣。

しかし、3人が下がった後で、秀忠は忠隣に
2番目の……浪人の娘・志乃がいい、と突然言い出します。
「3人の前で1人を選ぶは無粋ではないか!
 残った2人は面目を失うではないか!」


九州の島津討伐ですが、そもそも島津義弘が西軍に走ったのは
伏見城攻めで応援にやって来たのに、
留守居約の鳥居元忠が拒絶して
一方的に撃ちかけてきたからであります。

ここはしばらく様子見を、と説得され
家康は11月12日、島津攻めの延期を発表します。


家康は秀忠を茶室に誘い、
日本で一番偉いのは天皇、ではその次は? と問いかけ
現在は空位となっている関白職こそ二番目、と説明します。

秀忠は、その関白職には
秀頼が就任するのが一番と考えているわけですが
家康から見て、秀忠はいつまでも秀頼の家臣に甘んじているように見え
男ならばもっと上に立ちたいと思わないかと焚き付けます。

家康は秀忠を見据え、心しておけと諭します。

そんな時、大坂城内でお亀の方が、家康にとって13番目の子、
そして9番目の男子を生みます。
家康59歳、お亀28歳、
五郎太丸と名付けられたこの子が、後の尾張徳川義直です。


12月19日、朝廷は空位となっていた関白職に九条兼孝を任命。
九条家は五摂家の中でも名門中の名門であります。

秀吉の遺言により次の関白には秀頼、と
信じ切っていた淀殿は
そう仕向けたのは家康ではないかと考え、詰問せんと
家康を呼びつけることにします。

このままでは豊臣家の、そして淀の面目は丸つぶれです。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
──────────
[出演]
津川 雅彦 (徳川家康)
岩下 志麻 (お江)
宍戸 錠 (本多忠勝)
寺泉 憲 (松平忠吉)
清水 綋治 (榊原康政)
渡辺 いっけい (本多正純)
──────────
神山 繁 (本多正信)
勝野 洋 (井伊直政)
佐々木 功 (細川忠興)
小野寺 昭 (京極高次)
山下 真司 (黒田長政)

江守 徹 (石田三成(回想))
──────────
中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
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波乃 久里子 (お初)
蟹江 敬三 (福島正則)
小林 稔侍 (片桐且元)
小川 眞由美 (淀殿)
西田 敏行 (徳川秀忠)
──────────
制作統括:川合 淳志
演出:尾崎 充信

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