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2017年8月25日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(16)秀忠の秘密

徳川秀忠の正室・お江は、
近江小谷城主・浅井長政と織田信長の妹・お市の方の
間に生まれた「浅井三姉妹」の末の妹である。

すなわち、上の姉は豊臣秀吉の側室で秀頼の生母・淀殿、
中の姉は若狭小浜城主・京極高次の正室・お初。

江の名は書物によってさまざまで
「江与」「達子」「江」「小督」「徳子」とある。
いったいどれが本当であろうか。

うち「達子」「徳子」は朝廷から賜った名前で
残り3つは、お江は3回も輿入れしているので
その度に改名したものと思われる。
……というのは多少うがった見方かもしれない。

ちなみに江戸に来て秀忠と結婚した時には
“江戸を与(あず)かる”から「江与」と名乗っていた。
……というのもなかなか当てにはならない。

「江与」も「江」も当て字で、正しくは「小督」である。
ただ、秀忠の姉にもたまたま同名の「督(ごう)姫」がおり
若い方のお江に小の字をつけて「小督姫」……?

謎は深まるばかりである──。


慶長6(1601)年10月、
徳川家康は伏見に銀座を作って財政を掌握。
朱印船制度を発令して貿易を支配して
着々と権力の座を固めていきました。

一方江戸では、徳川秀忠が
密かに江戸表の大久保忠隣の屋敷を訪問していました。
懐妊して京から江戸にやってきた志乃と対面するためです。

秀忠は、子どもを産んだら御殿を建ててやると約束してくれますが、
ただ正妻のお江には、志乃の存在は打ち明けられないと言うのです。
わずか3歳の珠姫を加賀前田家に嫁がせたばかりで、
お江は気鬱になっているのです。

お江はどこぞに出て行った秀忠を
屋敷の玄関で待ち構えておりまして、
そこに戻ってきた秀忠と鉢合わせします。
「何やらよい香りが」

想像以上にうろたえる秀忠。
その様子を見てふくれるお江です。


10月12日、家康は伏見を出て江戸へ向かいます。

関ヶ原以前の徳川家所領は関東を中心に250万石。
それが戦の後は、東海道の領地を治めて400万石に。
1万石以上の家臣も、40家から68家に急増。
最大にして最強の、ぶっちぎりの勢力であります。

江戸に到着した家康は、政治の中心を上方から江戸に移して
家康が江戸から睨みを利かせるようにすると発表。
まあ大坂の淀殿はそれを知ったら噛みついてくるでしょうが
家康はさほどは危惧しておりません。

そして懐妊した志乃のことを気遣いますが、
秀忠がお江を恐れて志乃を忠隣の屋敷に預けていることに激怒。

今すぐ側室として江戸城に入れよと言うので、
秀忠は仕方なくお江に志乃の存在と
志乃が懐妊して誕生まで間もないことを打ち明けます。
当然ながら怒るお江に、秀忠は何も口答えできません。

そうして12月3日、志乃は江戸城内で出産します。
男の子でした。

「お生まれになりました。若君にござります」
秀忠の乳母だった大姥局から報告が入ると、
お江は男子を産めない自分を情けなく感じ
気持ちはますます暗く、涙があふれてきます。

大喜びの家康は、赤子に
秀忠の幼名と同じ「長丸」という名を与えます。

お江は、長丸養育に専念するのでおしとねすべりを申し出て
自分が養育するので、志乃を江戸から里に戻すように願い出ます。
氏素性の分からない女を江戸城中に置くのは災いの元というわけです。

秀忠は、志乃をしばらく大姥局に預けることにします。
「御殿を賜ると承りましたが?」
志乃の言葉が、秀忠に追い討ちをかけます。


江戸城の家康から上方の諸大名に向けて
初の大号令が発せられました。
二条に城を建てるので、その普請の割り当てです。

慶長7(1602)年正月、
いつもであれば大坂城で恒例の年賀拝礼ですが
秀忠は江戸城から動かず、拝礼を見送ったのです。

大坂城に年賀拝礼に訪れた岡山城主・小早川秀秋は
拝礼の済んだ伊達政宗や毛利輝元らとすれ違う度に
おめでとうござりまする、と頭を下げますが、
両者からガン無視されています。

