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2017年9月29日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(26)派閥抗争

物語は佳境に入って慶長17(1612)年、
世界の情勢はどのようであったのか。

16世紀の大航海時代、主役を務めるイスパニアは
17世紀に入るや急速に衰退。
代わってオランダやイギリスといった国の台頭は著しく
大交易の覇権を巡って激しい争いを繰り広げていた。

東洋ではオランダがいち早く
東インド諸島や東南アジアに進出し香辛料交易を独占。
後れをとったイギリスはインドに集中。
それぞれが東インド会社を設立し、
植民地経営や貿易にしのぎを削りつつあった。

シェークスピアの『ハムレット』がイギリスで上演され
セルバンテスの『ドン・キホーテ』もイスパニアで喝采に浴びた。

「それでも天は回っておる」
イタリアのガリレオ・ガリレイが
自ら望遠鏡を使って天体観測を始め、
ケプラーも惑星の運動法則を発表したのもこのころである──。


慶長16(1611)年6月24日、
歴戦の武将で築城の名手でもあった加藤清正が
肥後熊本城で逝去。享年50。

それから遡って4月、


慶長17(1612)年2月・江戸城──。

大御所徳川家康より、
御台所のお江に宛てて訓戒の書状が届けられ、それによれば
嫡男竹千代を粗略に扱い、自ら育てた国千代を溺愛するのは
「長幼の序」理論に反する、という内容です。

それは、何者かによる讒言だ、と大姥局は主張。
竹千代の乳母を務めるお福がお江の前に呼び出され
きつく詰問されますが、
お福は、身に覚えのないこと、と表情を変えません。

しかし、思い上がるなと言われては、
お福としてもプライドがありますので
黙っているわけにはいきません。

本来であれば家康の命で竹千代の乳母に就いたので
家康の許可を得て任務を解いてもらうのが筋ですが、
勝手にお暇をもらい、駿府に向かって弁明すると立ち上がった瞬間
竹千代が飛び込んできます。

「お福はここにいよ! どこにも行ってはならぬ!」
お福の肩越しに見えるお江を、竹千代は睨みつけます。


将軍徳川秀忠は、3月17日に駿府城に到着し
お江への訓戒状について家康に弁明します。

竹千代が将軍の器でなければ、
一族の中から有望な男子を将軍後継者にすげ替えて
当てるだけ、と相変わらずの主張をする家康に
秀忠はしどろもどろ。

「世継ぎは、そちが決める!」
家康は、うろたえる秀忠をポンと突き放します。


その夜、家康の老臣・大久保長安の屋敷で大事件が発生。
肥前日野江城主の有馬晴信が長安に訴え出たのです。

3年前、長崎の港で不埒なポルトガル船を討ち沈めた晴信は
幕府からのその恩賞を待っておりましたが、なかなか音沙汰なく。
正純の周旋を願うべく、昵懇にしていた大八に金子を渡して
斡旋を依頼したわけです。

ところが大八はその金子を着服し、周旋も斡旋せず。
そればかりか朱印状も偽造して晴信をたばかったわけです。

しかし、逆に大八は別の件で晴信を訴え出ていました。
長崎奉行の長谷川藤広に、晴信によるルソンとの密貿易を察知され
藤広を暗殺しようと企てたというのです。

3月21日、大八は安倍川の河原で火あぶりの刑が執行され
暗殺未遂の晴信は、甲斐国都留郡に配流となりました。

大八は正純の家臣で、裁いた長安は大久保忠隣ゆかりの男です。
この事件の根幹には、本多派と大久保派の不仲、派閥争いが
複雑に絡み合っているのです。

正純はまさに辱めを受けたといってもおかしくなく
何らかの訴えがあるかもしれませんが、
家康は秀忠に、いずれの話も聞き流しておけ、と諭します。


6月16日、秀頼の妻・千姫の
「鬢(びん)そぎの儀」が執り行われます。
これはすなわち女子の成人を祝う儀式であります。

秀頼20歳、千姫16歳──。


嫁と姑の対立に端を発する後陽成上皇の不機嫌は
未だに続いておりまして、
調整を続けてきた結果、天皇の持ち物とされる
仙洞御所の秘蔵をすべて天皇に譲ることで、
ようやく決着がついたわけです。

