バス停について本気出して考えてみた(197)
D宰府を中心に支配した少弐氏が
S防Y口の大内氏との戦いで弱体化すると、
少弐氏の支配下にあったH前では、
領土を広げるべくB前O分からO友氏が攻め寄せてきました。
少弐氏のいち国人に過ぎなかったものの
このころ台頭してきたR造寺一族がこれを迎え撃ち
O友水軍を破ったという「H津古戦場」です。
歴史によく登場する戦は、ソラでも解説できるほど有名ですが
地元には、こういった小さな、でも偉大な戦いというのもあるんですね。
郷土史、たまには勉強したくなります。
そんな、まさに古戦場跡の真ん前にあるのが
「H津」バス停です。
現在はここからS賀市の中心部である
S賀駅バスセンターに向かうのは2系統あります。
北の方角に出発し、I宿町・C央大通りを経由する路線と
南の方角に出発し、K田江・C央大通りを経由する路線。
どちらもS賀駅バスセンターゆきなので、
行先番号は、S賀駅バスセンターゆきを表す[1]番。
そしてそのどちらもここ転回場内から出発するので
バス停の標柱は1本だけで、双方向の時刻表が入っています。
2001年の道路地図を元に
終点停留所をピックアップして取材しておりますが、
その道路地図では、K田江・C央大通り経由の路線が
あったように記載されています。
もしそれが正確な情報であるならば、それから今までの間に
I宿町・C央大通り経由が開設されたと見なすことが出来ますが、
今のところはどちらもH津が終点で折り返していきますけど
ここH津を越えてのバス系統はあったんですかね。
例えば、
S賀駅バスセンター→C央大通り→I宿町→H津
S賀駅バスセンター←C央大通り←K田江←┘
というような循環系統、とか。
ここの転回場の特徴と言えば、
とにかく狭いんです!!
バス入らんのとちゃう!? と思えるほど。
ブロックを並べてパーキングストッパーにしているし、
駐車の目安となる虎柄の棒(踏切遮断棹のようなもの)も立ててあるし
タイヤの痕も見受けられるのですが、にわかには信じられず。
恐らくはちょこっとだけ敷地内に入って、横付けする程度?
入るんか────い!!
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