関ヶ原の合戦の立役者だった秀秋は
東軍西軍の諸大名たちからそっぽを向かれ、四面楚歌。

そこに、足を引きずる井伊直政が現れます。
鉄砲傷が元で身体中に毒が回ったようで、よろよろと……。
「大坂城も見納めじゃ」とよろめく直政に秀秋は手を貸しますが、
直政を抱えて歩く松平忠吉に拒絶されるありさまです。


男子を産んだ志乃に御殿を与えられず、
秀忠がお江のことで難儀していると聞いて
お江は大坂の淀殿そっくりじゃ、と笑う家康ですが、

生母・於大は、家康を諭します。
「女の恨みは修羅となり、やがては夜叉となる。
 侮ってはなりませぬ」


1月末、61歳の家康は江戸を出発。
途中、忠吉の居城・清洲城に入りますが、
家康はそこで、直政の訃報を聞きます。

遺言は、嫡男直克の相続認可と島津義弘の赦免願いでした。
それは忠吉も同様で、島津の赦免を願い出たのです。
直政も忠吉も島津勢と戦って傷を負っているのに
その敵である島津を許せと言っているのです。

本多正信は、人徳ですかな、と笑いますが、
家康は首を横に振ります。
「粘り勝ちじゃ。あやつのしぶとさには根負けじゃ」


2月14日に入洛した家康は
伏見城で諸大名の年賀拝礼を受けます。
しかし家康も、大坂城へは行こうとしません。

今回の上洛には、母・於大も伴っておりまして
伏見城から見る桜の木で花見を行います。

3月7日には伏見城内で
家康の十男・長福丸(ながとみまる)が生まれます。
この長福丸こそ、後の御三家・紀州頼宣であります。

その後、大坂城に出仕した家康は
淀殿、片桐且元、大野治長から
二条城建設に関するいろいろを詰問されます。

朝廷の許しを得て、勅命をもって
二条城を建てるということになっておりますが、
豊臣家に一言も相談がなかったので、
3人ともへそを曲げているのです。

「だまらっしゃい」
家康は、3人の主張を拒絶し
もし不都合があるならば、家康は国政を投げて
江戸に引きこもる、と脅しをかけます。

こうして5月1日、二条城先決が始まります。


今や誰が見ても天下人と言われる家康ですが、
未だに一大名にすぎません。
関白の他に諸大名を支配する官職を探しますと、
天海僧正は征夷大将軍を提案します。

関白と征夷大将軍はどちらが上か? と言いますと
関白は天皇の臣下のトップであり、
征夷大将軍は武門のトップであります。

「源 頼朝公は、そして幕府を開いたのだな?」
我が意を得たりの家康は、力強く頷きます。

これより徳川家と公家との往来が激しくなります。


8月28日、家康生母於大の方が伏見城にて逝去。
享年75。

松平家から他家へ再嫁するも、晩年は家康に迎えられ
とても幸せな最期であったそうです。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
──────────
[出演]
津川 雅彦 (徳川家康)
岩下 志麻 (お江)
宍戸 錠 (本多忠勝)
三林 京子 (阿茶局)
勝野 洋 (井伊直政)
石田 太郎 (大久保忠隣)
──────────
すま けい (伊達政宗)
保坂 尚輝 (大野治長)
渡辺 いっけい (本多正純)
神山 繁 (本多正信)
金田 龍之介 (天海僧正)
──────────
中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
──────────
山田 五十鈴 (於大)
宇津井 健 (毛利輝元)
小林 稔侍 (片桐且元)
小川 眞由美 (淀殿)
西田 敏行 (徳川秀忠)
──────────
制作統括:川合 淳志
演出:尾崎 充信

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