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2017年9月 1日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(18)異母兄弟

言うまでもなく「浅井三姉妹」とは
織田信長に滅ぼされた浅井長政の忘れ形見で
母親は信長の妹・お市の方である。

長女は太閤豊臣秀吉の側室・淀の方、
侍女は若狭小浜城主 京極高次の正室・お初、
三女は徳川秀忠の正室・お江。

浅井三姉妹の胸の内には、
名門浅井家の再興が悲願となっていた。

慶長8(1603)年7月現在、浅井長政の孫は6人。
淀の方が産んだ豊臣秀頼、
お江が先夫との間に産んだ完姫と
秀忠との間に産んだ千姫・珠姫・勝姫・初姫の4人である。

千姫はいとこの秀頼に嫁ぎ、
珠姫は前田犬千代に嫁ぎ、
勝姫は結城秀康嫡男の結城長吉丸に嫁いだ。
そして初姫はまだ産まれたばかり──。


慶長8(1603)年7月28日、
豊臣秀頼と千姫の婚儀が大坂城で執り行われます。
秀頼は太閤豊臣秀吉の嫡男、千姫は将軍徳川家康の孫娘。
これに勝る縁組みはありません。

豊臣家と徳川家の間に緊張状態が続けば
淀殿にもお江にも災いとして降りかかるでしょう。

お江は次姉のお初に、両家の間を取り持って欲しいと
願い出ますが、お初は一大名の奥方に過ぎず
豊臣や徳川といった巨木に口を差し挟めるような
立場ではないことは重々承知しています。

そこでお初は、京極家の立場を高め、
豊臣・徳川両家の間を取り持てるようになるためにも
お江が伏見城で産んだ姫を京極家の養女にもらい受けたいと
頭を下げるのです。

お江は、自分の一存ではどうにもならないと言いながら
それもいいかもしれないと考えています。

お江の四女を京極家の養女とすることは家康の承諾を得ましたが、
その代わり秀忠には、嫡男を上げられなければ
家康の子どもを養子に譲っても良いと言い出します。
それを聞いたお江は、複雑な表情です。

名前がついていなかった四女は、初姫と名付けられます。
奇しくも養母(お初)と同じお名前なのですね。

ついでながら、淀殿はひとりの姫をお江に会わせます。
お江と前夫・豊臣秀勝との間に産まれた完子(さだこ)姫です。
お江が徳川秀忠に嫁ぐ前、淀殿に養女として預けていたのです。
数年会わなくても、親子と分かるのは動物的直感ですね。

お江は、江戸に戻ることになりました。
大役を果たしたとはいえ、淀のことは相変わらず心配だし
産んだばかりの子を養女として京極家へ差し出したことは
女としてのお江の気持ちを乱しに乱すものでした。


8月10日、伏見城では
家康側室・お万の方が十一男・鶴千代を産みます。

この鶴千代こそ、後の御三家徳川頼房。
水戸黄門徳川光圀の父親であります。


8月27日、薩摩の島津忠恒が上洛し、家康に拝謁します。
その土産に、すでに亡くなったとされていた宇喜多秀家と
その子・秀高を護送してきました。

忠恒は、秀家が懐に逃げ込んできたため匿ったと弁明しますが、
大戦の首謀者であります。
石田三成や小西行長らが市中引き回し、斬首となっているので
秀家にも同じような処分が必要だと家康は怒りますが、

秀家は太閤秀吉の養子であり、それを斬首したとあっては
豊臣恩顧の大名たちが黙っていまいと前田利長は主張。
しかし家康は、利長の主張もはねつけます。
利長の妹は秀家の妻なので、妹婿の命乞いと受け取ったのです。

それでもなお命乞いを続ける利長と忠恒のおかげもあって、
秀家は罪一等を減じられて駿府久能山に押し込められ
その後に八丈島へ流罪となりました。


この年、家康は自身の五男・武田信吉を
21歳という若さで亡くします。

自分の命の長さというものを考え、
先は長くないと考えた家康は、いつ死んでもいいように
早急に徳川の土台、江戸幕府を磐石のものに
しなければと動き出します。


家康は、越前北の庄城から結城秀康、
尾張清洲城から松平忠吉を江戸に招集し、
11月3日、江戸城に戻ってきます。

家康が言うには、来たる7日には勅使が江戸に下向して、
秀忠が右大将に任ぜられると発表。
右大将といえば、源 頼朝と同じ立場であります。

これで、政治の中心は江戸に移ったのです。

さて、秀康が北の庄から中山道を通って江戸に向かう際
持っていた鉄砲武具を咎められたと訴えがありました。

秀康は弟の秀忠に、徳川一門の者が征夷大将軍の要請に応じて
江戸に向かう緊急時に鉄砲武具を持つなと咎めないよう
関係者の処分を強く申し出たわけです。

その場は、家康の「秀康のメンツを立ててやれ」という一言で
ひとまずは落着したのですが、秀忠を呼び出した家康は
他家にいる目の上のたんこぶも大事だが、
身内に潜むたんこぶにも注意しろと忠告しておきます。

秀康は秀吉の養子として徳川家を離れてしまい、
家康の跡継ぎを弟の秀忠に奪われた鬱屈さも抱えているはず。
もし家康が淀の方であれば、秀吉の養子でもある秀康を取り込み
秀忠を討させようと考えるでしょう。

そしてもう一人はお江。
大坂城で淀の方に何か吹き込まれた可能性もあり
気を許してはならないと言い置きます。


慶長9(1604)年2月。
長らく続けた祈祷の甲斐あって、お江が身ごもります。


秀康は家康の命により、秀忠の目付として
しばらく江戸城にとどまることになりました。

秀康は嫡男長吉丸を連れて来たのですが、
長吉丸は後の松平忠直でありまして、
秀忠とお江の娘・勝姫とは許嫁の間柄です。

兄弟で酒を楽しんでいた秀康は
来年、家康は将軍の座を秀忠に譲る意向と伝え
今こそ一族結束して盛り立てていかなければと
秀忠を励まします。


6月3日、淀殿の養女・完姫は
関白九条兼孝の嫡男・忠栄(ただひで)に嫁ぎます。
忠栄19歳、完姫13歳であります。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
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[出演]
津川 雅彦 (徳川家康)
岩下 志麻 (お江)
宍戸 錠 (本多忠勝)
岡本 富士太 (結城秀康)
寺泉 憲 (松平忠吉)
渡辺 いっけい (本多正純)
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岩本 多代 (西郡局)
馬渕 晴子 (大蔵卿局)
石田 太郎 (大久保忠隣)
清水 綋治 (榊原康政)
大和田 伸也 (立花宗茂)
神山 繁 (本多正信)
──────────
中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
──────────
草笛 光子 (北政所)
波乃 久里子 (お初)
鈴木 瑞穂 (板倉勝重)
小川 眞由美 (淀殿)
西田 敏行 (徳川秀忠)
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制作統括:川合 淳志
演出:重光 亨彦

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