その間、心労が絶えなかった関白の九条忠栄は
体調を悪くして罷免され、代わって鷹司信尚が就任します。
ちなみにこの人事にも、家康は介入しております。

その関白鷹司信尚の妹で当年11歳の孝子姫が
竹千代の正室候補として内定します。


慶長18(1613)年1月26日、
秀忠乳母で江戸城奥向き筆頭の大姥局が死去。
これにより、お福が筆頭となります。

大姥局に預けていたお静と、秀忠との子・幸松ですが
大姥局が亡くなったため、面倒を見る者がいなくなりました。
将軍御落胤を浪人の家に預け置くのも大変危険です。

土井利勝の提案で、江戸城田安門内、比丘尼屋敷の
見性院が適任ということになりました。
見性院は武田信玄の次女で穴山梅雪の正室となり
穴山家断絶後は家康の庇護の下で過ごしていたのです。


4月25日、佐渡奉行の大久保長安が病没。

直後、大久保屋敷におびただしい数の役人が押し寄せ
家宅捜索が入ります。
生前、甚だしいほどの不正を働いて大金を横領し
謀反を企んだ罪を問われたわけです。

長安が貯蓄した莫大な財産はすべて没収。
7人の子どもたちはそれぞれ切腹、
家臣たちは諸大名にお預けの身となりました。
この裏には、巻き返しを図る本多親子の影がちらつきます。

ちなみにこの月、豊前国小倉の巌流島で
宮本武蔵が佐々木小次郎を討ち果たしています。
脱線、失礼──。


この年の暮れ、
またも幕府を揺るがす大事件が発生します。
江戸で鷹狩りを終え駿府に帰る途中の家康から
江戸城に向けて密書が発せられたのです。

12月12日、早馬にて土井利勝が行列を追いかけ、
内容を確かめますと、相模中原で訴えがあったそうで
小田原城主・大久保忠隣に不穏の企みあり、というのです。

危険を察知した家康は、
小田原滞在予定のその日は中原に留まり
そのまま江戸に引き返すことにします。

慌てて駆けつけた秀忠ですが、
忠臣が悪事を企てたことが信じられず
忠隣をかばい立てし無実を訴えますが、

「仮にもわしの命がかかっておる。
 かばい立てが過ぎると、そちへの疑念も生じようぞ!」
家康は、秀忠の前に立ちはだかります。


江戸城に戻った家康は、
忠隣に京都へ上洛せよと命じます。
名目は、バテレン追放であります。

そして慶長19(1614)年1月17日、
事情を察知している忠隣は、
死罪が言い渡される覚悟でゆっくりと将棋をします。

しかし、板倉勝重の口から出た言葉は流罪でした。
弁明の使者を、と勧める声に、
もしそうすれば大御所の罪を問うことになる、と
反論なくそのまま従うことにします。


家康にとってはどちらが正しくて
どちらが悪いかなどどうでもよくて、
どちらが徳川のためになるのか、
ためになる方を残せ、というわけです。

忠隣は無類の忠臣ですが、残念なのはまともすぎること。
小技・裏技・離れ技が不得手なのです。

本多正信は77歳で、棺桶に両足突っ込んでおります。
いずれは他界して外れることになりますが、
とっておきの嫡男・正純が控えております。

目の上のたんこぶとなる重臣は速やかに対陣させ
風通しを良くすることが大事だ、というのが家康の教えです。
「わしも、そろそろ対陣かのう。ハッハッハ」


家康は、秀忠の娘・和姫の入内を奏請します。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
──────────
[出演]
西田 敏行 (徳川秀忠)
尾上 菊之助 (豊臣秀頼)
石倉 三郎 (青山忠俊)
石田 太郎 (大久保忠隣)
渡辺 いっけい (本多正純)
──────────
鈴木 瑞穂 (板倉勝重)
神山 繁 (本多正信)

波乃 久里子 (常高院)

津川 雅彦 (徳川家康)
──────────
中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
──────────
樹木 希林 (お福)
林 隆三 (土井利勝)
小林 稔侍 (片桐且元)
小川 眞由美 (淀殿)
岩下 志麻 (お江)
──────────
制作統括:川合 淳志
演出:重光 亨彦

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